1.その男、やはり柊豪十郎

 コンビニに飛び込んだ。

 新聞を一部購入がてら、「今日は何年の何月だ」と尋ねてみた。

 店員は「2002年6月5日水曜日ですよ」と答えてから、少し考えて、「何世紀の未来から来たんです?」と笑いながら付け加えてきた。拓夢は愛想笑いを浮かべながら「聞かないほうがいい、時空なんちゃら官に狙われる」と返す。二人、はははと朗らかに笑う。

 コンビニを出る。頭を抱える。

「何をやっている」

「いや……マジかよと思ってな……」

 2002年、6月5日。『来訪者の日』であり、東京消失事件の当日。

 そして、さらにひとつ、ここに但し書きが加わった。それは、つい先ほどまで自分たちが過ごして、夕暮れを越えようとしていたはずだった日付だ。


「吾らの主観を中心としたループというわけでもなさそうだな」

 歩きながら、メリノエは辺りを観察している。指で輪を作り、それを通して電信柱やら道端の草むらやら民家の物干し竿やらを眺めて、うんうんと頷いている。

 民家を覗き込むのはやめさせた。

「なぜなら、あの女の主張によれば、は外の世界からでも観測ができた。はどうやら、周回と周回の間の継ぎ目だ。吾ら二人がここに入り込むよりも以前から、ループは繰り返されてきた」

「細けえ話は、この際いいとしてだ」

 歩きながら、拓夢はうめく。

「その“ループもの”ってのは、普通、どういう風に解決するものなんだ?」

「ふむ? むー、そうだな……」

 メリノエはこめかみを指先で押さえてしばし考え、

「ループ一周目の直後は、事態を把握できずに混乱するだけで過ごすのがマナーか。二周目で、時間がループしているという非現実を受け入れ確信を得る。ルールの把握に動き出すのは三周目から、という型が基本形になる。美学と言ってもいい。例外は多いが、それらこそ、基礎の美しさがあってこそ輝くものだからな」

「細かいな」

「まあ、そのあたりの導入部事情は、この際吾等には関係ないとしてだ」

 ならなぜ言った。

「訊きたいのは、解決フェイズのセオリーについてだろう。一番よく見るのは、翌日を迎える条件を満たしていないから巻き戻っているのだという、一日ワンデイループのパターン。特別なその日が終わる前に、やらなければいけない何かの行動。逆に、防がなければならない何かの事件。見つけなければならない何かの秘密。除かなければならない何かの害悪。誰かの死を防げというのが定番だが、それ以外のパターンもないわけではない……」

 指を立てて、

「ともあれ、そういった何かを特定して、実行する過程が物語になる」

「あー」

 わかるような、わからないような。

「多くの場合、それは特定の個人に関係している。個人が何かに失敗し続けていて、成功するまで先に進めないというパターンが代表的だな。その場合、それが誰なのかと、何を求めているのかを突き止めれば、話は一気に解決に向かう」

「それが、なんで夜空先輩なんだよ」

「うん?」

「いや、そういうことだろ。夜空先輩が死んだら時間が巻き戻った。少なくともオレにはそう見えたぞ」

「あー……まあ、現時点では確かにそうだが、未だ情報が足りぬが故の話だ。一度の観測現象だけで思い込みの法則を語るなど、学者がやったら学会の笑いものだぞ」

 メリノエはこめかみを指先で押さえる。

「確かに先程、あの小娘は死んだ。いかにもそれっぽい、引鉄トリガーの有力候補だ。しかし、有力候補以上のものにはなり得ない」

「そりゃ理屈だがよぉ」

「吾等とまったく関係のないところで、関係のない誰かが何かをして、それがたまたま小娘の死と同時刻だっただけという可能性もあるだろう?」

「そりゃゼロじゃねぇだろうがよ。言いだしたらきりが無えやつじゃねえか」

「その通りだ。本来きりが無いものに挑むからこそ、葛藤や苦悩が生まれる。ループものの醍醐味はそこにあるわけ、だが」

 少女はそこで表情を崩し、へらりとした顔で、

「今回のお主は、あまりその辺りを気にせずとも良い。なにせ、ここには吾がおるわけだからな」

「謎解きを引き受けてくれるってか? そりゃありがたいが」

「いや。直接、答えを盗み見る」

 ……しばし言葉に詰まる。

「ええと?」

「吾を誰だと思っている。可愛らしいだけが取り柄のお人形ではないぞ?」

 自分の顔の前で、五本の指をそれぞればらばらに動かす。

 周囲を――花弁のような光が舞った。そしてそれらに包まれるように、いくつかの道具の影がちらつく。それは虫眼鏡であったり、鋏であったり、金梃子であったり、鳩時計であったり、船の舵輪であったりした。

 メリノエの取り出す道具は、その道具の本来の役割の延長上で、おかしな性能を発揮する。拓夢はそれを知っている。

「……いや。わからん。何をするってんだ」

 にい、と不敵に笑う。

「先ほどは、干渉が間に合わなかった。名の知られたどの星系の技術体系にも属さない、異端の仕掛けだったからな。しかし次はない。現象を起こしている船室キャビンのシステムに直接割り込んで、からくりすべてを直接丸裸にしてやろう」

 拳を握りしめる。道具の影が、花弁の光が、すべて弾けて消える。

「できんのか、そんなこと」

「吾にならば、成せる。褒め讃えても佳いのだぞ」

「あーすごいすごい」

 投げやりに誉める。

「で、やっていいコトなのか、そりゃあ」

「感じ取った限りでは、セキュリティらしいセキュリティは見当たらなかった。職場のパソコンで考えてみろ、そんなものは、ぜひハッキングして中身を見てくださいと言っているようなものだろう。なあ?」

 なあ、などと同意を求められても困るのだ。

「そうじゃなくて。そういうのは、“ループもの”的にアリなのか? 条件を特定するまでの過程をお話として読むものなんだろ?」

「よくはない、と言いたいところではあるが」

 メリノエは少しだけ考えて、

「ひとには向き不向きというものがある。そういう物語には、お主も吾も、どう考えてもミスキャストだからな。ここはひとつ、偉大なる先人たちに全力で砂をかけるつもりで、ルール違反チートに走ろうではないか」

 胸を張って言うことだろうか、それは。

「いや、まあ。それで問題が解決するなら、オレとしちゃ文句はねぇけどよ。どっちかって言や、そのへん、お前のほうがこだわるもんじゃねぇかと」

「それもそうだが、場合によるとも」

 メリノエは肩をすくめて、

「一言で“ループもの”と言っても、色々ある。名作も駄作もあるし、できと関係なく趣味に合わんものもある。そして、この状況の創造者の趣味は、吾とは相容れん。正直に読んで楽しませてもらえるとは、あまり思えんな」

「……はあ」

 相変わらず、言っていることの意味はよくわからなかった。


      ◇


「ようこそ我がオフィスへ! 君が、話題の未来人クンだね?」

 窓辺に立つ男が振り向き、大仰に両腕を広げて、歓迎の姿勢を見せた。

「受付からの連絡は聞いた。面白い話をしていたらしいではないか。何でも、この閉鎖された東京だけが、時間の流れから取り残されている、だとか?」

「ああ」

 うんざりした顔で、拓夢は頷いた。


 一度は通った道である。

 2002年の警察官たちをどうにか説き伏せて、ふたたびひいらぎ豪十郎ごうじゆうろうのオフィスへとやってきた。


「時間が、ループしている、だと……?」

 柊は眉をひそめた。

 その唇の端から、煙草の煙があふれ出す。

「それはあれか、ラベンダーの香りがどうのというようなやつか?」

「そのそれだ。よく知っているな」

 メリノエが讃えると、柊は力強く微笑み、

「この職に就くまでは、まっとうにSFに憧れる、普通の文学少年だったものでね」

 普通の文学少年とか言い張れるような体格ガタイ面相ツラかよ、と拓夢は一瞬思った。が、さすがに口にはしなかった。そもそも拓夢自身、他人にどうこう言えるような体格でも面相でもない。

「何らかの条件を満たした瞬間、船室キャビンの内側を構成するすべての物質要素が、6月5日当時の状態へと回帰する。この街は、そういう大仕掛けの中にある」

「……我々も、既にその術中に堕ちていると?」

「残念ながら。2002年より後の記憶がないということは、当時の、まだ何も知らなかった時間帯のお主ら自身に上書きされているということだろう」

「ふむ、そう言われてしまえば反論はできないな」

 記憶そのものが巻き戻されているのでは、認識改変への抵抗力を持っていたとしても関係ない。何百回何千回と、異常に気付くことすらできないまま、ふりだしに戻されることになる。そして事実、これまでずっと、そういうことになっていたのだろう。

 この話はさすがにショックだったか、柊は真面目な顔で黙り込む。

「あー……柊サン。特大ビームのチャージって、始めてるスか?」

 遠慮している場合でもない。拓夢は直截ちよくせつに尋ねる。

「何の話だね」

「昨日、いやオレたちにとっての昨日ってことスけど、そういう話をしたんスよ。センジュサンのビームで障壁を内側から打ち破るって。二百時間かかるっつう見込みだという話だったんスけども」

「なる……ほど、な。どうやらその話、嘘ではなさそうだ」

 柊の表情が険しさを増す。

「私は確かに、センジュの力に頼る案を、考えてはいた。二百時間かかると見積もってもいた。だが私は、誰にもそれを話していない。つまり」

「前回の6月5日に、吾等が聞いた。そして時が巻き戻り、お主はそのことを忘れた」

「……と、証明されたことになるのか」

 柊は重い息を、煙とともに吐き出す。

「やれやれ。タイムリープというものは、あれだな。読んでいるぶんには楽しいが、モブ側として体感するとややこしいものだな」

 首を振る。

「となると、対策はどうしたものか」

「とりあえず、オレらは、ループ現象自体について詰めてみるス。次に巻き戻りが起きた時に、うちの相方が、ループの仕掛け自体にハッキングっぽいことをするらしいんで」

「うむ」

 メリノエがピースサインを作って頷く。

「ほう。驚いたな、そんな芸当が可能なのか」

「そス。うまくいけばループの起きる条件を特定できる。そこからどうにか、リセットされない連続した八日間以上を稼げれば、柊サンたちのビームが撃てるわけスから」

「確かに、道理ではあるな」

 柊は眉を寄せ、しばし考えてから、

「他案は思いつかない。どうやら、その手でいくしかなさそうだ。捜査課の動ける者には情報を集めさせる。私は一応チャージに入っておこう。そして、今回の周回ループで決着がつかなかった場合の話だが……」

 小さな紙きれを取り出し、裏にペンを走らせる。

 突きつけてくる。いくつもの数字が並んでいる。

「覚えたか?」

「はあ、まあ」

「よし」

 その紙に火をつけ、灰皿に放る。見る間に灰になる。

 柊は、また新たな煙草に火をつける。天井を見上げ、

「優先度最大の案件でしか使われない、緊急回線だ。私のところに直通で繋がる。合言葉は要求するが、コードブックの79Dで答えてくれたまえ。君たちの時代にも、同じものを使っているのだろう?」

「あー……了解ス」

 なるほど、と思う。そのやり方ならば、柊がこの会話の全てを忘れた後からでも、こちらの身元を証明したうえで、再度会話の場を作り出せる。


      ◇


「柊サン、話が早くて助かったな」

「そうだな。自分で体験するわけでもないタイムリープなど、理屈だけで受け入れられるものではないだろうに」

 一日程度で時間が巻き戻るというのは、その世界に生きる者にとっては、一日程度で目の前の世界が終わるということに等しい。それは、「今ここにいる自分には、記憶の連続する明日は来ないのだ」という絶望を内包する。

 ほとんど死刑宣告そのものだ。

 だというのに、彼は多少当惑しただけで、すぐにこれから何をするかの話に切り替えた。自分の記憶がまた消えることをただの前提条件だとして、その後のことについて提案をしてきた。

 誰にでもできることではない。

 そして、そういう人物が味方であるということを、ありがたく思う。

「時間に余裕がありゃ、世間話で盛り上がりたいとこでもあったんだけどな。廿六木とどろきサンの昔の話とかさ……」

 そんなことをぼやきながら、手元の無線通信端末PHSをぽちぽちいじる。

 連絡手段を持っておけと、柊から渡されたものだ。捜査課支給とはいえ、おかしな改造がされているということもなさそうだ。機能的には、市販のものと変わらない。

 そういえば、少年時代には、携帯電話とPHSで何が違うのか、ピンときていなかったような気がする。見た目も機能も同じようなものじゃないか、なんでいちいち呼び分けるんだ、どっちかが登録商標だったりするのか、そんなことを考えたりもしていた。

「そろそろ前を見ろ、拓夢。歩きPHSピッチは危険だろう、誰かを轢いたらどうするつもりだ」

「轢く側かよ、オレは」

 車両扱いされることに不満はあるが、体格的に、指摘自体はまっとうだ。拓夢はPHSをポケットに突っ込んで、顔をあげる。

 ふと、足を止める。

 振り返る。今来たばかりの道、捜査課本部の方角を見る。

「どうした?」

「いや、どうってこたねえんだが……ひとつ、思い出した」

「何をだ」

 鼻の下を指でこする。

「柊サンが、めちゃくちゃ吸ってたあの煙草」

 調停者という名のトラブルシューターを続けてきた中で、拓夢は、いろいろな来訪者犯罪に関わってきた。クーハバインの一件のように直接来訪者犯罪者を捕縛することもあるし、そうではなく、間接的に来訪者が関わった悪事を潰しにいくようなこともある。

 たとえば、禁制の密輸品の取り締まりだ。

「確か……Cランクくらいの流通規制品だ。銘柄までは、ちと思い出せねえが」

「ほう?」

「柊サン、体をどっか、やっちまってんのかね」

 異星由来の薬物は、地球由来のものとはまったく違う効力を持つ。一般に流通できないような薬剤でも、それが必要となれば、調停者に対して処方されることはある。

 拓夢自身も、以前にヘマをやらかした時に、異星由来の薬剤の投与で命を繋いだことがある。同じように、体質的な問題などで柊豪十郎という捜査員が必要としているというなら、流通規制品の煙草が支給されることもあるだろう。

「気になるか?」

「いや。詮索したいってわけじゃねえよ、ただ気になっただけ――っと」

 通行人とぶつかりかけた。

 駅が近くなれば、人通りも増える。拓夢ほどの体格の主が意味もなく立ち止まっていると、露骨に通行の邪魔になる。

「さて、どうする」

 交差点そば。メリノエがくるりと身を翻す。

「次のループが起きれば、吾がを捕まえる。あるいは柊らが手掛かりを掴むのを待ってもよい。いずれにせよ、今この時に吾らの挑むべき仕事はない」

 顔を覗き込むように、尋ねてくる。

「どのように無聊を潰す。また、思い出巡りの続きでもするか?」

「そいつも魅力的ではあるがよ」

 この街には、思い出が詰まっている。昨日(日付は同じだが)の一日をかけて歩き回った程度では、とても浸りきれた気がしない。

 けれど、

「なんか、妙に落ち着かねえんだよな……」

「ふむ?」

「具体的に何が、って言われると困るんだけどよ。見てきたことと聞いたこととが、オレの中でいまいち噛み合いが悪いっつうか……ぞわぞわするんだよ」

「野生の勘というやつか」

「オレは文明人だ!」

 深く頷くメリノエを一喝して、

「まあ、そんなわけでだな。今日は、少し乱暴な手も使おうと思うんだが、どうだ」

 西の空を眺めながら、言う。

「……ほお? 成程な?」

 同じ方向を見上げて、メリノエが笑う。

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