2.その世界の果てにて

「このへんが限界か」

 渋谷から、少し歩いた。

 目黒川を越えるか越えないかの辺りで、立ち止まる。

 これ以上先には、行けそうにない。船室キャビンのメカニズムを改造したらしい謎機構によって、どれだけ意識していても、気付かないうちに方向転換させられてしまう。仮に徒歩ではなく、車や電車を使っていたとしても、状況は同じだったはずだ。

 そしてもちろん、辺りに他の人間の姿はない。本来このあたりに住んでいたり働いていたりしている人々は、それぞれに無意識のまま、閉鎖市街の内側のほうに追い払われているのだろう。

 ここが、この巨大船室キャビンの中で外壁に近づこうとしたときの、限界到達点。

「ほれ」

 何も言わずとも、やろうとしていたことを察してくれたらしい。流線的なフォルムを持った大型拳銃を、メリノエから手渡された。受け取る。

 そもそも拳銃とは、“なにかを破壊する”ために、人類が生み出した装備である。メリノエが夢から取り出したそれは、拳銃という形状が持つその役割を、ちょっとおかしな規模にまで拡大した形で実現する。

「サンキュ」

 ずしりとしたその重みを手のひらに感じつつ、彼方の空を見る。

 異常は何もない、ように思える。

 何の変哲もない青空が広がっている、ように見える。

 平和な街並みが続いている、ように感じられる。もちろん、実際にはそんなことはありえない。すべては欺瞞の景色でしかないはずなのだが。

船室キャビンの内側からじゃ、基本的に誰も、境界線たる壁に対して違和感は抱けない。異常などない、世界はいつも通りだ、そう認識してしまう」

 弾丸を込め、構える。狙いは水平よりやや上、西方の虚空。

 安全装置を外し、指を引鉄にかける。

「――だがそれでも、そこに壁があるという事実に変わりはない」

 深呼吸して、心拍を整えて、そして、

 撃つ。

 一筋の光条が放たれる。

 らせん状の蒸気帯ヴェイパートレイルを曳き、刺すようなイオン臭を撒き散らしながら、光条は空に吸い込まれて消え――なかった。何もなかったはずの虚空、青空にしか見えていなかった場所で、それは、何かに着弾した。

 光が弾ける。

 その一瞬、まるで迷彩が剥げるようにして、青空の下に隠れていたものが。『なにもない』を偽装していた塗料が剥げ落ち、金属質な光沢をもつ、紫色の壁が姿を現した。

「お」

 おそらくは自己修復的な機能があるのだろう、すぐに周辺の青空がふくらみ、壁を覆い隠す。ほんの数秒ほどで、青空はそれまで通り、『なにもない』かのような装いを取り戻した。

 ――いや。

 よく見れば、かすかに、焦げた跡のようなものが残っている。予めそうと知っていなければ、目にゴミでも入ったとしか思えないくらいに、小さな痕跡だが。

「いいね」

 拓夢は獰猛どうもうに笑う。

 もう一発を放ってみる。先ほどの場所のすぐ隣に着弾し、同じような傷を作る。

「ふむ」

 すぐ隣、メリノエが目を細めて、

「色々な意味で狙いは良かったが、ちと、火力が足りておらんな」

「……だな」

 銃を下ろす。こちらの残弾も無限というわけではない。そして、ひっかき傷を増やしたところで、それで壁に穴が空くわけでもない。

 それでもまあ、収穫はあったと言っていいだろう。

 あの壁は非常に強靭だが、完全に理不尽というほどではないらしいと知れた。強力な力をもってあたれば、手が届くし傷もつけられる。あとは、こちらの用意できる火力の問題だ。そしてこちらには、柊豪十郎およびドルンセンジュという、強力な火力のアテがあるのだ――


 ――背後七時方向、危険の気配。


「拓夢!」

「おう!」

 警告を聞いた時には、もう体が動いている。身を投げ出す。高速の何かが、すぐ傍らを通り過ぎていったのを感じる。

 街路樹の陰から、襲撃者の姿を確認する。

 最初に目に入ったのは、ぬめりを帯びた暗灰色と青緑の斑模様。続いて、蜥蜴に似た四肢の形状。そして、背にあたるはずの部分から生えた、幾条かの触手めいた器官。

 つまりは、本来地球上で見ることなどなさそうな、異形の何かである。

「ははっ、こいつぁいい!」

 握っていた銃をメリノエに投げ返し、外から持ち込んだマルチシリンダーを抜き放つ。コルト・ガバメントによく似た、しかし、まるで違う機構を内蔵した装置。生体の破壊ではなく、制圧を目的に造られた専用兵器。

「お客さんまで釣れるとはな! どうやらオレらは、ちゃんと誰かに喧嘩を売れてるらしいぜ!」

 襲撃者が跳ねた。10メートル近い距離が見る間に詰められる。拓夢は転がるようにしてその突進を回避し、すれ違いざまに引鉄を引いた。放たれた拘束弾は、しかし惜しいところで襲撃者を捕え損ねる。アスファルトに小さな穴が穿たれる。

「いきなり乱暴だな、挨拶くらいしようぜ文明人らしくよ!」

 ついでに軽口も投げるが、これまた届いている気がしない。

 無言のまま、異形の触手がしなり、襲ってくる。手近な路地に飛び込んで避ける。触手は拓夢ではなく、遮蔽となったビルを捕らえる。

 破壊音。

 ガラスが割れ、コンクリートが飛び散る。

(やべぇ威力だな、オイ!)

 軽口を声に出すだけの余裕もない。

 その破片が宙を舞っている向こう側、集中力によって引き延ばされた時間の中、拓夢は見る。異形が口を――おそらくは口であろう位置にある筒状の穴を――大きく開いている。ぬらりと水気を帯びたあかと、その奥に潜む黒々とした何かが見える。

「っとぉ!」

 直感に身を任せ、拓夢は遮蔽から飛び出した。その直後に、何かが、一秒前まで拓夢がいた場所を、建物ごと貫いた。

 破壊された水道管から、大量の水があふれ出す。頭からびしょ濡れになりながら、拓夢は今の現象を推測する。破壊痕に焦げなどは見当たらない。熱線の類いではなく、実体を持った何かが撃ち出されている。質量と速度が馬鹿げていて、それがどうやら生身から放たれているという点が非常識なだけで、原理としては銃弾や砲弾と変わらないはず。

(――自分の骨片を体内で超加速して撃ち出している、か?)

 そんなところだろう、と思う。

 もっとも、推測できたところであまり現状打開の役には立ちそうにない。このまま撃たせ続ければ弱体化が狙えるのかもしれないが、相手にその時の備えがないと決めつけるのも危険だし、そもそもそのぶん街が壊れていく。

「あんまり暴れんなよ、地域住民にご迷惑だろ!」

 どうやらこいつは、街への被害を考えていない。

 ということは、やはり、あれか。ループのことを知っていて、どうせ元に戻るんだからいくら壊しても構わないと、そう考えるような奴が後ろにいるのだろうか。

 気にはなったが、今はそれを追及していられる時でもない。続けざまに三度、シリンダーの引鉄を引く。ひとつが着弾。拘束弾は襲撃者の背部を穿つ。相手の体がよほど特殊な構造をしてでもいなければ、これで強制的に麻痺状態に陥らせられる、はずだった。

 触手がしなり、自分自身の背の一部、たった今光が焦がした部分を切り飛ばす。

「うげ」

 まるで毒への対処法のようだが、この場合は正解だ。原理こそ違うが、拘束弾の働きは麻酔薬に似ている。つまり、肉でつながっていない場所にまで麻痺の効果は及ばない。

「まじかよ……きついな」

 拓夢は走る。

 その背を追うように、襲撃者が矢継ぎ早に、攻撃を繰り出す。口蓋から吐き出す不可視の何か、触手自体の叩きつけ、そして強靭な体躯をそのままぶつけてくる突進。拓夢がそれらを回避するたびに、街が傷つく。

 路地を駆ける。

 無人のコンビニに飛び込み、棚の陰で息を整える。遮蔽を無視して攻撃してくるあの砲弾(?)は、幸いなことに、連射はできないようだ。距離をとったうえで、視線の通らないところにこもれば、多少は時間の猶予が得られる。

 ひょい、とすぐ横からメリノエが顔を出してくる。汗ひとつかいていない。

「何が要る?」

 尋ねられ、少し考える。

「何が効くかわからん。いろいろくれ」

「難しい注文をする」

 差し出された拓夢の手のひらに、メリノエは十に近い数の弾丸を落とす。

「サンキュ」

 どれが何なのかを確認している余裕もない。順序も考えず、片端からカートリッジに突っ込む。駆けだす。コンビニの窓が、商品棚が、砲撃を受けてはじけ飛ぶ。飛散する雑誌とスナック菓子を掻い潜り、飛び出す。

 発砲音三度。

 放たれた銃弾は、いずれも狙い過たず、標的の体にそれぞれ小さな穴を穿つ。

 そしてそこから、三様の何かがあふれ出す。

 ひとつは紫電、標的の動きを電気ショックで制しようとする。

 効かない。

 ひとつは淡い緑色のガス。着弾点の傷から直接体内に浸透し、標的を酩酊状態にしようとする。

 効かない。

 最後のひとつは、赤色の茨。標的の全身にからみついて、物理的に縛る。

 これは――有効だった。四肢を封じられ、襲撃者は転倒する。強引に茨を引きちぎろうともがくが、動きを阻害された後からでは、そもそも力をうまく込めることすら難しい。

「うっし」

 油断はしない。シリンダーを構えたまま、慎重に距離を詰める。

「あー……そこの君。傷害未遂とか器物破損とそのほか色々、つうか来訪者滞在法違犯の現行犯だな、まあそんな感じで逮捕するから所属と氏名と来訪者IDを申告――」

 足を止める。

 どろり、と――蜥蜴のようだったその輪郭が、崩れる。

「んなっ」

 雨を浴びた泥人形のようだった。拓夢が驚愕している数秒の間に、形らしい形をすべて失い、後には獲物を失った茨の束と、土くれのような塊だけが残る。

「や、殺っちまっ……たのか……?」

「いや」

 ひょっこり顔をだしたメリノエが、まるで警戒のない足取りで塊に近づき、しゃがみこむ。指先を塊につっこみ、クリームか何かのようにすくいとると、鼻を近づけてくんくんと嗅ぐ。

「ふむ、やはりな」

「何がだ」

 拓夢へと振り返り、

「作りものだ、これは」

「……あん?」

「厳密に“生命とは何か”を定義しようとするとややこしいがな、少なくとも、いわゆる来訪者の枠に収まるような類いの存在ではない。近い言葉で言い表すなら、まあ……自律型のロボットとでも言うかな」

「機械なのか? あれが?」

「あくまでも近い言葉で言えば、の話だがな。しかし……」

 メリノエは立ち上がる。

「技術としては、そう珍しいものでもない。誰にどこからどう持ち込まれたものかは、判断がつけられないな」

「誰が差し向けてきたかの手がかりにはならない、ってことか?」

「そういうことだ」

 メリノエは軽く手を振って泥を払うと、拓夢の隣まで戻ってくる。

「さて、どうする。まだここで何か調べるか?」

「……いや」

 シリンダーを懐に戻す。

 船室キャビンの外壁、あの紫色の壁の隠れている側を、一度ちらりと見て。

 その逆方向。閉鎖市街の内側を、拓夢は睨みつける。

なんつうか、色々わかったようなわからんようなで、まとまんねぇ。少し落ち着いたところに行きたい」

「ほう?」

 楽しそうに、メリノエは表情を輝かせる。

「拓夢先生の推理劇場だな。それは楽しみだ、甘いものでも摂りつつ、たっぷり聞かせてもらうとしよう」

「まだ食う気か……」

「奇異なことを言う。吾がいつ甘味を口にしたと?」

「いや、昨日めちゃくちゃ食いまくってただろうが金がなかったってのに」

「ははは、忘れたか、世界は巻き戻っているのだぞ」

 メリノエは立てた指をちちちと左右に振る。

「巻き戻った、即ち、お主の言う『昨日』は丸ごと無かったことになっている。この閉鎖された東京において、吾はまだ、一度も甘味に触れていないのだ。福利厚生の大切さが叫ばれる昨今、許されてはならない事態だと思わぬか?」

「……お前もしかして、この状況、思いっきり楽しんでないか?」

「否定はせぬよ」

 にひひと意地悪く笑う。

 まあ、仕方がない。こいつは、こういうやつだ。

 拓夢はいろいろと諦めたような心地で、溜め息を吐く。

「わかったから、せめて、その手は洗ってこい」

 ぼろぼろになった街並みの中、何ヶ所か、壊れた水道管から水が噴き出している。その中のひとつを指さす。

「石鹸も使えよ。きれいにしてこないと、何も食わせんからな」

「うむ」

 上機嫌で頷くと、メリノエは駆けていく。

 その背を見ながら、拓夢はもう一度、重い息を吐く。

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