3.短い夢
――この地に来てからの違和感は、いくつもある。
その中の最新のひとつ、先ほどの襲撃について、考える。
あの蜥蜴は、壁に対して攻撃を加えた自分たちの、背後から現れた。
あの蜥蜴は、一匹だけで現れた。しばらくの戦闘の間、増援もなかった。そこを離れた後の追撃もなかった。
あの蜥蜴は、周りの建築物が傷つくのに構わず、自分たちの命を狙ってきた。
あの蜥蜴は、自律型のロボットのようなものだという。つまり、何者かの命令によってそのような行動に出たはずだ。
素直に考えれば、あれは、
しかし、その推測には粗がある。
奴は壁の方角ではなく、街中のほうから現れた。しかも一体きりだった。これはどうにも不自然だ。加えて、閉鎖市街の外周は30キロメートルを軽く超える。その護衛としてあの蜥蜴がいたというなら、それこそ百単位の数が配備されていたはず。なのになぜ奴は単体で現れ、そして援軍は来なかったのか。
あれは、番犬ではなかった……と考えるべきなのだろうか。
あれは、猟犬だったのだ……と考えれば、どうだろうか。どこからか放たれたそれが、ずっと自分たちを追うなり見張るなりしていた。そして、戦闘のしやすいあの場所で襲ってきた、とか。筋が通っているようにも思えたが、誰がどのタイミングでその猟犬を放ったんだと考えると、うまい答えが見つからない。
「…………苦手なんだよな、こういうの」
公園の、ベンチに腰掛ける。
テイクアウトで購入してきた軽食の包みを開きつつ、拓夢はぼやく。
「敵の正体を見極めろってのはさ、作戦立案本部の仕事であって、現場がファジィに判断しちゃまずいものだろ。特撮ヒーローじゃねぇんだからさ」
「しかし、まさにその仕事を期待されて、ここにいるわけだろう」
シュガーパウダーたっぷりのドーナツを口に運びつつ、隣に座るメリノエは言う。
「状況のわからない敵地に単騎で放り出されて、」もぐもぐ「『どうにかしろ』などという任務、」もぐもぐ「現場のファジィな判断を大前提にしなければ成立せんぞ」
「わぁってるよ。わぁってるから、愚痴ってんだよ」
そうでなきゃとっくに投げ出してんだよ、と――ぼやきながら、拓夢は
「お主の本領発揮といったところだな」
ふふふと笑いながら、メリノエはふたつめのドーナツを掴んで、あんぐりと口を大きく開く。かぶりつく。
「何の話だよ」
「どういう状況であれ、お主が状況に手を抜くことはないからな」もぐもぐ「目前の難題に全力で向き合っている時にこそ、愚痴がこぼれる」
「……ちっ」
付き合いの長い相棒というものは、こういう時に困る。返す言葉がない。
「食うか喋るか、どっちか片方にしろ。行儀が悪いだろう」
ささやかな反撃のつもりで小言を飛ばす。
「うむ、確かに」
メリノエは素直に頷いて、そこからは無言でドーナツにかじりつく。
「いや、そっちを選ぶんかい」
返事はない。宣言通りに喋るのを放棄し、食事に専念している。
見ているほうが胸やけしそうなドーナツの山が、見る間に消えていく。
本物の少女が相手であればカロリーがどうの栄養のバランスがどうのと説教を始めたくなる状況だが、なにせこいつは異星の者だ、体組成からして人間と違うはずのモノに対して、健康を気遣ってもしょうがない。
拓夢は黙って、自分の食事を片付ける。
「柊に報告はしたのか、先の戦闘のことを」
「ああ」
PHSを収めたポケットを軽く叩く。
「カヴァイド文化圏あたりの傭兵機械だろうとか言ってた。めったに見るもんじゃないけど、たまに地球にも持ち込まれるんだと」
つまり、こちらの予想とほぼ同じ。ほとんど情報なしに等しい。
「現場も調べておくだとさ。あまり期待するなとも言われたが」
「まあ、そうであろうな。並の捜査員では、外壁近くまで近づくことも難しかろう」
のんびりとした声を、交わし合う。
空が青くて、緑は鮮やかで。そういうところは今も昔も変わらなくて。まるで呑気なピクニックのような、そんな時間が流れて。
「ふわ……あ」
メリノエがあくびをした。
「眠いか?」
「そう、だな……」
そういえば、である。すっかり時間の感覚がおかしくなっていたが、この閉鎖市街に突入してきてから、拓夢の主観で流れた時間はおよそ二十時間強。
その程度の連続活動で悲鳴をあげるほどヤワな鍛え方はしていない――のだが、それはあくまで拓夢だけの話。同じ時間を活動していたメリノエは、彼女独自の理由で、かなり消耗しているはずだった。
「急ぎの用事はねぇんだ。少し、寝てけ」
拓夢はそう言って、ベンチを軽く叩いた。
「いいのか? 吾の意識が消えていては……」
「心配すんな、今はこの通り、現地調達の装備しか着てねぇし」
メリノエの取り出す装備は、メリノエが眠ってしまうと消えてなくなる。そういうリスクがある。つまり、突入直後の(彼女が出した)作戦装備のままだったなら、いろいろまずいことになっていただろう。
「休むのも仕事のうちだ。何かあったら遠慮なく叩き起こしてやるしな」
「……うむ。悪いが、膝を借りるぞ」
最後のドーナツを口の中に押し込み、手の汚れをナプキンで綺麗に拭うと、メリノエは拓夢の膝に頭を落としてきた。
軽く身をよじり、こめかみを乗せるベストポジションを探す。
「相変わらず、肉が固いな」
既に夢の中にいるかのような、ぼんやりとした呟き。
「鍛えてんだよ仕方ないだろ」
「悪いとは言っていないだろう。この固さは、お主の意地と意志の証だ。とても好ましいと思っている、ぞ――」
言葉の後半は、ほとんど寝息も同然だった。
そして数秒も経たないうちに、本物の寝息が聞こえ始めた。
サックの中に収めていた着替えが、無数の花弁にほどけて、消える。それを見て、メリノエが確かに眠りに入ったのだと知る。
『夢から様々な道具を取り出す』
そういう体裁で、人智を超え――る寸前ギリギリの、どうにか人間の理解の範疇に留まる超現象を起こす。メリノエはそういう能力を持った来訪者だ。
ここで彼女の言う「夢」は、もちろん厳密には、地球人にとっての「夢」と同じものではないだろう。しかしいちおう、似通ったものではあるらしい。
眠りの中で見るもの。現実ではないもの。
時間と空間のすべてがぐちゃぐちゃになった、記憶と感覚のマーブル模様。そういった言葉で表現される、意味不明の感覚。その感覚を通してのみ観測される、不可思議な何か。
それだから、なのか。
メリノエは、よく眠る。
夢から取り出した力を、夢の中で蓄え直そうとでもいうように。いつも睡魔に抗っていて、そして時には屈する。
小さく弱い道具を出すぶんには、その負担は大したことがない。それこそ
「ふむ」
寝顔を見下ろしている。
喋らなければ、そして動かなければ、こいつの容姿はとても整っている。
いつも落ち着きなく表情をころころと変えている顔が、今はまったく動かない。そのまま宗教画にできそうなほど安らかで、枕を信頼しきっているのが見てわかる。むかつくが、こんな顔をされれば応えるしかない。枕の役割を務め切ってやろうと思える。
少し風が吹いて、メリノエの前髪を乱す。指先で整えてやる。
と、
「ふわ……ぁ……」
拓夢の口から、不意に、大きなあくびが漏れた。あわてて手のひらで押さえる。
(……やべぇ)
起きているつもりだったのに。緊張感を保ち続けるはずだったのに。
それなりに疲れていた。メリノエの眠気が伝染した。それらに加えて、この穏やかな気候と雰囲気が、決定的な後押しをした。
強い眠気を自覚したのと、ほとんど同時に。
拓夢もまた、落ちるように、浅い眠りの中へと
◇
懐かしい夢を見た。
拓夢にとって初めてのデート、になるはずだった日、の思い出だ。
始まりは、よくある話だった。
好きなアクション映画の続編が公開されると聞いて、拓夢少年は気分を上げていた。しかし彼の友人たちは誰も、その喜びに付き合ってくれなかった。
仕方がない、一人で見に行くかと諦めかけていた彼の前に、ひょっこりと、やはり同じ映画を楽しみにしている女の子が現れた。一人ずつで行くのもなんだし、二人で一緒に見に行こうとなったのだ。
約束をしたその夜に、拓夢は気づいた。
――これはデートなのでは?
バカである。
もっと早く気づけという話である。
しかし彼は真剣だった。年若い男女で連れ立ってのお出かけだと気づき、総毛立った。失敗してはいけない、彼女につまらない思いをさせてはいけない、そんな感じのことで頭がいっぱいになった。頭をいっぱいにして、私服やら髪型やらをキメにキメた状態で、当日を迎えた。
そしてオチは、最初に語られた通りだ。彼はそのデートを、見事にすっぽかされた。待ち合わせの時間になっても、彼女は来なかった。上映開始時間になっても、終わりの時間になっても、彼女は来なかった。
ロビーに立ち尽くした。あまり見ないメーカーの自動販売機がすぐそばにあったので、ジュースやコーヒーやドリンク剤を端からひとつずつ飲み始めた。どれもひどい味だったが、なんだかんだで一列を制覇してしまった。
少年は携帯電話の類いを持っていなかったし、少女もまた同様だった。だから少年は、少女の身に何が起きたのかを知る術がなかった。ただ、待ち合わせの場所に、缶やら小瓶やらを手に、立ち続けた。
六時間近く遅刻して、少女は来た。
全力で走ってきたのだろう。髪はぼさぼさで、顔は真っ赤だった。たぶんおしゃれに決められていたはずの私服も、ぐちゃぐちゃに乱れていた。
『ご、ごめ、な、さ、……』
少女はたぶん、弁明しようとしたのだと思う。けれど、全力疾走で荒れた喉からは、まともな声が出せなかった。それでもどうにか息を絞り出そうとして、できなくて、苦悶に表情を歪めた。
拓夢は、そんな彼女の前に、百十円のスポーツドリンクを差し出した。傍らの自動販売機で売っていた中で、比較的まともな味をしていたやつだ。
そして――何か声をかけた。何と声をかけたかを、拓夢本人は覚えていない。
それを聞いて、自責と申し訳なさでぐちゃぐちゃになっていた少女が、笑った。笑ってくれた。拓夢は、そのことを、とてもよく覚えている。
彼女が美人だとはわかっていたし、素敵な人だとも理解していたし、惹かれていることも自覚していた。尊敬はしていたし、尊重もしていた。そのあたりまでは自明だった。
それらすべてが吹き飛んだ。
――ああ、
恋をすれば世界を見る目が変わる、などと、少女漫画などで古くからよく言われてきたものだ。それが事実なのだと、拓夢はその時、初めて知った。
――オレ、この
これが、その日に映画館で起きたことの、ほぼすべてである。
大したエピソードがあるわけじゃない。後の拓夢はそう語った。これは事実だ。少なくとも拓夢にとっては、その日に起きたことはそれが全てだったのだから。
◇
目を開いた。
やっちまった、と思った。
メリノエだけを休ませ、自分は周囲を警戒しているつもりだった。しかし、どうやら自覚していた以上に疲れていたらしい。気づけばすっかり寝入ってしまっていた。
(しかも、ずいぶんと懐かしい夢まで見ちまった)
「おい」
膝を揺らす。膝の上に置かれていた小さな頭も揺れる。
「起きろ、雨が降る」
「む? むう……」
メリノエが、小さく身をよじる。
「うむ……」
開ききらない目で周りを見回し、やや斜め上をぼんやりと眺め、
「……ああ。そうか。ここか」
まだ完全には目が覚めていないようだ、と思う。
「なんだ、胡蝶の夢でも見てたのか?」
「いや」
特大のあくびをしながら、のっそりと身を起こす。まぶたの上から目をこする。
「それはいま見ている」
奇妙な言い回しだと思った。
こいつは、あまり寝起きに強いほうではない。寝ぼけてよくわからないことを言い出すのは、いつものことだ。そしていつもと同じように、数分もすれば意識がはっきりして、平時のこいつに戻るだろう。
それから少し歩いた。
特に収穫は、なかった。
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