5.その男、つまり柊豪十郎

 長い沈黙。

 ただ、互いの呼吸音だけが、受話器越しに聞こえている。

『なぜ、そう思うのだね?』

 その質問は、こちらの指摘の正しさを認めるものだった。

「別に推理とかじゃねえよ。に、あんたが吸ってた煙草について思い出しただけだ。イドロメル・ドレ。意識を肉体から遊離させる一種の麻薬で、オレらの時代じゃCランク禁制品。本来は遊興目的だけに使われるものだが……」

 言葉に力を込めるため、そこで一息を挟み、

「吸い続ければ、精神が肉体に引きずられなくなる。つまり、ループで肉体が巻き戻されても、あんたの意識やら記憶やらは、保ててるんじゃないか」

『驚いた』

 素直な感嘆の声を聞いた。

『本当に優秀な調停者なのだな、君は。専門ではなかろうに、禁制品の詳細データまで覚えているのか』

「先輩の教えがよかったんでね。それに、別のヒントもあった」

 公衆電話が、残り時間が少なくなってきたことを訴えてくる。早くないかと思いつつ、コインを突っ込んで黙らせる。

のオレたちは、壁際で襲撃を受けた。そんでもって、“今日”は襲われてない。同じように壁に近づいたはずなのにな」

『偶然とは考えられないかね』

「もっと納得しやすい違いがあるだろ。のオレは、あんたからもらったPHSを持ってた。それがはない。GPSだか臭いだかを目印に、人気のないところまでつけさせてから襲わせた、結果としてその場所が壁際だっただけと考えれば、筋が通る」

 柊は静かに聞いている。拓夢は続ける。

「カヴァイド文化圏の傭兵ロボット、だったか? Aランクの禁制品だよな。警察組織を使えるあんたなら、稼働できるものを鹵獲していても不思議はない。個人の権限で自由に使えるようなものじゃあないだろうが、なに、勝手にやっちまえばいい。どんな問題になったとしても、どうせ夜を過ぎたらなかったことになる」

『一回襲われた、一回襲われなかった、それだけで結論するのは早計ではないかね。理論というものは、もう少しサンプルを集めてから組み立てるものだ。一度の観測現象だけで思い込みの法則を語るなど、学者がやったら学会の笑いものだぞ』

「そこまで長期戦に付き合う気も、付き合わせる気も、ねえんだよ。オレは確信した。そんでもってあんたも、本気で惚ける気は、ないんだろ?」

 再び、長い沈黙。

 激しい雨が、ボックスの天井を強く叩いている。

 公衆電話が追加のコインを要求してきた。突っ込んだ。


『同じ一日を、何度繰り返したか……』


 嘆息と間違えそうになるほど、重い声。

『数えることを諦めてから、だいぶ経つ。老けることもできぬこの地では、時間が流れているということ自体の実感が抱けない』

「柊サン」

『どうせ、そちらでも推測はしているのだろう? 答え合わせをしよう。私も、たまには自分語りをしたい。なにせ、ずっと誰にも愚痴ひとつ言えずにいたのだからね』

 ははは、と柊は虚しく笑う。

『イドロメル・ドレを喫い始めたのは偶然でね。私はたまたま、この閉鎖市街が同じ日を繰り返していることを知った。最初は怒りに燃えたよ。仲間と言えるメンバーにも同じものを喫わせ、百を超える数の6月5日を調査に費やした』

「……だよな」

 そのはずだ、と拓夢は思う。

 柊豪十郎は、この時代の調停者のエースだった。この地にあってはそれは過去形ですらない。ならば、戦ったはずだ。これは推測というより、そうあってほしいという、拓夢個人の願いにも近かったが。

「え……は!?」

 耳を疑う。

 バー=ビョエル=バー。この船室キャビンの主の名前。

『苦労したとも。通常のやり方では、ループとともに全ての命が蘇ってしまう。ループの外側で死を迎えさせる、その手段を探すのにも、随分と時間がかかった』

「……じゃあ、この船室キャビンは、今」

『本来の主が不在のまま、全自動で機能している』

 いや、待て。

 それはおかしいのだ。主は、いるはずなのだ。なぜなら、メリノエが暴いたタイムループの発動条件が、「主が眠りにつく」だったのだから。

船室キャビンの核とでも言える装置も発見した。破壊しようと思えばできる、そこまでも到達した。しかし、できなかった』

「……壊せば、この街そのものが塵に還る」

『そういうことだ』

 同じ結論まで、柊たちは行きついていた。自分のように、メリノエという反則チート存在に頼ったわけではない。愚直なまでの正攻法で勝ちとったのだ。

『もうそんなことまで突き止めたのか。本当に優秀だな、君たちは』

 素直な感嘆の声。

 自分の奥歯の軋む音を、拓夢は聞いた。

『防ぐには、半壊状態の船室キャビンを、維持し続けなければならない。来訪者の技術の頂点ともいえるものを、地球人の技術で制御しようと試みる。不可能だ。この街のすべてをコインにして不可能に賭ける、私には、その勇気がなかった』

 拓夢には、その判断を責められない。

 自分にだって、その選択肢を選ぶ勇気はなかった。

『それでも壊すべきだと、仲間は言ったよ。対立した私たちは殺し合った。私が勝ち、仲間は死んだ。死んだ仲間は、これまで留めてきたすべての記憶を失った形で、翌日からは何もなかったかのように、元の生活に戻った――』

「……そ、スか……」

 うめくように、拓夢は言った。

『だから、私としては、やはり君には一度死んでほしいわけだ』

「話がすごい方向に飛ぶスね」

『一度死ねば、その翌日には、何も知らない閉鎖市街の民として6月5日の住人になれるだろう。それは君にとって、そう不幸な話ではないだろう?』

「それはまあ、そうスけどね」

 2002年の東京は、拓夢にとって、居心地のいい場所だ。そこまでは認めよう。だが、そこから先を認めるわけにはいかない。

 その選択肢を蹴って、今自分は、こうしているのだから。

「オレたちがいれば、不可能じゃ、ないんスよ」

『ほう?』

船室キャビンの維持は、メリノエがやる。危険はあるけど、オレが護衛する。絶対と約束はできないけど、不可能ってほど分の悪い賭けじゃない」

 協力してもらえないスか、と拓夢は問う。

『いい目標だ』

 柊の笑い声には、力がない。

『その夢を共に追うには、私は少し、疲れすぎた』

「あんたと戦いたくはないんだ」

『私もだ』

 二人、また沈黙する。

 公衆電話がコインを要求する。お前いい加減にしろよ。

 ていうかもう小銭がないぞ、どうすればいいんだこれ。

統央とうおうカイロスタワービル』

「は?」

『今日このあと、そうだな、午後7時でいいか。来られるかね』

 いきなり何を、と思った。

船室キャビンの核、およびループシステムの制御装置は、そこの二十八階に設置されている』

 拓夢は言葉を失った。

『私がこの生き方を選んだ場所。仲間と決別した場所。言うところの、思い出の場所というやつだが』

 柊は首を振ったのだろう、そういう気配が受話器越しに伝わる。

『戦術的に考えて、君を迎え撃つのに最も有利だろう』

「何でそうなる」

『君たちは優秀だ。この場を惚けたところで、どうせ君たちはすぐ、自力で突き止めるだろう。ならば、準備と覚悟のできる、今日中に決着をつけてしまったほうがいい。君たちにとっても同様だろう。ことここに至り、時間は君の味方ではないのだから』

 ごもっとも。

 今日決着をつけようという、この誘い。拓夢にしてみても、これに乗るのが最善手に近い。明日以降になってしまうと、この地で地位を持つ柊のほうが、多彩な手を打てるからだ。手配犯にされ、追われながらでは、までのような暢気な調査すらろくに進められないだろう。

『私と君。生き残ったほうが、記憶を保ったまま明日以降も戦う。シンプルだろう?』

「一緒に戦うわけには、いかないんスか」

『そういう提案は、勝者になってからしたまえ』

 これにもまた、返す言葉がない。

「午後7時で、いいんスね」

『ああ。多少なら遅れても構わんよ、耐えて過ごすことには慣れている』

「ははっ」

 まったく笑えないユーモアだと思った。だから笑い飛ばした。

 その瞬間、公衆電話の通話時間が切れた。

 ふざけんなよ、こら。

 電子音だけを鳴らす受話器を、拓夢は叩きつけるように元の場所に戻した。


      ◇


 本当にそれでいいのか、とメリノエは訊いてきた。

 本当にそれでいいんだ、と拓夢は答えた。

 そうして、二人は戦いに向かうことになった。


 と、そう話が進めばそれなりに絵にもなったし決戦前のテンションも維持できたのだが、現実はそう甘くない。

「統央、カイロスタワービル、と……あった」

 手近にインターネットカフェが見つからなかったので、図書館で紙の地図を使って、場所を特定する。そこまでの道筋を確認する。

「……ああ、ここなのか」

 すぐに顔を上げた。

「知っている場所だったか?」

「場所だけはな。“一昨日”に近くまで行っただろ」

「お?」

 どれどれ、とメリノエが同じ地図を覗き込んでくる。その圧に押しのけられるように拓夢は体を反らし、ついでに空を見る。晴れている。

「ああ、あの映画館の傍なのか。デートをすっぽかされたという」

「要らんディテールまで思い出すんじゃねえ」

 ともあれ、そういうことだ。拓夢は頷く。

「あの話も、詳しく訊かねばならなかったな。先にどこかに寄っていくか?」

「んな時間あるか。そもそも、もう東京観光してる場合じゃねえだろ」

「莫迦者。物事の優先順位を履き違えるな。お主のセンチメンタルエピソードよりも優先するべきことなど、この形而下けいじか万象ばんしょうにあるはずがなかろう」

 真面目な声でふざけたことを言うな。

「つーか、今は大事な決闘の寸前なんだ。緊張しろ、緊張」

「ふん」

 メリノエはそっぽを向いたまま、

「本当にそれでいいのだな?」

 変わらない口調で、聞いてきた。

 拓夢は、ああ、と小さく頷く。

「本当に、それでいいんだ」

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