7.クロクゥス(1)

 異星の技術に、人除けというものがある。特定の場所に細工をして、地球人との無用な接触を避ける技術。在地来訪者の間ではそこそこポピュラーに知れ渡っていて、それを応用した護身グッズまで売っている……とメリノエは言っていた。

 だから、今ここでそれを柊が使っていることに、不思議はない。


 風が強い。

 乱れる髪を押さえつけながら、街を往く。

「静かだな」

「ああ」

 目的地に近づくにつれ、目に見えて人の数が減っていった。残り200メートルくらいになると、誰一人として見かけなくなった。これなら、多少派手に暴れたところで人的被害は出ないだろう。こうして対立こそすることになったが、柊が閉鎖市街の守護者であろうとしていることは疑っていない。その点は安心してよさそうだ。

 目的地、統央カイロスタワービルが見えてきた。

 全高100メートルを軽く超える偉容。壁面はほとんどガラス張り。流線を取り込んだ、近代的なデザイン。ずいぶんと金がかかっているのだろうし、詳しくは調べてこなかったが、相応に金のある会社しか入っていないのだろう。

 見たところ、オフィスの灯りは、そのほとんどがついたままだ。なのに、人の気配だけが、まるで感じられない。人除けによって無理やり無人にさせられたので、誰も消灯などをしていかなかったということだろうか。

「淹れたばかりのコーヒーが置きっぱなし、とかもあるかもしんねえな。何つったっけか、ポルトガルで昔見つかった漂流船のさ」

「マリー・セレスト号か?」

「それそれ。ガキん時に雑学事典で知って、マジ怖かったんだよなアレ。たまたま親が離れてたキッチン見て、悲鳴あげちまったりさ」

「そのエピソードは後で詳しく聞くとしてだ。目の前で再現された今の感想は?」

「電気代がもったいねえな」

 そんなことを言い合いながら――

 足を止める。

 目前のビルの三階ほどの高さ、壁面のない、開放された一画がある。空中庭園のような場所なのだろうか、離れた場所からも観葉植物がちらほらと見えるその場所に、ふたつの人影が立っているのが見える。

 一人は、もちろん柊。不敵に腕組みをして立ち、こちらを見ている。

 もう一人は、見覚えのない少女。髪も服も瞳も、すべてが赤い。不安そうに柊の肘を掴み、こちらを見ている。

「あれが、ドルンセンジュ、か……?」

 いかつそうな名前には似つかわしくない、可憐な姿だ。もっとも相手は異星の者なのだから、どんな見た目をしていようと、中身はわかったものではないわけだが。

「むう。守ってやりたくなる系の清楚キャラか。吾と被っているな」

 不満そうにメリノエが声を漏らす。

「図々しいことぬかしてんじゃねえ、一応決戦前だぞ」

「何を言う。これこそ決戦の要、何よりも大切なことであろうが! ヒロイン度が高いヒロインがいるほうが主人公陣営っぽいのだからな!」

「そうかいそうかい」

 とりあえずこいつはほっとこうと思う。

 思い出す。装置は二十八階にある、という話だったか。見上げてみた。

「高いな……」

 メリノエに大砲を出させてここから砲撃、という案が浮かんだ。すぐに捨てた。柊の前でそんな大きな隙を晒せば、確実にやられる。

 歩を進める。

 視線は柊へ。柊の視線もまた、まっすぐに拓夢へ。


 柊が右腕を横に差し出す。

 赤い少女がその手をとり、自らの頬に触れさせる。

 一瞬の後に、少女の姿をしていたの輪郭がほどける。

 ぬめりを帯びたかくしよくの液体となり、

 無数の帯のようになって、

 しなり、唸り、踊り、柊の両腕を包み込む。

 縛り上げる。


 ――こいつも、融合系の来訪者か。

 厄介だ、と思う。

 先日のクーハバインのケースと同様だ。融合している地球人の来訪者を相手にする時には、有効な攻め手が限られる。地球人にしか効かない攻撃も、来訪者にしか効かない攻撃も、そのどちらとも言い切れない今の彼らには通じない。どちらにも効く弾丸もあるにはあるが、あまり使いたくはない。

 融合を終えてなお、柊の外見はおおむね地球人のそれだ。ただ上半身の肌のほとんどが、神秘的な光沢を保つあかい甲殻に置き換えられていることを除いて。

「強いな、あれは」

「だろうな」

 拓夢は重く息を吐く。

 視線は柊とドルンセンジュ、混ざり合った二人に向けたまま、

「どうする」

「どうしたものかな」

 悩んでいるかのように答えたのは、限りなく嘘に近い。答えはもう、ほぼ出ている。

「借りていいか」

「やれやれ。わかってはいたが、やはりそうなるか」

 メリノエは、緊張感なく首を振る。

「まずは様子見と言いたいのは山々なんだけどな。それで瞬殺されるわけにもいかねえし。そもそも、決闘には全力で挑むのが作法ってもんだろ」

 拓夢は、正面を向いたまま、右腕だけを右へ突き出した。

「作法とまで言われると、拒めんな」

 メリノエは、正面を向いたまま、左腕だけを左へ突き出した。

 ふたつの拳が、軽くぶつかり合う。


「“遠き星のともよ、微睡む小さき泡よ”」拓夢は吟じた。

「“遠きときすえよ、終天しゅうてんの彼方の光よ”」メリノエが応じた。


 まるで魔法の呪文のようだ、と拓夢は思う。

 その正体は、一種の認証コードだ。力を振るうたび眠りに引きずられるメリノエは、平時はうっかり全力を出さないように、能力にロックがかけられている。これを、調停者との皮膚接触および規定長の音声認証によって解放する。

 妙に遠回しで詩的な言い回しになっているのは、メリノエの強い希望によるものだ。その真意はわからなかったが、珍しく真面目な顔の彼女に圧されるようにして、拓夢はそれを…この呪文めいた、あるいは祈りめいた認証コードを受け入れた。


「“かげしずかに漆桶しっつうに落ちる”」拓夢は続けた。

「“よすがはかな敗忘はいもうとろける”」メリノエも続けた。

「“き夢を”」拓夢はコード入力を締めた。

「“つよ彼誰かわたれの時を”」メリノエもそれに応えた。


 熱が溢れた。

 そう感じた。

 実際に溢れたのは、深紫色をした無数の糸だ。拓夢の周囲の空間から飛び出してきたそれらは、瞬時に拓夢の全身に絡みつき、締め上げ、同時に自らを編み上げる。

 成形に必要とした時間は、せいぜい二秒ほど。ゴム弓を弾くような音とともに、は具現化を完成させる。

 意識を失った少女の体が、その場に倒れ込もうとする。寸前で抱き止め、近くの街路樹のそばに横たえる。

 さて――

「急がねえとな」

 呟き、視線を改めて柊らへと向ける。

 バイザー越しの視界は、少しだけ狭い。が、不便はない。

 まだ距離がある。だいたいの目算で、水平方向に30メートル、垂直方向に10メートル。むろん、走ったり飛び跳ねたりで詰められる距離ではない。生身のままなら。

 地を蹴る。

 小型のミサイルを撃ち込んだような炸裂音と、それにふさわしい衝撃。足元のアスファルトが砕け、拓夢の体は高く宙へと打ち上げられる。数十メートルの距離が、見る間に零へと縮められる。

 柊の目が、驚愕に見開かれる。

 拓夢は蹴りを繰り出した。紫電の軌跡を描いた右脚で、柊の首を狩ろうと試みる。直撃は右の腕甲で防がれ、衝撃で3メートルばかりの距離をとられる。

 庭園の床に着地、すぐに間合いを詰めようと重心を下げたところで、身をよじる。白い一筋の光条が拓夢の脇腹を舐める。跳ねるように回避機動。続けて六条ばかりの光が拓夢を追い、回避されて夜の迫るオフィス街の中へと消えてゆく。

 来訪者ドルンセンジュの持つ力はふたつ。自分たちの精神力をエネルギーに転化して溜め込むものと、そのエネルギーを光弾として放出するもの――そう聞いていたのだが。

「連射が利くたあ聞いてねえぞ!? 話が違いすぎねえか!?」

「おや! 過小評価してくれていたのかね!?」

「してねえよ、してねえはずなんだがなあ!」

 悲鳴じみた叫びをあげながら、避け続ける。近づく隙がない。

「文句を言いたいのはこちらも同様だ! 一体何だね、それは!」

 一方で、柊のほうにも余裕はない。接近戦になれば拓夢のほうが有利なのは間違いない。距離が離れている間に勝負を決めてしまいたいが、しかし、必殺の光条のことごとくが拓夢に当たらない。

 両者ともに、余裕はない。

「君のパートナーの能力は、地球人の道具を模すものだと聞いていたのだがね!?」

「ああ、その通りだよ! パワードスーツは、地球人の道具だろ!」

 拓夢は今、頭部を含む全身を、淡い光を放つ深紫色のスーツに包んでいる。その表面は金属板のようでもあり、同時に上質の絹布のようでもある。その構造は中世の騎士鎧のようであり、同時に、死者を包み込む葬儀用の亜麻布のようでもある。

 これは、メリノエの夢の、最も深いところに咲く花。

 そして、彼女が地球上で引き出しうる、最も強い力。

 見た目通りの鎧としても、もちろん機能する。しかしその一番の性能は、それが本来は夢の中のモノであるということ、現実に在りえない存在であるということにこそある。つまり、これを纏っている間、拓夢の体は現実の束縛からわずかに解き放たれる。速度、強度、出力、そういった諸々の全てが、常識的な限界の外へと踏み出す。

 メリノエいわく、名をクロクゥスというらしい。

「そうか!? 私はてっきり、特撮ヒーローの強化スーツの類いかと!」

「似たようなもんだろ、用途は同じだ! すげえパワーで、すげえことをする!」

 ドルンセンジュの光は、本来、エネルギーを溜めてから撃つもの。連射をするには無理をしなければいけない。そして無理は、いつまでも続けられるものではない。

 拓夢は踏み込んだ。一筋の光条をかわしきれず、まともに脇腹に受ける。熱と衝撃。だが耐えきれる。速射性を得るために、威力が犠牲になっている。クロクゥスの装甲を貫くほどではない。

 無理矢理に距離を詰め、渾身の拳を放――


 轟音。


 至近距離で爆発が起きた。罠にかけられたとすぐに悟った。

 速射した光条では威力が落ちるということを、当然、柊は理解している。ならば当然、それを補う戦術を持ち込んでいる。この戦場に予め爆発物を仕込まれるか、あるいは戦闘中にばらまかれるかしていたのだろう。それを、柊の光条が撃ち抜いて起爆した。

 浮遊感。足場がなくなった。

 爆風に、空中庭園の外――三階の高さの空中に押し出された。

 爆発そのもののダメージは小さくとも、この状況はまずい。足場がなければ、当然落下する。距離が離れ、狙い撃ちにされる。

!」

 叫ぶ。言葉に反応し、クロクゥスの踵のユニットが強く光る。落下が止まる。

 虚空を足場に、体勢を立て直す。

 ――風が強い。風の音も強い。

「ハハッ、まったく驚いた! そんなことまでできるというのか!」

 それを押しのけるようにして、柊の声が聞こえる。

「ますます特撮ヒーローだ、夢がある! 玩具化して売り出したいくらいだ!」

「悪いがこいつぁ、うちの相棒のプライベートな夢でな! 非売品だよ!」

「そいつは失礼した!」

 柊の両肩と両手に光が灯る。弾幕を張られる、と察する。


 急がなければいけない。

 この戦闘に費やせる時間は、あまりない。

『クロクゥスは、吾の夢の最も深いところに咲く力だ』

 かつてメリノエは、こんなふうに説明していた。

『それを現実こちらに留めようとするなら、その間、吾自身が夢の内に留まらねばならん。だが、』

 彼女は語った。メリノエが眠ると、本来、彼女の能力で引き出されていた道具は維持できない。夢は夢に還る。すべてはあの、花弁めいた光の欠片に砕けて消える。

 クロクゥスも、例外というわけではない。

 本来ならこれは、現出と同時に砕け散るはずのもの。こうして纏っていられるのは、メリノエと拓夢とのパートナー関係を悪用した裏技のようなものだ。拓夢自身がクロクゥスに包まれ、メリノエの夢に溶け込むことで、無理矢理に彼女の役割を代行している。夢に還ろうとするクロクゥスを、現世に繋ぎとめている。

『とはいえだ。そもそも地球人ヒトに扱える領域の力ではない。只人ただびとであれば五秒と維持できぬ。お主は只人ただびとではないが、だからこそ、扱いを損ねれば別の末路へと踏み込みかねん』


 無理は、いつまでも続けられるものではない。

 これは柊だけの話ではない。拓夢にとっても、同じように言えてしまうことだ。

 残された制限時間は、せいぜい三分。

(言われてみりゃ確かに、特撮ヒーローっぽいかもしんねえな)

 柊に見えないように、拓夢は苦笑する。

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