10.東京ソーマトロープ~崩壊~

 ああ――、そうだったっけか。

 戦いの最中、夢の中で聞こえていたあの声は、幻聴ではなかったのか。

「夢太郎さん、ですよね」

 ゆっくりと、拓夢は振り返る。

 もちろん、寂院夜空がそこにいる。

 なぜ、という疑問が当然浮かんだ。すぐに脳裏から押しのけた。彼女がここにいる事実に向き直ることを優先した。

 夢太郎さん。畔倉夢太郎。そういえば、いつだったか彼女に、そう名乗ったこともあったか。思い出そうとする。その時の自分は、どのように振る舞っていたのだったか。

「やあ」

 紳士的に、と心がけていたような気がする。紳士とやらがどういうものなのかはわからないが、とにかくそういう方向性で。

「奇妙なところで出会うものだね、お嬢さん。散歩の途中かな?」

 こんな感じだろうか。おしゃれな帽子があれば、つばをちょいと持ち上げていたところだ。

「教えてください、何があったんですか!」

 拓夢の振る舞いにまったく構わず、夜空は叫ぶ。

「街が、おかしいんです! みんな、気がつかないし、操られてるみたいだし、それに、ここで何があったんですか! その人は……」

 倒れた柊のほうを見る。さすがに声を落とし、

「どうなったん、ですか……」

 まじかよ、と拓夢は思った。天を仰ぎたくなった。

 何がどうしてこういうことになったのかはわからないが、どうやら“今日”の寂院夜空は、この閉鎖市街のいろいろな異常に気付いてしまった。そして、その異常を追いかけた結果として、この場所に辿り着いた。

 誰かに導かれたというわけではないのだろう。だから、何が起きているのかを理解はしていない。混乱している。混乱したまま状況に立ち向かおうとしている。

 どんだけ強い子なんだよ、と思う。

 突き放さないと、と思う。

 助けられたけれど。嬉しかったけれど。これ以上この人を、自分たちの事情に近づけたくはない。変わらず大切な人ではある、だからこそ遠ざけておきたい。拓夢少年としてではなく、成人の畔倉拓夢として、そう思う。

「……済まないが、お嬢さん」

 拓夢は首を横に振った。

「答えることはできない。すべて忘れて、帰りなさい」

「でも」

「先の戦いの中、声援をいただいたことには、感謝しているよ」

 感謝などという言葉で済ませることに、小さくない罪悪感があった。あの声にしがみつかなければ、夢から醒めることはできなかった。

 拓夢は、夜空に背を向けた。

 夜空はそれ以上、何も尋ねてはこなかった。近づいてもこなかった。

 歩き出す。


 改めて、ビルを見上げる。目的地は二十八階。どうやって上ったものだろうか。エレベーターは動かないだろうし、非常階段を駆け上るしかないだろうか。

「降ろせ」

 腕の中、メリノエが薄く瞼を開いている。

「足を、いや翼を出そう」

「大丈夫なのか」

 尋ねながら、言われた通り、地に降ろす。

 どう見ても、まだ完全に目覚められていない。表情は硬いし、手足の動きもぎこちない。他の誰かであれば寝惚けているだけで済ませられる話だが、ことメリノエの場合に限っては、それはまだ消耗から回復できていないことを意味する。

「例によって、クライマックスを丸々見逃したようだからな」

 特大のあくびをひとつ、

「その後に階段を延々上るシーンなど、見たくはない」

「映画じゃねえんだぞ」

「似たようなものだ。面白いだのつまらんだのと騒がれはしつつ、その声に構わず楽しんだ者が結局は勝つだろう」

 ふわりと、メリノエの手が踊るように動いて。淡い光が弾けて。

 その一瞬後には、その手の上には、全長1メートルほどの、ハンググライダーのミニチュアめいたものが載っていた。

「これで飛べと?」

「無論」

 グライダーという装備は構造上、ある程度の大きさスケールがなければ揚力を確保できないし、そもそも自身の機能で高度を確保するようにはできていない。そういう常識があるはずではあるのだけど。

 とはいえまあ、メリノエの道具に対し常識それを言いだしても始まらない。彼女が空を飛ぶための道具を出した以上、問題なく空は飛べるのだろう。割り切ろう。

 装備する。再びメリノエを抱き上げる。

 ふと、一度だけ振り返る。黒髪の少女が、こちらを見ている。

 その表情を見て、理解する。彼女は諦めていない。この場でゴネても拓夢――ではなく彼女にとっては夢太郎か――を困らせるだけだから黙っているだけで、彼女自身の中では、何も終わっていない。

 困った人だ、と思う。

 それでこそ先輩だ、と思う。

 近づいてほしくないという願いは変わらない。安全な場所にいてほしい、それは絶対だ。けれど同時に、かっこいいままの彼女でいてくれたことが、とても嬉しい。

「頑張ったな、拓夢」

 腕の中から、誉め言葉が聞こえた。

「何の話だ?」

「色々だ」

 細かく説明する気はないらしい。それきりメリノエは黙り込む。

 何だよそれ、と拓夢は苦笑し、地を蹴る。グライダーの形状をした来訪者アイテムの力が、とんでもない推力を生み出した。航空力学の常識をすべて無視し、古典に語られるUFOのような稲妻軌道を描きながら、空を駆ける。


      ◇


 近づくな、と。関わるな、と。

 言われて反論ができなかったのは、それが完全な正論だったからだ。

 なにせ、自分がここにいる理由を、自分でも説明はできないのだ。

 理屈はわからないけどこっちにあなたがいると確信できたので、直感に従ってここに来ました――などと正直に言ったところで信じてもらえる気がしない。盗聴器とか発信機とか使いましたとかのほうがまだ通じそうだ。

 だから、退いた。けれど、諦めてはいない。

 もう一度追いついてやる。そして次こそ問い詰めてやる。理屈のわからない力で空を飛ぶ夢太郎の背中を、夜空はにらみつけている。

「お嬢さん」

 声をかけられ、我に返った。

 砕けたアスファルトの上、血塗れの赤い男が倒れている。

「彼らの知人かな?」

「え……あ、はい……」

 素直に答えていた。

 致命傷を負っているようにしか見えなかった。生きて、話せることが不思議ではあった。しかし、非常識な光景を見すぎて、その辺りの感覚が麻痺していた。

「って、生きてるなら! だ、大丈夫ですか、救急車呼びますか!?」

 駆け寄る。

「んんんん、素晴らしい! とても常識的で、良識的だ。その考え方は美徳だ、大切にしなさい」

 嬉しそうに言ってから、男は大きな血の塊を吐き出す。

「ちょっと!?」

「それはそれとして、無駄なこともやめなさい。私はもう助からない。相棒が離れようとしないおかげで、多少死ぬまでの時間が延びているだけだ」

「待っておじさんなに言ってるの!?」

「あの青年のせいではない。責めないであげてくれたまえ」

「いやいや!?」

 だから、こっちは、何もかもについて、わけがわかっていないのだ。状況が誰のせいだとか責める責めないだとか、そういうことを考える段階に至っていないのだ。

 いやこれよく考えたら殺人じゃんとか、でもよく考えたら決闘してたみたいだから大丈夫なのかなとか、いやもっとよく考えたら決闘自体が日本の法律じゃ犯罪だよとか、筋のズレたことが頭に浮かんでは消えていく。つまり、まだ混乱している。

「――もしも、だ」

 死にかけの男が、構わずに続ける。

「もしも、明日以降も思い出すことがあったなら――――彼の力に、なってほしい」

 だ! か! ら! 言われている意味が、わからないっての!

 混乱している人に、あまり思わせぶりなことを言わないでほしい。

「部外者扱いされているみたいなんで、約束はできませんけども」

 うめくように、夜空は答えた。

「そのつもりでいます。あのひと、よくわからないけど、放っておけない」

 そうだ。自分で言って、ようやく気付いた。

 わからない尽くしのこの状況で、ひとつだけ、腑に落ちた。寂院夜空は、畔倉夢太郎を名乗るあの男を、なぜだか放っておけない。放っておいてはいけないと感じている。それが、今こうして動いている自分の、原動力だ。

「だから……」

 安心してください、と言うつもりだった。

 男は目を閉じていた。

 血に汚れたその口元には、満足そうな笑みが浮かんでいた。

「…………」

 今度こそ死んでいる、と夜空は気づいた。

 これまでの人生の中、こんなに近くで人の死を見たことはなかったはずだと思う。けれど思っていたよりもずっと自然に、その事実を受け入れられた。

「……何なの、もう」

 爆音を、聞いた。

 見上げる。目前のビルの上層階――たぶん二十八階――が、火を噴いている。

 アクション映画のクライマックスシーンだ。完全に観客の心境になって、夜空はその光景を見上げている。


 ぎしり、と何かが軋む音を耳元で聞いた。

 バキン、と何かが割れる音を続けて聞いた。


 巨大な機械音も聞こえてきた。無数の歯車とカムとクランクが、回りながら自壊している。破壊されながらも、設計された当初の機能に従って、最後のひと働きをしようとしている。何も理解できないまま、夜空はただ、その場所に居合わせる。

 世界の終わり、という言葉が頭に浮かんだ。

 世界は灰色に染まり、崩れ始めるのだと。時間が止まって、壊れて、巻き戻るのだと。見えてもいないし感じ取れてもいないけれど、そう感じた――

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