第15話 王城の華やかな一角にて・1

「レオーネお兄様! ようやく来てくださったのね!」

 エテルノでもっとも重要な建物である王城の、王族が住まう棟。金の縁取りがされた白い扉の部屋にレオーネが入ると、部屋の一角に立てられた間仕切りの向こうから明るい金髪の少女が姿を現した。

 あらあらと笑いさざめく女官たちの笑い声を気にもせず、少女は色とりどりの待ち針がついた仮縫いのドレスを着たままレオーネに抱きついてこようとする。そんな彼女を直前で押し留め、レオーネは呆れの息を吐いた。

「イザベラ。先月で十三歳になったのだから、もう少ししとやかにできないのか。十三歳といえばもう立派な淑女だぞ。アルドロヴァンディ伯爵家のドロテーア嬢は」

「あの方はそういうふうに育てられているからでしょう? お父様とお母様はこのくらい元気なのがいい、とおっしゃってくださったわ。お兄様は堅苦しすぎるのよ」

「イザベラ」

「それよりお兄様」

 兄の説教を途中で遮り、制止も無視して金髪の少女――イザベラは兄を見上げた。

「ラツィオを城下へ向かわせたと聞いたわ。しかも、馬車二台の手配をして。でもお兄様が乗っていらっしゃらない……ということは、インノツェンツァと母君を別荘へ行かせたのよね?」

 そう兄に問いかけてくる妹の目は、これ以上なく期待で輝いている。ついにインノツェンツァと会えるのだ、と考えているに違いない。

 人がしゃべっているのを遮るなんて淑女らしからざる振る舞いだが、周りの侍女たちはいつものことと顔を見合わせ苦笑しているばかりだ。もう怒る気にもならないらしい。

 妹の相変わらずの我がままぶりに、レオーネは額に当てて息を吐き出すしかなかった。

「違う。インノツェンツァは息抜きにラエティスの森へ連れていって、リーヴィア殿も参拝のためロッタ神殿へお連れしただけだ。二人とも、夕方には帰宅している」

「ええ? じゃあインノツェンツァに会えないの? お兄様の意地悪!」

 レオーネの説明にイザベラは表情を一変させた。腰に手を当ててレオーネを睨みつける。予想に違わない反応だ。

 なんでこうも我がままに育ったんだ……。

 ため息を吐きながらもどうにか妹を宥め、レオーネは侍女たちに茶の用意を命じた。ほどなくして、よく手入れされた庭園の一隅にテーブルと椅子が用意され、二人分の紅茶と茶請けが運ばれてくる。

 すべての用意を終えた侍女が一礼して下がり、その姿が見えなくなったのを横目で確認したあと。イザベラはすぐ口を開いた。

「それでお兄様、インノツェンツァの様子はどうなの? 無事よね?」

「ああ。相変わらず城下で‘アマデウス’を弾いている。先日は彼女の家の近くに通り魔が出たそうだが、彼女には怪我ひとつない。職場へ行ったが元気そのものだったぞ」

「よかった。今噂の通り魔って庶民も貴族も関係なく殺すのでしょう? 不思議な黒光りする石で一息で喉をかき切ってしまっていて、狙われて助かった人は最近までいなかったそうだし。私、心配だったの」

「……何故お前が、被害者たちの死因を知っているんだ」

 十三歳になったばかりの王女が知っているべきではない情報である。彼女を地位に相応しい淑女とするべく日々心を尽くしている侍女や教師たちが、まさかそんなことを話しているとは思えない。

 兄が不審がっているというのに、イザベラはあっけらかんとしていた。

「庭で遊んでいるときに、警備の兵たちが話しているのを聞いたのよ。私に全然気づいていなかったわ」

「……」

「そんなことより、通り魔は捕まえられそうなの? 私とそんなに変わらない歳の男の子が犯人らしいって、警備の兵たちは噂していたけど。何か有力な手がかりは見つかってるの?」

 肩をすくめ、悪びれないどころかいっそ堂々とした態度でイザベラはさらなる情報提供を要求してくる。レオーネは頭が痛くなった。

 どこをどうしたらこんなふうに育つんだ……!

 一体どこから説教をすればいいのかわからない。嫁いだ姉は淑女の手本であるのに、この違いはどういうことだろうか。それに兵士たちも、十三歳の小娘の気配に気づかないとは気が弛みすぎだ。

 ため息もできず、レオーネはテーブルに片膝をついて頭を支えた。

「……いや、まだ捕まられる見通しはたっていないそうだ」

「まあ、まだ捕まえられそうにないだなんて! 赤竜騎士団は何をやっているの? やっぱりトリスターノお兄様を団長にするなんて間違っていたんだわ」

「いや、手がかりがないなら、誰が団長でも捕まえようがないと思うが……」

「それでも、トリスターノお兄様が赤竜騎士団の団長なんておかしかったのよ。民のことなんてどうでもいいと日頃から公言なさるような方だもの。捜査に手を抜いていたに違いないし、今だって体制の一新で捜査に専念できていないのでしょうし……本当に最後まで無責任な方!」

 一応正論を述べるレオーネだがイザベラは聞く耳持たずで怒る。彼女は次兄をこの上なく嫌っているのだ。慕うインノツェンツァが彼に貶されているところを何度も目撃しているのだから、当然だろう。

 とはいえ内心ではレオーネも妹に共感していた。父王が更生を願う気持ちも理解できなくもないが、あの次兄に改心などできるわけがない。赤竜騎士団長の人選はエテルノの民の安全に関わることなのだからそもそも就任させるべきではなかった――――というのがレオーネの率直な気持ちだった。

 紅茶を一口飲むとイザベラは真剣な顔で尋ねてきた。

「ねえ、レオーネお兄様。トリスターノお兄様が証言したように、金髪の男の子が通り魔だったって思う?」

「なんとも言えないな。前々からそのような話は聞いていたが金髪の子供の物乞いは城下にいくらでもいるし、兄上の証言は信じがたいことばかりだ」

 だが、とレオーネは眉間にしわを寄せた。

「実際に兄上の杖は鋭利な刃物で切断されていたし……魔法使いが調べたところ、馬車には魔法とも違う力が使われた痕跡が残っていたそうだ。これまでの通り魔事件のことと合わせて考えれば、犯人が人外――精霊の可能性は否定できない」

「精霊が犯人だなんて……同胞を傷つける人間に対して怒っているのかしら」

「……そうかもしれないな」

 顔を曇らせるイザベラに、レオーネは曖昧に答えた。

 しかしレオーネにはそうとしか考えられなかった。トリスターノはサラマンダーをルビーに閉じこめ、その力を好き勝手に使っていたのである。それに連続通り魔や窃盗の被害者を改めて調べてみた結果、何人かは精霊保護法に違反していたこともわかったばかりだ。

 もし精霊が同胞を取り戻すためにエテルノの民を襲っているのなら、精霊保護法の例外事項が適用され排除――ほろぼすことは可能だ。というよりそれが最善だろう。

 だがそれは本当に仕方ないことなのか。同胞を助けようとする健気な精霊を、人間の愚かさと残酷さの犠牲にしていいのか。精霊を愛したジュリオ一世の子孫として、レオーネには割り切ることが難しい。

 ジュリオ一世ならこんなとき、どうするだろうか――――――――。

「……ねえ、レオーネお兄様」

 兄の葛藤を知ってか知らずか、唐突にイザベラは言いだした。

「インノツェンツァを城で守ってあげられないかしら? エテルノは危険だもの。王城が嫌なら、王家の別荘で母君と一緒に匿えばいいのよ」

「いや、無理だろう」

 レオーネは即座に首を振った。

「私も先日彼女の職場でこちらへ来いと誘ってみたが、いい顔をしなかったからな。母君の医療費についても、半額は払うと言って聞かなかったし。宮廷音楽家の職を辞した自分が王城へ私たちに会いにいく――――というのはあまり気が進まないようだ」

「……はあ、やっぱりそうよねえ。インノツェンツァだもの。真面目なのよね」

 イザベラは大きなため息を吐いた。

「じゃあ私を城下へ連れていってちょうだい。レオーネお兄様かラツィオが一緒なら、いいでしょう?」

「駄目だ。お前をそう簡単に城下へ連れだせるか。いくら民の生活を知るのは王族に必要なこととはいえ、父上だって今お前が城下へ行くのを許すわけがないだろう。母上もきっと心配なさる」

 というよりこの好奇心旺盛なじゃじゃ馬娘が城下へ行けば、インノツェンツァと会う前に何をやらかすかわかったものではない。物騒で余計な情報を仕入れてきても困る。

「どうして? レオーネお兄様は一人で自由に会っているじゃない。夜に行ったこともあるんでしょう?」

「私は仕事の合間を縫っているし、なるべくインノツェンツァの仕事の邪魔にならないようすぐ帰っている。お前は違うだろう。会えたからと彼女の職場に何時間も居座りかねない。彼女の家だって、何時間も王侯貴族を迎えていられるような場所ではないしな」

「……」

 レオーネが淡々と理由を挙げていくと、イザベラは黙りこんだ。自分がインノツェンツァの仕事の邪魔をしないよう配慮できる、と自分でも断言できないからだろう。

「……レオーネお兄様ばかりインノツェンツァと会えて、ずるいわ」

 うつむき加減で頬をふくらませ、イザベラは力ない声で文句を言う。降参のようだ。

 引き留めることができたのはいいが、こうも落ちこまれると良心が痛む。

 まったく……インノツェンツァが会いにこないからイザベラがこうも駄々をこねるんだ。

 レオーネは心の中でインノツェンツァに文句を言った。

 先日の夜に誘いはしたが、インノツェンツァは王城へ来たがらないだろうとレオーネも予想がついていた。短気で考えなしで音楽馬鹿のあの幼馴染みは、生真面目な一面があるのだ。

 だがレオーネからすれば何をこだわっているのか、でしかない。王城で過ごした日々は間違いなく彼女の一部なのだ。自分の一部から距離を置き、さらには自分を慕う者とも会おうとしないなんて馬鹿げている。

 インノツェンツァの意思は尊重すべきだ。しかし兄としては、妹をあまり悲しませたくないのである。

 ああもう、とレオーネは心の中で舌打ちした。

「……わかった。今すぐは無理だが、音楽会が終わってから城下にあるインノツェンツァの職場へ連れていってやる」

「ほんと?」

 レオーネの根負け宣言に、イザベラはぱっと顔を上げた。表情の変化の速さにレオーネは苦笑する。

「ああ。ただし、父上と母上の許しがあればだが」

「……! あとで話に行くわ。ありがとう、レオーネお兄様!」

 先ほどまでの落ちこみはどこへやら、満面の笑みになってイザベラは礼を言う。それを嬉しく思いながらも、レオーネは自分の甘さを笑うしかなかった。

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