第26話 真実と願い・1

 世にも恐ろしい顔でインノツェンツァに迫る息子を国王がたしなめたのは、それからすぐのことだった。

「仕方ないじゃんか……私だってこんなことになるなんて全然想像してなかったんだもん……そもそもスアーロたちには、ヴァイオリン入れの外へ出ないよう言ったしさ」

「それ以前に知っていたことは、先日城へ来たときに話せただろうが。今までの様子からすると前々からいくらかは把握していただろう、お前は」

「うっ」

 神官長と国王が他の参加者たちを一度別室へ連れていっているあいだ待機しているようにと、マリアにロッタ神殿の奥の広間から一番近い一室へ案内されたあと。椅子に腰を下ろしてぶつぶつ文句を言っていた端から即座に指摘され、インノツェンツァはぐうの音も出なくなった。

 確かに城へ行った頃には大体のことを把握済みだったのである。ロッタ神殿の奥に何があるのかも、精霊たちのことも。話そうと思えば話すことはできた。

 インノツェンツァは隣の席に座るレオーネのほうを向き、眉を下げた。

「……黙っててごめん。あの子のことは話すと色々まずいことになりそうだし、どうやって知ったのか聞かれないようにするには黙っとくしかないって思ったの」

「それでも、私は今までずっとお前の味方をしてきただろう。表沙汰にするとまずいことなら、しかるべき処置をとればいいだけだ。大ごとになりそうだと知って、私がなんの手立ても講じない人間だと思ったのか?」

「いやまあ、そうだけど」

「しかもあんなとんでもないことになっているのに、肝心のお前ときたらけろりとしているし……」

 両腕を組み、レオーネはぎろりとインノツェンツァを睨んで言う。反論できないインノツェンツァは目をそらすしかない。

 こうなるのはわかってたから言いたくなかったんだよ……っ!

 庇ってくれそうなアルベロとスアーロは今、インノツェンツァのそばにいない。ノームの少年によると、彼や目覚めた精霊たちが何かやらかさないか心配なので見張ることにしたらしい。

 ともかく、レオーネは怒っているというよりも拗ねているのだろう。インノツェンツァがこんなとんでもない話を自分に相談せずにいたから、そんなに頼りないのかと。への字に曲がった口元が証明している。

 鬱陶しいほど友情に厚く、高貴な者の義務を呼吸のように果たす彼らしい。だからインノツェンツァは腹が立たなかった。

 不意に部屋の扉が開いた。国王と王太子、神官長が中へ入ってくるのを見てインノツェンツァは慌てて立ち上がる。

「いいよ、座っていなさい。疲れているだろう?」

 王太子は微笑み、着席をインノツェンツァに促す。ちらりと視線を弟に向けたのは、まだ口をへの字に曲げていたからだろう。そろそろ機嫌直してよ、とインノツェンツァは心の中でため息をついた。

 機嫌を直さない三男のことはひとまず放置し、国王はさてと話を切りだした。

「まずはそなたに謝らないといけないな。……トリスターノの愚行のことだ」

 国王の穏やかだった表情が言葉と共に曇り、眉間に深いしわが寄った。

「トリスターノがそなたを擁立したと聞いたときから、そなたは脅迫されているのだろうと察してはいたのだ。そなたはここを去るとき、城下で静かに暮らすのだと言っていた。その言葉を違え、ましてやあれほど仲の悪かった愚息が擁立するのだ。何か理由があるはずだと思った」

「……」

「だが神官長に止められたのだ。『強要されたとはいえ、インノツェンツァは随分とやる気を出していると聞く。それに水を差すのはかえって彼女のためにならない』とな。……それに、余もそなたならばもしやと期待していたのだ。だからトリスターノを止めなかった。……すまなかった」

 国王は座ったままであるものの、そうインノツェンツァに頭を下げた。

 インノツェンツァはぎょっとした。かつての主君であり幼馴染みの父親である国王の謝罪なのだから当然だ。

「へ、陛下、頭を上げてください。私は陛下に対して腹が立ってるわけじゃないですし」

「子供の不始末は親の不始末だろう。そなたとて大層不愉快な目に遭ったはずだ」

 何を言っているのか、といったふうに国王はインノツェンツァに返してくる。王太子とレオーネもまったく同じ顔だ。

 インノツェンツァはぐ、と胸元で拳を握った。

「……陛下が仰るように、トリスターノ王子には腹が立っているんです。脅迫されましたから」

「……」

「でも。トリスターノ王子が私を無理やりこの音楽会に参加させたことは王子自身が考え、実行したことです。陛下が指示なさったことではないのに、陛下の責任を問うつもりはありません」

 インノツェンツァはそう、へらりと笑ってみせた。

「だから、私はこれでよかったと思っています。陛下が私に謝られる必要はないのです」

 インノツェンツァはそう、頭を上げた国王に告げた。

 まあそりゃ、あの馬鹿王子をもっと早く止めてくれてたらとは思うけどさ。赤龍騎士団の団長職を辞めさせるくらいはできるわけだし。

 だがトリスターノはもう成人しているのだ。自分の考えで決めたことを誰かのせいにはできない。第二王子という立場であればなおのこと。

 他の者も、彼がしたことを他の誰かの責任にはできないのだ。

「……そうか」

 ややあって、国王の表情に別の色が浮かんだ。

「そなたのように、あれもまっすぐな気性であればよかったのだがな。……人の上に立つ者として身につけるべき価値観を学ばせられなかった私が言うことではないのだろうが」

 そう窓に向けた眼差しやこぼす声音からにじむのは深い自嘲や後悔、やるせなさとしか言いようのない感情だ。我が子の愚行に振り回され疲れた父親そのものだった。

 それからインノツェンツァは国王に促されるまま、夜道での出会いから始まる精霊たちとの交流について語った。

 インノツェンツァが話し終えると、レオーネはじろりと彼女を睨みつけた。

「……つまり。あのノームの少年は城下を賑わせていた通り魔かつ窃盗犯で、お前は犯人を隠匿したというわけか」

「人聞きが悪いこと言わないでよ。あの子とはたまに会うだけで、どこにいるのかは知らなかったし。かくまってたわけじゃないよ」

「そうだレオーネ。彼女は、そのノームがガレルーチェの民を殺めるのを止めようとしたのだ。責められぬ」

 インノツェンツァが口をとがらせてレオーネに反論すると、国王は彼女を擁護する。父王にそう諭されてはそれ以上何も言えないようで、レオーネはむすっとした顔で黙った。

 ここにきて、それまでずっと黙っていた神官長が口を開いた。

「フォルトゥナータ。先ほど魔法を発動させたあの箱はなんなのだ。そなたはあのノームから聞いているのだろう?」

「はい。でもまずは、あの箱が何故あそこにあるのか、からですね」

 レオーネに顔を少しだけ向け、インノツェンツァは苦笑した。

 ――――ガレルーチェの建国間もない頃。ジュリオ一世は精霊たちが人間に傷つけられ死んでいくことを悲しみ、彼らを癒すための装置を造ることにした。丘の上にあるさびれた神殿の中に神の力を招き大自然の力を注ぐ魔法をかけた装置を置いておけば、精霊たちは自由に傷を癒すことができると。

 彼はそんな神話のような装置を現実にできるほど、優れた魔法使いだったのだ。

 精霊たちはこの計画に賛同した。装置を造るための材料の提供にも、装置の製造にも力を惜しまなかった。

 だが完成した装置に傷ついた精霊たちを入れて魔法を発動させようとした直後、ジュリオ一世は暗殺されてしまう。装置の魔法は中の精霊たちを守るべく防衛機能を作動させ、中の精霊たちは眠ったまま装置に閉じこめられてしまった。

 父王の葬儀を済ませ、装置について丘の上の精霊たちから聞いたあと。ベルナルド一世は今後のことを精霊の長老と話しあった。精霊たちも装置の建造に協力はしたものの、魔法をかけて完成させたのはジュリオ一世であるためどうすれば装置を再び作動させられるのかわからなかったのだ。

 その結果。装置はガレルーチェ王家が必ず起動させることと、精霊たちはそのために丘を人間に明け渡すことが取り決められた。精霊たちの移住先には近郊の山や王家が所有する森が選ばれ、丘の上の神殿は霊廟の名目で増改築されて装置の隠し場所となる。

 そうしてベルナルド一世は父のもう一つの遺産――――謎の‘楽譜’こそが装置にかけられた魔法を発動させる鍵であると考え、音楽会を催すようになった。

 失われた‘王の旋律’を現代によみがえらせ、精霊を癒す装置を起動させる。それが王家に伝わる‘楽譜’を奏でる音楽会の真の目的なのだった。

 種族を越えた誓約についてインノツェンツァが語り終えると、王太子はさっそく口を開いた。

「ここにあの装置がある理由はわかったが……何故ベルナルド一世は装置を動かすためにあの‘楽譜’が必要だと考えたんだ? まったく関係がないだろう」

「そう、そうだ。インノツェンツァ。何故そなたはジュリオ一世のあの‘楽譜’を再現できたのだ。そなたは確かに優れた音楽家。だが他の者らとていずれも才能ある者らだ。なのに何故、彼らは曲を再現できなかったのだ」

 息子に続き、国王もインノツェンツァに問う。

 不意にレオーネは眉をひそめた。

「そういえばインノツェンツァ。トリスターノ兄上からいただいた‘楽譜’には正確な音符がないと言っていたな。あれが関係しているのか?」

「うん。……音符に色がついてなかったの」

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