終章
終章 いつもより賑やかに、華やかに
夕日が空を橙色に染めるより早いうちから、『酒と剣亭』は賑わいを見せていた。
他のどの店よりも多くの人々が席を埋め、酒や料理を楽しんでいる。様々なにおいや人々の喧騒が店内からこぼれ、大通りを行きかう人々を中へと誘う。
今日は遅刻せずに出勤したインノツェンツァは、舞台の上でフィオレンツォやウーゴと音合わせを終えた。さてあとは出番を待つばかりと心を浮き立たせる。
しかし何気なく目を向けた一角を見て、ぎょっと目を見開いた。
なんでいるんですかっ……!
レオーネやトビア、マリアはわかるのだ。彼らは時々この酒場を訪れているのだから。母リーヴィアがいるのも、まあ今までもたまに来ていたからおかしくはない。ノームの少年がいるのも、神官長が許可を出したからだろう。
でもなんでイザベラ様がっ……!
この時間ならそろそろ寝る準備を侍女たちに促されているはずだ。音楽会の夜も遅くまでインノツェンツァと一緒にいたがって、侍女頭に隙のない笑顔で強制連行させられていた。
大方、城下を歩きたいというかねてからの願いを彼女が強行しようとしてレオーネが折れたー―――といったところだろう。レオーネが隣で疲れた顔をしているのもそのために違いない。行動力がありすぎる妹を持った兄は大変である。
イザベラと談笑していたリーヴィアは苦労人な幼馴染みへ向けている娘の視線に気づいたようで、苦笑を浮かべた。レオーネも助けてくれ、と言わんばかりだ。
「インノツェンツァ! 演奏頑張ってね!」
イザベラもインノツェンツァに気づき、ぱっと顔を輝かせた。立ち上がってぶんぶん手を振りながら、そんな声を飛ばしてくる。
誰もが食事と会話に夢中な酒場であるが、金髪の愛らしい少女が舞台に向かって自分の存在を主張していれば目立たないわけがない。レオーネにたしなめられるのだが不満そうだ。少し離れたテーブルでマリアの隣に座るノームの少年は、馬鹿じゃないのと言わんばかりの表情である。
愛らしい少女の声援にのって、常連たちもいつもとは違う調子でインノツェンツァを囃したてる。後ろを振り返ればウーゴもくつくつと笑っていて、フィオレンツォは頭が痛そうだ。とっとと始めてくださいとばかりに睨みつけてくる。
あ、穴があったら入りたい……! イザベラ様大人しくしてください……!
恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、インノツェンツァは‘アマデウス’に‘サラサーテ’を添えて構えた。
インノツェンツァがとった拍子に合わせてまずピアノがかき鳴らされ、間を置かずインノツェンツァとフィオレンツォが旋律を奏でる。
定番の、踊りだしたくなるあの陽気な主旋律だ。たちまち手拍子が鳴らされ熱気は増して周囲へ広がり、曲に込められた熱をますますたぎらせていく。それに煽られてインノツェンツァたちの気分も高揚して、指や腕、吐息に熱と力がこもる。
‘精霊の仮宿’でなくなった‘アマデウス’と‘サラサーテ’だが、空っぽになったという気はまったくしない。それはインノツェンツァが魔法使いではないからか、それともアルベロやスアーロと心を通じあわせたからか。風の精霊シルフィードが煙突の上かどこかで聞いていて、装置の中で眠るアルベロとスアーロのもとへこの音楽を運んでくれそうな気すらする。
手拍子とピアノとヴィオラを伴奏に演奏する中。インノツェンツァは演奏中の曲に、酒場中の色から‘生まれ’たたくさんの音が重なっていくのを‘聞い’た。
赤、橙、茶、灰白、緑に黄。毎日繰り返されているのに二度と見ることのない、そのとき限りの変化し続ける‘曲’だ。楽器が奏でる曲に合っているのか合っていないのか、よくわからない。ただ、生命の躍動感を表しているという点では似ていると思った。
曲調に気分が同化しているインノツェンツァは、ふと目の前の旋律を弾いてみたい衝動に囚われた。
この複雑精緻な、今を生きる生命そのものの曲を奏でてみたい。きっととても素敵な旋律なのだ。謁見の間の暗くて重々しい旋律よりもずっとインノツェンツァの好みに合っている。
きっとそんなことをすれば後ろの二人は驚くだろう。間違いなくフィオレンツォに怒られる。演奏の熱に浮かされても残るわずかな理性が、インノツェンツァにそう警告してくるのだ。フィオレンツォに怒られるのは嫌だ。ウーゴも呆れた顔で苦言を言うだろう。
だからインノツェンツァは待つことにした。この曲の最後はインノツェンツァのヴァイオリンで締めくくられる。あの数拍でなら多少好き勝手しても二人に迷惑はかけまい。
曲の終わりが近づき、ウーゴとフィオレンツォの副旋律も激しさを増していく。ほろ酔い加減の若い女が曲に合わせ、テーブルの間でスカートの裾をからげて踊っているのがインノツェンツァの視界の端に見える。
最後の一小節まであと少し――――――――。
王様の旋律 ―再奏― 星 霄華 @seisyouka
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