第24話 そして音楽会は始まった・2

 それからすぐ、ロッタ神殿の神官長に導かれて一同は神殿の奥へと進んだ。

 思い思いに着飾った王侯貴族や音楽家たちは、神々と精霊を祀る神殿の中ではまったくの場違いだった。このロッタ神殿の構造や装飾の配置、配色にいたるまですべてが厳粛な空気を演出するよう計算し尽くされているのだから当然だろう。自分たちが神事に紛れこんだ道化になったような気さえする。

 というかマリアさんや神官さんたちの服も全部、神殿の配色に合わせてあるし……確かここに神官が常駐するようになってから、全体の意匠は変わっても色遣いはそのままなんだよね……。

 そのおかげなのか周囲に同化しているようにすら思える神官や衛兵を横目で観察しながら、インノツェンツァは王侯貴族の後ろを歩く演奏者の集団の最後尾で歩いていた。

 レオーネは前のほうにいるし、マリアも壮麗な内部の装飾につられてか列から外れようとする者をたしなめるのに忙しい。演奏者の中にも顔見知りがいないため、インノツェンツァは一人でいるしかなかったのだ。

 ――――それに。

「……」

 周囲を見回していたインノツェンツァは、ちらりと視線を演奏者たちのほうへ向けた。

 多くの演奏者たちは観光客のように周囲をきょろきょろ見回したり、静かで厳粛な空気に飲まれてか縮こまっている。しかし数人だけはちらちらとインノツェンツァのほうを見ているのだ。

 理由はわからない。だが仕立てのいい服を見る限りは貴族だ。最後尾にいる小娘が第二王子に擁立されていた元宮廷音楽家だと気づいても、不思議ではない。

 こういう視線は今に始まったことではない。宮廷音楽家時代もさんざんこんな値踏みの視線で眺めまわされたものだ。『幸運に恵まれ宮廷音楽家の地位を得ただけ』『たかだか十四歳の小娘』『第三王子と親しい庶民』。インノツェンツァはいつも見下す声に耐え、演奏で実力を示さなければならなかった。

 今のインノツェンツァはあのときのように傷ついたりしない。それでも不愉快には変わりない。演奏の場に立つ音楽家に過去の地位や参加の経緯は関係ないだろう。皆平等のはずだ。

 珍獣扱いが腹立たしくて、インノツェンツァは物珍しそうな視線を向けてくる演奏者たちをじろりと睨みつけた。小娘のささやかな反撃に演奏者たちが素知らぬ顔を逸らすのに、ふんと鼻を鳴らす。

 やがて大きな扉が見えてきて一行は立ち止った。神官長が何かするとややあってから不思議な気配が漂いだし、同時に扉がゆっくりと開いていく。

 そうして中へ入ってインノツェンツァ――――そして他の者たちは絶句することになった。

 まず空気が違う。精霊が壁や天井に生き生きと描かれた広間に足を踏み入れた瞬間から、とてつもない圧迫感が肌を通り越して心臓にまで伝わってくるのだ。

 演奏会どころではない。どんなに重要な行事の場でも、インノツェンツァはこんな誰かにひれ伏したくなるような思いを味わったことはない。

 これどこから……? 奥の祭壇からじゃないのは確かだけど。

 インノツェンツァは一人そっと集団の脇に出た。最奥の祭壇で左右に神々を従えた光の女神像に一度目を向け、それからその手前に視線を移す。

 周囲より数段高く設けられた壇上に置かれている、きらめく塗料で縁どりされた青い布が被せられた白い箱。

 あれだ――――!

 インノツェンツァは何の証拠もなく確信した。

 しかしなんとも奇妙な箱だ。茎から花まですべてが黄金に淡く輝く蔦を絡みつかせた岩が上に乗せられ、完全な封印がされている。

 それに箱の周囲には岩に咲くものとは別種の花が色とりどりに咲いていて、死者に手向けられているかのようだ。壇の下をぐるりと囲む深い水掘も、尋常ならざるものが安置された内を外から隔てているような印象がある。

 だが棺ならもっと細長いはずだ。この箱は正方形だから棺ではない。

 ――――なんで、こんなものを人間が――――……。

「っ」

 畏怖で固められた声が脳裏に聞こえ、インノツェンツァは息を飲んだ。ノームの少年だ。

 この異様な広間の様子と空気に皆飲まれているのか、あるいは異様な気配がすべてをかき消しているのか。さいわい誰も精霊の驚く声に気づいていなかった。

 しかしインノツェンツァがほっとしたのも束の間。見下ろしてみるとヴァイオリン入れが不自然に揺れているのだ。しかもうっすらと光が隙間からあふれ出ている。

 インノツェンツァは自分の驚愕も忘れてヴァイオリン入れを強く抱きしめた。

 お願い三人とも、ここで外へ出ようとしないで。神官長様たちに見つかったら大変なことになっちゃう――――!

 唇をヴァイオリン入れに押し当てるようにして、インノツェンツァは精霊たちに心の中で語りかけた。どうか届くように、と強く願う。

 インノツェンツァの心の声が聞こえたのかどうか。精霊たちはやがて騒ぐのをやめた。漏れ出ていた光は失せ、ヴァイオリン入れも揺れなくなる。誰も気づいた様子はなさそうだ。

 インノツェンツァが心の底から安堵の息をついていると国王や神官長の周辺から、レオーネが父王に疑問をぶつけているのが聞こえてきた。

「父上、あの箱は一体何なのですか? 父上はジュリオ一世の霊を慰めるのだとおっしゃっていましたが、あれが棺とは思えません」

「落ち着くがよいレオーネ。お前が言うように、あれはおそらく棺ではない。ジュリオ一世の魔法が仕掛けられておる」

「!」

 国王が答えるとレオーネは大きく目を見開いた。他の参加者たちも予想外だったのかざわつき、他の者と顔を見合わせる。

 しかしインノツェンツァだけは驚かなかった。ノームの少年から聞いていたからだ。丘の上にジュリオ一世が何を遺したのか、彼は棲み処の長老に教わっていた。

 神官長が静まるよう促すと、ややあって人々は国王の説明を待って口を閉ざす。静粛になったところで国王は口を開いた。

「王家には代々、ジュリオ一世があの箱に細工を施し起動させようとしていたところで暗殺された――と言い伝えられておる」

「……!」

「ベルナルド一世はジュリオ一世の遺志を継ぐため、音楽会を催した。だが箱にかけられた魔法は作動しせず……それ以来ガレルーチェ王家は代々、ここであのジュリオ一世が遺した‘楽譜’を奏でる音楽会を催してきた」

 宝石で飾られた金の王笏を持つ国王の手に力が籠った。

「あれが何なのか、何が入っているのかは私も知らぬ。何故、音楽が魔法を発動させる鍵となるのかも。王家に伝わる書物にも載っておらぬのでな。おそらく歴代の王たちも知らなかったであろう」

「……」

「だがジュリオ一世があの箱に何かを入れ、強力な魔法で封じたのは紛うことなき事実。魔法を解く鍵となるのがあの‘楽譜’であることも、ベルナルド一世が父王の遺した箱を開けることを望んで‘楽譜’の再現に腐心したことも事実だ」

 力強く断言し、国王は一同を見回した。

「この場の意味を明らかにした上で、今一度、余は諸君に問う。この神事に参加するか否か。意義に賛同する者のみあの箱に自ら再現した楽曲を捧げ、またそれを見届けよ」

 威厳そのものの声音が音楽会の意味を朗々と語り、覚悟を居並ぶ者たちに国王は問いかける。空気はいつの間にか重く、張りつめたものに変わっていた。

 ――ほんとに今のこの国の王は、音楽と先祖が好きなんだね。

 ノームの少年の呟きにも似た心の声が、インノツェンツァの脳裏に伝わってきた。その声にはどこか残念がるような、悔しそうな響きが混じっているのは気のせいだろうか。

 うん、そうなんだよ。

 インノツェンツァはノームの少年に答えたくなった。そこにいる偉そうな息子もそっくりな先祖大好き男なんだよ、と伝えたい。

 このノームはフィオレンツォが言っていたように、もっと仲間を守ってくれと国王へ直接訴えればよかったのだ。人を殺さず同胞だけ逃がして、見せつけて。

 この子のために。自分のために。絶対、あの箱にかけられた魔法を発動させてやるんだから。

 そうインノツェンツァが決意を新たにしている一方。ここに集った王族の何人かは単なる異例の音楽会ではないと知って動揺し、戸惑っていた。

 もちろん驚きはしても出ていきそうにない者はいて、その筆頭たるレオーネはだからどうしたと言わんばかりに落ち着いた様子で時を待っている。それを見てインノツェンツァは頬を緩ませた。

 結局、数人の王族が広間を去った。演奏者も一人去ったが、他の者は室内を去っていない。――――動機が報奨か好奇心か、音楽家としての矜持かはわからないが。同じ道を歩む者の欠けがほとんどないことを、インノツェンツァは心の中でひそかに喜んだ。

 かくして、箱開きの儀式は始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る