第23話 そして音楽会は始まった・1
「……?」
下町の祠で神々と精霊に祈りを捧げたインノツェンツァは祠を出てすぐ。二頭立ての目立たない色だが立派な馬車のそばに立つ男の背中を見て眉をひそめた。
なんか見たことがあるような……。
その推測は正しかった。その人物は振り返るとインノツェンツァを見てへらりと笑ったのだ。
「おや、もう出てきてたんだ」
「トビアさん、なんで……」
駆け寄りながらトビアの姿にインノツェンツァは困惑する。何故彼がここにいるのか。しかも馬車のそばなんて、まるで使者のようだ。
インノツェンツァの疑問は表情にも表れていたのだろう。トビアは小さく笑った。
「迎えだよ。ロッタ神殿まで一緒にいてやれって言われたから」
「言われたって……」
「僕、ロッタ神殿の神官長の孫だから」
「はいっ?」
あのもふもふ髭のおじいさんの孫?
あっさりと告げられた事実にインノツェンツァはあんぐりと口を開け、ぱくぱくさせた。
トビアは後頭部を掻いて苦笑した。
「まあびっくりして当然だよね。話してなかったし、祖父と僕は似てないし。神官長の孫が楽器店の店主なんて普通は誰も考えないし」
いやそうでしょう普通……。
トビアの外見のどこを見ても、長い白髭をゆさゆさと揺らして笑う温厚そうな神官長の顔と何一つ重なるところがない。トビアの小さい頃を知る『夕暮れ蔓』の中高年の常連客や職人も、彼が神官長の孫だなんて一度も言わなかったはずだ。
「なんで、神官長の孫が『夕暮れ蔓』に……」
「あの店は僕の母の実家なんだよ。父は神官にならないで母と結婚して、母の実家に婿入りしてね。で、両親が亡くなってからは僕が継いだ。だからまあ、代々経営しているというのも間違ってはいないんだよ」
「じゃあ、ロッタ神殿の神官長がこの前『夕暮れ蔓』に来てたのも……」
「君のことを聞きにきたんだよ。この音楽会を催すと決まったから、参加する王侯貴族に誘われるかもしれないということでね。君は宮廷音楽家だったわけだし」
説明したトビアはでも、と口をへの字に曲げて両腕を組んだ。
「ロッタ神殿へ備品を納品したとき、ついでにこの音楽会のことを祖父に聞いたんだけどね。祖父は全然教えてくれなかったんだよ。守秘義務があるからってさ。それどころか昨日は僕の家へ来るなり、君を迎えに行くよう言うし……まったく、頭が固くて勝手な人だよねえ」
とトビアは息をつく。彼にしては珍しく、不満そうなのがありありとわかる仕草だ。
しかしインノツェンツァはまだトビアの正体を知った衝撃から抜けだせずにいた。雇い主が実は幼い頃から知っていた人物の身内だなんて、世間は狭すぎやしないか。
レオーネが第三王子だって知ったときのフィオレンツォもこんな感じだったのかなあ……いやあれはちょっと違うかもだけど。
「まあそんなわけだから、そろそろロッタ神殿へ行こう? 参加者じゃないから中まではついていってあげられないけど、馬車の中の話し相手くらいはできるから」
気を取り直すようににっこり笑い、トビアはインノツェンツァに手を差しだした。
そうして二人を乗せた馬車がロッタ神殿の参道を上りきったあと。いつもは丘の下から見ていた建物の姿が明らかになった。
四本の尖塔が雲を突き刺さんばかりに伸び、左右対称の建物が鎮座していた。彫像や過剰な装飾はまったくといっていいほどない。しかし鏡映しのように左右で違いのない姿はただ美しく、壮麗で迫力がある。
久しぶりにロッタ神殿を見上げ、インノツェンツァは感嘆の息を漏らした。
神殿の前で馬車から下りると、馴染みの人の姿がまずインノツェンツァの目に入った。
「久しぶりだな、お前のその格好を見るのは」
「マリアさん」
本日二度目の顔見知りの出迎えに、インノツェンツァはぱっと笑顔になった。
マリアは礼装なのか、灰白の地に金の縁取りがされた華麗な制服をまとっていた。腰には金の装飾の剣。平時の制服でも充分凛々しく魅力的だが、今日は一層華やかである。
男女を問わず参加者、特に女性からうっとりした視線を向けられている男装の麗人は腰に手を当てて頬を緩めた。
「久しぶりだな、お前のその格好を見るのは」
「ええ、自分でもまさかまたこれを着ることになるとは思ってませんでした」
インノツェンツァは苦笑した。
マリアとこの格好で会ったのは一年半近く前の祭事のときだったか。そのときレオーネとも話をしたので、彼女はインノツェンツァとレオーネの腐れ縁について知っているのだ。
しかしレオーネとマリアが『酒と剣亭』で顔を合わせることはなかったので、フィオレンツォはレオーネの素性を知らずにいた――――というわけである。
「マリアさんもかっこいいですね」
「一応公的な行事だからということで、仕方なくな。まあ音楽会の装飾品にはこのくらいがちょうどいい」
とマリアは肩をすくめる。
「じゃあインノツェンツァ、頑張ってね。マリア殿も、インノツェンツァをよろしくお願いします」
「ああ、もちろんだ」
馬車の中からトビアが言うと、マリアは凛々しく頷いてみせる。まるでどこぞの貴族令嬢か何かになったようで、インノツェンツァは気恥ずかしくなった。
神殿の中へ入ると左右対称の造りが美しい青や灰がまじる白の石壁を背景にした、一流の芸術家の手になるものに違いない品々がインノツェンツァを出迎えた。精霊や神々の彫像、白黒の壁画。等間隔に柱が配された中庭から陽光が入り、高い天井から吊るされた鉱物が床に色とりどりの光を落としている。この光も、彫像や壁画をより素晴らしく見せるための演出効果に違いない。
やっぱりここ、音楽が聞こえるみたい――――。
光と色彩と造形が織りなす旋律にインノツェンツァはうっとりと聞き入った。生前から改装のためお抱え設計士に自分の好みを反映した設計図を作らせまでしていたというジュリオ一世にも、実際に造った職人たちにも称賛が自然と心の中で生まれる。
そんなインノツェンツァの隣でマリアはぐるりと参加者を見回した。
「レオーネ殿下は向こうか」
「ですね。一応は王子ですし。用があったらこっちへ来るでしょう」
まあ無理っぽいけどね、あれじゃ。
というのもレオーネの周囲には王侯貴族が数人熱心に話しかけていて、なかなか逃げられそうにない様子なのだ。その近くでは王太子も貴族たちに囲まれており、他の者が割って入るのは難しそうである。
マリアは短く息を吐いた。
「先日はお前の同行者としてとはいえ弟が世話になったから、礼を申し上げねばと思ったんだが……あれでは無理そうだな」
「ですねえ……」
王太子のほうを見ながらインノツェンツァは同意する。王太子とも小さい頃から交流があるので挨拶くらいはしておきたいのだが、あとにしたほうがよさそうだ。
「まあ、レオーネには礼を言わなくてもいいんじゃないですか? あいつのことですから、音楽家をドライアドとノームの源へ連れていくのは当然のこと――くらい言いそうですし」
「そうかもしれんが、礼を失するわけにはいかないからな」
インノツェンツァが鼻を鳴らして言うと、マリアはそう肩をすくめた。
二人が話していると、神官が移動を呼びかけてきた。参加者と演奏者が全員揃ったようだ。
「では、そろそろ私は仕事に戻る。お前の演奏、楽しみにしている」
「はい」
ふわりと微笑むマリアにインノツェンツァは不敵な笑みで応えてみせた。
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