第11話 少年の問い

 話が一段落ついたところで、ねえ、とインノツェンツァは話題を変えた。

「さっきから君はこの子たちのことを仲間だって言ってるけど……もしかして、君も精霊なの?」

「うん、僕はノームだよ。君の持ち物に使われてるのと同じ、ね」

 と、少年はヴァイオリン入れを指差す。つられてインノツェンツァが目を向けると、とぐろを巻いていたノームはこくこくと頷いた。

 フィオレンツォは眉をひそめた。

「にわかには信じがたいですね……貴方はどう見ても人間じゃないですか。精霊は大自然にある事物に似た姿をするものではないのですか? 少なくても世の魔法使いはそう研究で結論づけているはずです」

「それは人間の勝手な思いこみ! 力が足りないうちはできないだけで、充分な力があれば僕たちは人間に近い姿にもなれるの!」

「そ、そうなんだ……」

 いやそんなこと言われても……。

 これだから無知な人間はとノームの少年はぷんすか怒っているが、インノツェンツァはヴァイオリン奏者なのだ。精霊の生態なんて知るわけがない。

 さいわいドライアドとノームが抗議してくれたことで、インノツェンツァの苛立ちは少しは晴れた。やはりこのドライアドとノームはいい子たちだ。

 それにしても、とインノツェンツァは何とも言えない気持ちになった。

 この子がノームって、ねえ……。

 どう見ても普通の我が儘で生意気な男の子なのに。下町の玄関口にある祠で日々ノームの精霊像に通勤の無事を祈っていた身としては、祠のありがたみが暴落したような気がしてならない。割と真面目に祈っていた時間を返してと言いたくなる。

 どっちかというと、こっちの二体のほうがドライアドとノームって感じだよね……。

 あの界隈の信心深い人間が知れば嘆きたくなるだろう。それほど信心深いわけでもないインノツェンツァでさえそうなのだから。フィオレンツォもなんとも言えない顔をしている。

「……まあいいや。じゃあ僕は帰るよ。彼らが帰りたくないっていうなら、仕方ない」

「……」

「大事にするって言ったんだから、大事にしてよねおねえさん。しなかったら……わかってるよね?」

「も、もちろん!」

 物騒なことを言ってくるりと踵を返した少年の背に、インノツェンツァは慌てて答えを返す。すると背後を向いた顔がくすりと笑んだ。できるかなと問うように、当然と言うように。

 そんな微笑みが建物の影から星と月の光の下あらわになって、あまりに綺麗でインノツェンツァは見惚れた。

 そうして、インノツェンツァと精霊たちは謎の少年を見送ろうとした。

 ――――しかし。

「っ待ってください!」

 去ろうとした少年をフィオレンツォが呼び止めた。足を止めた少年は振り返り、不機嫌を隠しもしない顔でフィオレンツォを見る。

「何?」

「っ近頃このガレルーチェで相次いでいる連続通り魔や窃盗は……貴方がやったのですか?」

「……!」

 一瞬怯んだフィオレンツォの問いに、インノツェンツァは息を飲んだ。

 そうだ。この少年は‘アマデウス’と‘サラサーテ’を取り返すと言って、インノツェンツァを殺そうとしたのだ。それは、被害者の持ち物を奪い去っていく連続通り魔の手口そのものではないか。

 緩んでいた場の空気は、再び硬直化した。

 少年は、ぷいと顔を横に背けた。

「できるならそうするつもりだったんだよ。殺さないで済むならそれに越したことはないし」

「……」

「でもどいつもこいつも、あんなに僕の仲間が帰りたいって言ってるのに器を返してくれなかったんだ。充分に力を蓄えて器から離れられるようになってないのばっかりだったし……脅しても返してくれないなら、無理やりでも奪うしかないじゃないか」

「それは、そうだろうけど……でも、殺すことはないでしょう?」

 苛立ちから人を殺めたのだという不条理な理由に、インノツェンツァは思わず非難の声を上げる。言わずにいられなかった。

 すると少年はどうして、と不満そうに返してきた。

「人間だってそうじゃないか。欲しいって言っても貰えないから、最後は力ずくで奪ってる。ドライアドのことなんか無視して木を伐ってる。そうやって僕たち精霊を傷つけて…………なんで君たちはよくて、僕はやっちゃ駄目なんだよ」

「……っ、それ……は…………」

「これを見て」

 と、思いがけない切り返しに詰まるインノツェンツァの前で少年は腕をふるった。

 するとフライパンや指輪、首飾り、耳飾り、杖といった品々が宙に現れる。

 鉱物や金属を素材としたそれらの品々は、その多くがどこかしら傷を持っていた。フライパンは言うに及ばず、宝石がひび割れた装身具もある。各々が放つ明滅する光が淡いのを通り越して今にも消えそうなのはそのせいだろうか。

「皆‘仮宿’の中にいたのに、人間にさらわれたんだ。元の器から無理やり移されたのもいる。そしてさらに傷ついた。この国は精霊を祀る国みたいだけど、現実はどう? 精霊を傷つけてるのに、気づきもしないじゃないか」

「……!」

「あの神殿がある丘だって元々はノームの棲みかで精霊のたまり場だったのに、人間が奪ったんだ。精霊の器をそこらの道具か何かと同じだって勘違いしてる奴もいる。そんな奴らのところに仲間をいさせたくない、仲間のところへ連れて帰ろうって思うのがなんで悪いことなんだよ」

「で、でも…………だからって……」

 逆に問い返してきた少年はインノツェンツァを睨みつける。インノツェンツァはなんとか紡ごうとして、けれど結局は口をぱくぱくさせるだけで黙ってしまった。

 違う、と言いたかった。そういう問題ではないのだと。

 死んだ人たちには家族や友達や恋人、仲間がいて、彼らと過ごす未来があった。生きていたなら、今も誰かとの未来を思い描きながら眠っていられたのだ。――――その幸せを奪っておきながら、仕方ないじゃないかと言わないでと。インノツェンツァは言いたかった。

 だがそれは精霊も同様なのだ。

 人間は精霊たちを元の居場所から引き離し、傷つけ消滅の危機に追いやっている。祠を築き祀っていながら、殺しているのだ。精霊を愛すると他国に名高いこのガレルーチェでさえ、そんな話は時折聞かれる。

 これほど矛盾した、残酷なおこないがあるだろうか。

 喉まで出かかった言葉が滞留し、ぐるぐると回って消えていく。頭に血が上ったまま指先まで熱く、握りしめる手が震える。怒りと恐怖が混在して頭の中がぐちゃぐちゃで不快だ。

「……だとしても。それなら、国王陛下へ直談判すればよかったでしょう」

 怯むインノツェンツァを庇うようにフィオレンツォは口を開いた。

「先ほど貴方は二百年前に人間があの丘を奪ったと言っていましたが、当時丘に棲んでいた精霊がベルナルド一世と盟約を交わしたからのはずです。それによって精霊たちはあの丘から去り、代わりにベルナルド一世は精霊を保護する法律を施行したのだと。ジュリオ一世が制定しようとしていましたから」

「嘘だ、人間が奪ったんだ!」

 ノームの少年はフィオレンツォに反論する。だが‘サラサーテ’に宿っていたノームはすぐさま同族に牙を見せつけた。そんなわけないだろ、と叱りつけるかのように。

「……人間との盟約の話は、もしかして精霊たちのあいだで有名なの?」

 インノツェンツァは目を瞬かせてドライアドとノームたちを見た。二体は頷き、咎めるようにノームの少年を睨みつける。

「精霊を守る法が定められたこの国で、精霊を傷つける行為が絶えないのは事実です。そのことについて僕ら人間に弁明の余地はありません」

 ですが、とフィオレンツォは言葉を繋ぐ。

「ベルナルド一世と精霊たちが交わした盟約は生きています。当代の国王陛下が精霊保護に熱心であられることは確かです」

「……っ嘘だ!」

「嘘じゃないよ!」

 間髪入れずインノツェンツァは反論した。

「私は国王陛下と何度も話したもの! 陛下はジュリオ一世やベルナルド一世を誇りに思ってて、だから精霊の保護をしないと申し訳がたたないっていつもおっしゃってた! ねえ、貴方たちも聞いてたでしょう?」

 インノツェンツァは父から贈られて以来、ずっと‘アマデウス’と‘サラサーテ’で王侯貴族の求めに応じて演奏してきた。‘精霊の仮宿’にしていたこの二体なら、インノツェンツァと国王の会話を聞いているはずだ。

 案の定、ドライアドとノームはまた頷いた。それを受けて、フィオレンツォはさらに言葉を続ける。

「人間が盟約についてどのような態度であるのかはともかく、貴方は人間と精霊の盟約のことを知っていたはずです。ならば貴方はまず王城へ行き、国王陛下に精霊の保護の徹底を訴えるべきでしょう。――――何故そうせず、殺してでも奪うという強硬手段に出たんですか? あまりにも短絡的です」

 怯むことなく見据え。凄みのある声音でフィオレンツォはノームの少年を糾弾した。

「……っ!」

 怒りからか屈辱からか、ノームの少年は顔を真っ赤にした。けれどまたあの鋭いものを放ってはこない。両の拳を強く握って震わせ、まるで傷ついた獣のようにフィオレンツォを睨みつけるばかりだ。

 インノツェンツァはノームの少年が可哀そうになってきた。先ほどはやりこめられてしまったが、こうも言い返せずにいるのを見ると同情せずにいられない。

 そりゃ、フィオレンツォが言っていることは正しいとは思うんだけどさ……。

 そのときだった。

 がちゃがちゃ、ばたばたといった音が突然辺りに響いた。物と物がぶつかりあう音と人が走る音だ。自警団か赤龍騎士団が来たに違いない。

 まずい。インノツェンツァは慌てた。

 ガレルーチェでは精霊の保護政策として、‘精霊の仮宿’を無許可で所持したり販売することは法で禁じられているのだ。ドライアドとノームを見られたら、‘精霊の仮宿’を持っているのでは疑われかねない。

 それに、ノームの少年が暴れたら――――。

 しかし、インノツェンツァとフィオレンツォが促すより早く、ノームの少年は身をひるがえした。インノツェンツァが驚くあいだに跳躍すると、屋根に乗って場を駆け去っていく。

 ドライアドとノームも、インノツェンツァに抱きつくと姿が揺らぎ、消えた。手に馴染んで感じなくなっていた重みが、鼓動の感触と共に手のひらから腕へと伝わってくる。

 それとは入れ違いのように、音が近づいてくる。

「インノツェンツァ? それにフィオじゃないか」

「マリアさん!」

 ランプを持った私服姿の凛々しい女性騎士が現れ、インノツェンツァは目を丸くした。その隣や後ろにはどういうわけか、剣を腰に提げた男が五人いる。

 フィオレンツォもさすがに驚いた顔をした。

「姉さん、何をやってるんですか? 今日は非番でしょう」

「ああ、そうだったんだがな」

 肩をそびやかしてマリアは答えた。

「彼らはこの辺りの自警団なんだ。本当はもう一人腕利きの元傭兵が中心なんだが家の事情で出られなくなってな。そいつが知りあいなものだから、代役を頼まれたんだ」

「自警団、ですか」

「近頃物騒だからな。元兵士とかそういう奴らで夜に見回りをやってるんだよ」

 とひょろりとした若者がインノツェンツァに説明すると、その隣の頭髪の薄い男がそれより、と口を開いた。

「もう一人ここにいなかったか? それに言い争う声が聞こえたが……」

 尋ねられ、インノツェンツァはぎくりとした。上手い言い訳がとっさには出てこない。

 なのに。

「ええ、いましたよ」

「っ」

 ちょっと待ってーーーーっ!

 平然とした顔でフィオレンツォが暴露するものだから、インノツェンツァはぎょっとした。どうして自己申告するのか。

「意味不明なことを口走る人が突然現れたので、押し問答になっていたんです。どうしようかと思っていたところで姉さんたちの足音が聞こえてきて……それで逃げていったんですよ」

 去ろうとしたのを呼び止めるどころか論破したことなどおくびにも出さず、フィオレンツォはしれっと言ってのける。インノツェンツァは聞いているしかない。

 さいわい、フィオレンツォの説明を誰も疑っている様子はなかった。疑う要素がないのだから当然と言うべきか。それは災難だったな、とマリアたちは二人を慰めながら表情を緩める。

 うう、マリアさんに嘘ついちゃった……。

 正直者のインノツェンツァとしては申し訳なくてならない。一方深く追及されずに済んだことはほっとしてもいて、なんとも複雑だった。

「それと姉さん、こんな物も見つけました」

 と言ってフィオレンツォは鋭い黒の石をマリアたちに見せた。ノームの少年がインノツェンツァに向けて放ったものだ。

 途端、マリアは表情を変えた。

「これは……」

「何か見覚えが?」

「見覚えも何も」

 フィオレンツォが眉をひそめると、苦い顔でマリアは言った。

「連続通り魔の犯行現場で見つかってるんだ、そういう石が」

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