第三章 精霊に捧ぐ

第12話 愚者の宝石

 荒い足どりでトリスターノが乗りこんですぐ、馬車は走りだした。

 声をあげる必要はない。それにトリスターノは口を開けたくなかったのだ。そのくらい怒りが胸の内に煮えたぎっていた。

 今日の午前中、トリスターノは赤竜騎士団の団長職を解任させられることになった。理由は言うまでもなく、通り魔を逮捕できないでいる責任をとってだ。また職務への意欲のなさも地位に相応しくないどころか団員にとって有害である、と父王は断じていた。

 解任そのものはそれほどトリスターノの機嫌を悪くすることではない。経歴に傷はついたが、城下の秩序の安寧というどうでもいい仕事から解放されるのである。喜ばしいことだ。

 結局はインノツェンツァに頼らないで済んだこともトリスターノの機嫌をよくした。どうせ赤竜騎士団長解任に伴う諸々の後始末は、母の実家が色々と手を回してくれるのだ。自分はただ城か自領でのんびりと時を過ごし、あの庶民の娘が無駄骨を折らされたと激昂するさまを嘲笑えばいい。トリスターノは内心でほくそ笑んだものだった。

 トリスターノが絶句したのはその直後だ。

 父王はあろうことか、北部にある砦へ一隊長として赴任するようトリスターノに命じたのである。それも王家主催の音楽会へ参加したあと、ただちにだ。

 厳しい寒さと幻想的な景色で知られるかの地の砦は、規律の厳格さで国内の騎士たちに広く知られている。砦の騎士たちを率いているのはトリスターノの叔父にあたる、伯爵家の当主。若輩ながら北国からの侵略を阻止した功績が有名だ。

 そんな騎士が統括する砦の一隊長になれ、というのである。第二王子に相応の待遇が期待できるはずもない。大貴族の令嬢だった女性の子息である第二王子が、辺境の騎士に。なんという屈辱か。

 そればかりかこの事実上の失脚はどういうわけか、トリスターノが通う高級娼館にまで早くも広まっていたのだ。そのせいでトリスターノは館内で好奇の目にさらされ続けていた。それが耐え難くて早く引き上げてきたのだった。

 一体誰がトリスターノの屈辱的な仕打ちを言いふらしたのか。レオーネだろうか。

 所詮庶民でしかないのにインノツェンツァと親しくし、彼女を庇ってトリスターノに刃向かうことが珍しくなかった愚弟だ。今も城下へ下りては彼女と会っていると聞いている。噂から事情を察して父王に直談判したり、あれこれ周囲に言いふらしていても不思議ではない。

 だが何故父王はトリスターノを北へ追いやるのか。今までずっと庇ってきたではないか。母や国の要職に就く母方の親族たちも、抗議してもらおうとトリスターノが面会を願っているのにどういうわけか誰も会おうとしない。関わりたくない、と無言で拒絶している。

 今やトリスターノは孤立無援だった。第二王子であるというのに親しい者たちの哀れみを得られないまま、辺境の地へ行かねばならない――――なんということか。

 こうなってはもう、なりふり構ってはいられない。音楽を愛してやまない父王のことだから、音楽会でもっとも素晴らしい演奏をした者には褒賞を与えるに違いないのである。なんとしてもインノツェンツァに音楽会で誰もが認める演奏をさせ、その褒賞としてトリスターノを宮廷に留めるよう望ませなければならない。

 もちろんトリスターノの指金だと誰もが罵るだろう。だがさらなる悪評を気にしていられる余裕はトリスターノにもうないのだ。

 そういえば、まだ母親が生きているのだ。だったらそっちのほうを利用すればいいか――――。

 揺れる馬車の中で黙りこくったまま、トリスターノは頭の中で今後の行動について考えをめぐらせる。黒漆で塗装された杖の先にある、大粒の美しい真紅のルビーを無意識のうちに撫で回す。

 ――――と。

 唐突に馬車が止まった。随分早く着いたなと思ってトリスターノが窓を覗くと、窓の外は

月と星に照らされた通りの真っただ中だ。赤龍騎士団の本部からは遠い。

 一体どこで止まっているんだとトリスターノは御者を怒鳴りつけようとした。第二王子を乗せておきながら、何をしているのか。

 しかし怒鳴りつける前に馬車の扉が開き、トリスターノは一瞬ぎょっとした。

 何故か目の前に十歳ほどの少年がいたのだ。それも、その手の嗜好の者なら舌なめずりをして侍らせようとするに違いない容姿の持ち主である。

 トリスターノはそんな嗜好ではないし、下賤な者に構っている精神的余裕もない。ただ腹立たしかった。

「なんだお前は。私が誰だと思っている」

「ねえ、その杖の宝石返してよ。僕の仲間なんだ」

 トリスターノの機嫌など知らないというふうに少年は微笑みを浮かべ、トリスターノが手にしている杖を指差した。

 トリスターノの不機嫌はさらに募った。ただでさえ気分が悪い一日だというのに、その終わりがこれというのか。

「なんだ、ただの物乞いか……さっさと消えろ。これはお前のような下賤の者が持っていい代物じゃない」

「…………下賤?」

 そう少年の声と穏やかな色の瞳に怒りが宿った途端だった。

「誰が下賤だって?」

 夜のものである以上に冷たい空気が少年から放たれ、車内へ流れこんできた。凍えた眼差しに貫かれてトリスターノの全身の肌が粟立つ。

 傲慢な性質に抑えつけられていたトリスターノの本能がようやく警鐘を鳴らした。これは危険な生き物だ、早くここから離れろと頭の中でわめいている。

 トリスターノは我が身からの警鐘に従い、馬車の反対側の扉から逃げようとした。

 ――――――――しかし。

「――――」

 生き延びようとする本能のおかげなのか、なんなのか。トリスターノは無意識のうちに車内でしゃがみこんだ。

 その瞬間、外気がトリスターノの肌を撫でた。風が彼の髪を撫でていく。

 馬が高くいななき、振動が起きた。車輪と蹄の音は駆けるときのそれだ。

「……っ」

 馬車が走りだしていることを理解し、そろそろと頭を上げたトリスターノは絶句した。

 車は何故か上半分がどこかへ消えてしまっていて、幌のない荷車のようになっていたのだ。視界の端には何故か御者の姿はなく、馬がものすごい速さで逃げるように疾走しているのが代わりに映る。

「ふうん、逃げ足だけは速いんだ」

「! ひっ……」

 背後からの声に体をすくませ振り返ったトリスターノは、馬車の壁だった縁に腰かける少年を認めて限界まで目を見開いた。月を背にして影になっているものの、少年が黒光りする石を持っているのがうっすらと確認できる。

 まさか、とトリスターノの脳裏に最悪の未来が描かれた。あの石が馬車を破壊し、自分の首をも刎ねる瞬間が詳細まで思い浮かぶ。

 唐突に杖を持つ手が振動した。まるでたった今杖に命が宿ったかのような間隔で振動を繰り返す。

 それどころか熱を持ちだし、ますます生命らしさを増していく。

 いや、いるのだ。この宝石には生命が。

 全身の震えが止まらないトリスターノに少年はもう一度言う。

「ねえ、その子、返して?」

「……っ!」

 おそろしくて気持ち悪くて、トリスターノは悲鳴をあげた。何も考えず、杖を少年に向けて放り投げる。ただただ、杖が忌まわしかった。

「乱暴に扱わないでよ。ただでさえ傷ついてるのに、さらに傷ついたら大変じゃないか」

 少年は杖をこともなげに掴みとると、顔をしかめた。

「他の奴らが助けてやってって言ってるから追いかけてきたけど、正解だったみたいだね。あの子と違って性格最悪そうだし。誰だってこんな奴のところにいたくないよね」

 一人納得顔で少年が頷けば、そうでしょうというように杖は明滅を繰り返す。そのやりとりがまた不気味だった。

 少年は黒光りする石をその手から生みだした。それを握って一閃し、ルビーを台座ごと杖から切り離す。

「……弱っちい魔法」

 馬鹿にしきった少年は呟くと、ルビーを片手で鷲摑みした。その途端、ルビーが割れたわけでもないのにばきんと硬いものが破砕する音がする。

 するとルビーから傷ついた赤紫の猫のような生き物が飛び出てきた。小さな赤紫の炎を身の回りに伴っている。

 サラマンダーだ。

 少年は顔をほころばせた。

「よかった。怪我はしてるけど、思ったよりもまだ元気そうだ」

 少年が素直に喜ぶとサラマンダーは彼の肩に飛び乗った。ああそうだよ、と言っているように見えなくもない。

 サラマンダーの無事をひとしきり喜んだ少年は、もう一度トリスターノのほうを向いた。

「これ、もう要らないから返すよ。じゃあね」

 と少年は宝石と杖をトリスターノへ放ってきた。全力疾走している馬車の中だというのに、サラマンダーを肩を乗せたまま無造作に跳び降りる。

 それを呆然と見ていたトリスターノは、しばらくしてから我に返って後方を見た。疾走する馬車から子供が飛び下りて無事で済むはずがないという常識が、今になって鎌首をもたげてきたのだ。

 だが欠けゆく月とさやかな星の光だけでは、遠のくばかりの場所を見ることは叶わない。どんなに目を凝らしてみても、夜空の明るさと地上の暗さが際立つばかりだ。

 あの少年は一体何者だったのか。すっかり腰が抜けたトリスターノは動けず、夜闇を見つめることしかできない。

 御者を失った馬車は走るのをやめない。

 城壁にぶつかりそうになったところで警護の兵士たちが魔法道具で馬を捕らえ、やっとトリスターノは馬車から下りることができた。

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