第16話 王城の華やかな一角にて・2

 それから淑女の振る舞いについて妹に少々の説教をして部屋を辞したレオーネは、自室へ向かった。

 レオーネが自室へ戻ると、ラツィオが笑顔で主を迎えた。レオーネがイザベラのところへ行っているあいだに帰ってきたようだ。

「おかえりなさいませ、殿下」

「ああ」

 頷きレオーネはソファに腰を下ろした。ソファに腰を下ろして長い息を吐き出す。

 いかにも役目を終えて疲れたといったふうの主を見て、茶をテーブルに置いたラツィオはくすりと笑った。

「殿下。先ほどロッカルディ大公が殿下をお探しになられていましたよ」

「叔父上が? 何の用だ?」

「さあ、それは聞いておりません」

「そうか……まあいい。大事な用ならあちらからまた出向いてくるだろう」

 とはいえ、あまり会いたくはないのだが……。

 あの御仁は振る舞いこそ洗練されているが、音楽を自分の名誉欲のために利用している俗物だ。今回の音楽会でも王立音楽院からジュリオ一世の楽譜を無理やり持ち出していて、数日前になってようやく返却したのである。

 そんな人物が同じく謎の音楽会の参加者である第三王子に、一体何の用だというのか。考えても無駄だとレオーネは緩く頭を振った。

「ラツィオ、リーヴィア殿はどうだった?」

「今朝自宅を伺ったときはお元気そうでしたよ。音楽会のことをインノツェンツァから昨日聞いたそうで、また娘が王侯貴族の前で演奏することに動揺してはいましたが……久しぶりにロッタ神殿へ参拝することができると、殿下に感謝していました」

「そうか」

「インノツェンツァ殿も、久しぶりにお会いしましたがお元気そうで。……ご友人も、礼儀正しい青年ですね」

「……」

 意味ありげに侍従が視線を向けてくるものだから、レオーネは軽く睨んだ。

 自分のインノツェンツァに対する態度が特別なものであることは、レオーネも自覚しているのだ。レオーネが彼女ほど気にかける同世代の異性は他にいない。彼女が王城へ出入りしていた頃も、口さがない者たちに色々と噂されていたものだった。

 しかしこの侍従は何年も前から、レオーネとインノツェンツァのくだらないやりとりを何年もそばで見聞きしていたのである。主君にとって彼女が身分や性別を超えた大事な友人であることは、よくわかっているはずだ。

 フィオレンツォと二人で遠出に行かせたのも、気心知れた彼とならいい気分転換になるだろうと考えてのこと。それだけなのに何故妙な勘繰りをするのか。

 大体、いつも口喧嘩をしている私と森へ遊びに行ってあいつが楽しいわけがないだろうが。私も執務があるし……。

 レオーネの機嫌を察してかそれ以上の追及はしてこない、空気に聡い侍従に少し休むと言って隣の寝室へ下がったあと。寝台に腰を下ろしたレオーネはそばのテーブルの上に置いたままの‘楽譜’の写しを手にとった。

 いつ見ても不思議な‘楽譜’だ。‘楽譜’として王家に代々受け継がれているそうだが、そうと知らない者が見れば単なる意匠案か何かとしか思わないだろう。

 レオーネも父王に初めて見せられたとき、何の意匠なのかと思ったのだ。ヴァイオリンを嗜み多少は音楽史も学んでいるだけに、これがジュリオ一世の楽譜であるとすぐには信じられなかった。

 レオーネがこれほどこの音楽会に固執しているのは、単なる先祖への敬意というだけではない。ジュリオ一世は精霊に愛された、歴史上でも稀有な魔法使いだ。そんな人物が遺した暗号のような楽譜の曲が普通の楽曲であるとは到底思えない。息子のベルナルド一世が何度もロッタ神殿の奥で音楽会を催したというのも、何か大きな秘密を感じさせる。

 ロッタ神殿の少なくても上層部の者はこの‘楽譜’の秘密を知っているはずだ。しかしそれとなく尋ねてみてもかわされ、手がかりは何も得られない。ロッタ神殿の上層部と繋がりのあるトビアも知らないようだ。

 そうして事実や意義のすべてを知らないまま参加し、神官バーダが記していたかつての参加者たちのように自分もまた魔法で記憶を失うのか。

 冗談ではない。私はこの‘楽譜’もロッタ神殿の奥の景色も忘れたくない!

 王位を継ぐことはなくとも自分はジュリオ一世の末裔なのだ。民のために力を尽くし、音楽と精霊を愛した生きざまに敬意を払っている。

 なのに何故彼がこの世に残した秘密を知らず、語り継ぐこともできないのか。おかしいだろう。

 ジュリオ一世がどんな秘密を抱え、ベルナルド一世が何のために父王の‘楽譜’を神殿の奥深くで奏で続けていたのか知りたい。

 レオーネはただそれだけなのだ。

 だから羨ましい。編曲し演奏することを通して時空を超え、死者の遺志を辿ることができる幼馴染みが。自分ができなかったことに取り組む才能を持った者たちが。

 音楽会までもうさほど日はなく、仮にその日を迎えてもジュリオ一世の‘楽譜’の再現に誰かが成功するとは限らない。

 確かなのは、ジュリオ一世のための音楽会と彼が書いた‘楽譜’に秘められた謎を解くのは自分ではないということだけ。

 先祖の謎を解くこともできず、何が子孫か。血を受け継ぎ音楽会への参加を表明していても肝心な謎の解明には何一つ関与できない我が身が、レオーネはただ歯がゆかった。

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