第8話 幼馴染みは心配したがる・2

「そういえばさ。レオーネのほうは演奏者、見つかったの?」

「ああ。ミケランジェリが紹介してくれた、音楽院の学生に演奏してもらうことにした。口が堅くて真面目そうな男だ。周囲に編曲について相談はしても、細かいことを話す心配はなさそうだと判断した」

「ふーん……」

 それはまた随分な信用である。きっとラツィオさんが調べたんだろうな、とインノツェンツァはレオーネの近習のことを思い浮かべた。

「……ねえ、なんでそんなに秘密にしなきゃいけないの? どういう音楽会なの?」

 インノツェンツァが率直に切りこむと、レオーネはぴくりと眉を動かした。

「王侯貴族の音楽会がどんなものか、お前が知らないわけがないだろう」

「まあね。見栄と意地の張りあい、おべっかとごますりをする場所だってことは知ってるよ」

 でも、とインノツェンツァは腰に手を当てた。

「今回のはそういうのじゃないんでしょ? フィオレンツォが音楽院の教授から聞いたのによると、ベルナルド一世の頃から代々やってるって話だし。そんな伝統ある音楽会のことを、宮廷音楽家だった頃の私が国王陛下から聞かされてないっておかしいでしょ」

「……」

 インノツェンツァの指摘にレオーネは顔の表情を動かさなかった。だが長い付き合いなのだ。様子をじっくり観察すれば隠しごとをしていることくらい、すぐわかる。

「言い逃れはしないでよね。私、音楽会について本当に知りたいし」

「……」

 び、と指を突きつけてインノツェンツァは迫る。言いたくないようだが、こちらとしても編曲作業に必要な情報を少しでも得たいのだ。

 だがレオーネは口を開かなかった。こうすれば反論なりため息なりが出てくるか冷たい視線を寄こされるかで、上手くすれば折れた彼が話してくれるのに。皮肉も言わず拒絶の空気を漂わせるのは珍しい。

 しばらく待ってみるがレオーネが口を開く気配はない。インノツェンツァは苛々して、鼻頭にしわを寄せた。

「レオーネ、ちょっと、話聞いてる?」

「聞いている。……知らないんだ」

「はあ? 何それ。そんなはずないでしょ」

「本当に知らないんだ」

 インノツェンツァが疑うと、彼女の苛立ちが感染したようにレオーネも不愉快そうに繰り返す。二度も言わせるな、と表情に表れている。

 そうしてレオーネは重い口を開いた。

 ある日。十五歳以上の王族と王家の血を引く一部の大貴族を王城の大広間に招集した国王は、音楽会を開催するので各々優れた音楽家を擁立するように、と重々しく告げた。

 その音楽会は建国の父にして王家の始祖であるジュリオ一世の慰霊のためであり、ロッタ神殿がある丘にかつて棲んでいた精霊たちとベルナルド一世のあいだで交わされた約束を果たすために代々催されてきたのだという。

 だから自分たちには音楽会を催し、王廟に音楽を捧げる義務がある――――そう国王は語った。

 レオーネは驚いた。そんな話、今まで聞いたことがなかったのだ。集められた王侯貴族たちも同じのようで、困惑した表情をしていた。

 それでもレオーネはすぐ参加する意思を固めた。そしてインノツェンツァに声をかけたのだった。

 聞き終えたインノツェンツァは呆れた顔をした。

「そこで即座に参加しようと思うところがレオーネだよね……」

「当然だろう」

 レオーネは何を言うのか、というような顔をした。

「ジュリオ一世がかつて丘の上にいた精霊と交わした約束が何なのか、あの場では明かされなかった。だがジュリオ一世が精霊との約束を果たそうとして凶刃に倒れたことと、この音楽会がジュリオ一世に代わって精霊との約束を果たすためであるのは間違いない」

 廃墟の神殿が精霊たちの棲みかとなっていた丘の上でジュリオ一世は政務の合間を縫って、ヴァイオリンを聞かせるなどして精霊たちと交流していたのだという。精霊たちは彼の音楽を喜び、彼が演奏すると遠くからも集まってきたと言い伝えられている。

 だから精霊たちは丘の上でジュリオ一世が暴漢に命を奪われたとき、憎しみのあまり暴漢を殺した。そして異種族の友の血で濡れてしまった棲みかを彼の息子であるベルナルド一世に譲り、代わりに郊外の森を棲みかとして交換した――――というのがガレルーチェに伝わる初代国王の死の物語だ。

 もしその土地交換が、ジュリオ一世と精霊が交わした約束を代わりに果たすというベルナルド一世の誓いを下地にしたものだったなら。

 ロッタ神殿を王廟とした最大の目的も、そのためだとしたら。

「あの‘楽譜’に隠された旋律を再現できれば、ジュリオ一世が精霊と交わした約束は果たされるはずなんだ。ジュリオ一世は精霊たちとの約束のために、この曲を作ったはずなのだから」

 そこでレオーネは一度、自分の両手を見下ろした。それからまたインノツェンツァを見る。

 力強く、まっすぐな目で。

「演奏や作曲の才能がない私は、優れた音楽家にこの願いを託すしかない。ベルナルド一世がそうであったようにな。参加が強制であろうとなかろうと関係なく、話を聞いた時点で私は参加していたさ」

 何の恥ずかし気もなくレオーネは言い放つ。当たり前のことを聞かれでもしたかのように。飾り気のない言葉はいっそ清々しいくらいだ。

 あーもうレオーネだ。完璧に。

 インノツェンツァはなんだか笑いたくなった。聞いたのが馬鹿らしく思える。

 この幼馴染みはどういうわけか、昔からジュリオ一世やベルナルド一世を理想の君主と尊敬している節があるのだ。宮廷音楽家だった頃、一体何度蘊蓄を聞かされたことか。

「まあともかく、それであの馬鹿王子も手を上げたってわけだよね。……馬鹿王子のことだから褒美をもらおうとか名誉挽回のいい機会になるとか、そのあたりが目当てだよねえ」

「まあそうだろうな。仮にこの音楽会で‘楽譜’の再現に成功したとしても無理だろうが」

 肝心の連続通り魔と窃盗事件の犯人を捕まえられていないのだ。貴族で被害に遭った者もいる。職責を果たせないのに、名誉が回復するはずもない。

「ねえ。もういっそ、音楽会が終わったあとにでもどっかへ左遷させられないの?」

「そうしてほしいところだがな。だが残念ながら、あの人が左遷されるとの話はまだ出ていない。あればお前にすぐ教えてやっている」

 レオーネは肩をすくめた。

 となると、まだあの男の無能にエテルノの住民は付き合わされなければならないのか。インノツェンツァはうんざりした。

「あの人のことだから、音楽会までお前に接触しようとしたりはしないだろう。だが子飼いの部下を通じて、お前に無茶なことを言ってきたりしてくるかもしれない。そのときは遠慮なく私に言え。今度こそあらゆる手を使って左遷させてやる」

 それに、とレオーネは語気を強めた。

「そろそろこっちへ顔を出せ。さっき言ったように、イザベラがお前に会いたがっている」

「……」

 そこで妹を使うか。ほんとによくわかってるよね、この幼馴染みは。

 狡猾な手口だ。インノツェンツァは心の中でうなった。

 宮廷音楽家を辞めてから、インノツェンツァはイザベラとは会っていない。彼女とは伝令やレオーネを通じて手紙のやりとりをしているだけだ。

 彼女からの手紙の端々にはいつも昔と変わらない親愛の情がにじんでいて、高価な菓子が添えられていることも珍しくない。今も変わらず慕ってくれているのが嬉しく、インノツェンツァは‘アマデウス’で何曲でも弾いてあげたいと手紙を読むたびいつも思うのだ。

 しかし――――。

「……うん。そういうことがあったら行くよ。イザベラ様にもいずれお会いしましょうって言っておいて」

 インノツェンツァはそう、曖昧に笑って返した。

 それは言葉だけだ。よほどのことがない限り、インノツェンツァはレオーネの実家へ行くつもりはない。一年前からそう決めている。

『貴女が宮廷音楽家の仕事を続けることで、私を守ろうとしているのはわかっているわ。それは嬉しいの。でも、音楽を奏でる喜びを忘れかけている貴女を見ているのはつらいのよ』

『宮廷音楽家である以上、そなたが貴族の前で演奏するのを避けることは難しい。だが、そなたは我が友ファウストの娘であり、我が息子と娘のよき友だ。こんなことで才能を潰すのは惜しい』

 母は娘を思い、この苦しい場所から去ろうと目に涙をにじませていた。

 国王は苦渋の色を目に浮かべ、一度は救いの手を差し伸べてくれた。

 そうして母と共に王城を去ることを選んだとき、二度と王城へ足を踏み入れないとインノツェンツァは心に決めたのだ。自分なりにけじめをつけたくて、国王から下賜されていた美しいエメラルドの首飾りも返上した。

 それなのに親しい少女に呼ばれたからと、またあの場所へ気軽に遊びに行くのはただのご都合主義だろう。貴族たちと顔を合わせたときに平然とやり過ごせる自信もない。

「……わかった。イザベラにはそう伝えておく」

 表情と言葉の裏にある、インノツェンツァの強い意志を感じとったのか。レオーネは長い息を吐いた。インノツェンツァは兄妹に対して申し訳ない気持ちになる。

 気まずい雰囲気を押しやるように、インノツェンツァはところでレオーネ、と話題を変えた。

「今ロッタ神殿がどうなってるか、知らない? このあいだ、また通り魔事件があったでしょ? 母さんが気にしてたの」

「昨日まで封鎖されていたが、神官たちが参道を清め終えて通れるようになったと聞いている。警備も強化されたそうだ。詰所の兵士たちは神経質になっているだろうな」

「そっか……」

 インノツェンツァは肩を落とした。それを見たレオーネは眉をひそめる。

「もしかして、リーヴィア殿は参拝する予定だったのか?」

「うん。最近は体調がいいみたいで、下町の祠じゃなくて神殿に参拝したがってたの。でもそんな様子だと他の神殿へ行ったほうがいいよね。ぴりぴりした空気だと心臓に悪そうだし」

 光の神はガレルーチェの守護神とされているので、祀っている神殿は他にもある。だがロッタ神殿は王廟に指定されている、ガレルーチェでもっとも格式の高い神殿なのだ。リーヴィアが礼拝したがるのは当然だろう。

「レオーネ。もし馬鹿王子に会うことがあったら、さっさと通り魔と窃盗犯捕まえてって言っといてよ。まだ捕まってないし。被害者が庶民だからって手抜き捜査してるんじゃないかって言う人もいるくらいなんだから」

「……会えたら言っておく。あの人が心を入れ替えるとは思えないがな」

 そう言って、レオーネは踵を返した。

「では、そろそろ私は帰る。『いつか』と言ったからには、必ずイザベラに会いにこっちへ来い」

「……うん」

 さらりと念押しされ、インノツェンツァは苦笑する。淑女らしくないだのあれこれ言うくせに、結局は妹に甘い。

 レオーネを見送り室内に1人になって、インノツェンツァは長い息を吐いた。

 わかっている。友達なのだから、会いたいなら会えばいいのだ。友達とひとときを過ごすことは過去との決別と矛盾しない。レオーネとの交流だって続けている。かつて過ごした場所へ行くからといって、躊躇う必要はないだろう。

 けれどあの場所には――――あの世界にはもう関わりたくない。その思いが強すぎて、気持ちがどうしたって向かない。

「でも、言っちゃったしねえ……」

 約束したからには行かなければならない。それに会いたくないわけではないのだ。

 インノツェンツァの服の袖を引っ張る、天真爛漫な少女の笑顔が脳裏をよぎる。

 嫌なことから逃げるのは、いい加減にしないといけないよね。

 心の中で呟き、インノツェンツァは両の頬を軽く叩く。

 そして店へ戻っていった。

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