第18話 彼女の答え・2

「その傷はどうしたの?」

「ああ……」

 慌てるインノツェンツァに問われ、ノームの少年は苦虫を噛み潰したような表情になった。

「長老にやられたんだ。見つけた仲間を一端棲みかへ連れて帰ったときに」

「ちょ、長老?」

 なにそれ。インノツェンツァは目を丸くした。

 ノームの少年いわく。

 馬鹿そうな人間の杖からサラマンダーを救出したノームの少年はひとまず棲みかへ戻り、人間に囚われていた仲間たちを棲みかの精霊たちに紹介することにしたのだという。

 しかし棲みかを統率する長老はノームの少年の顔を見るなり怒鳴りつけた。彼がエテルノで何をしていたのか、旅のシルフィードから聞いていたらしい。

『お前が人を殺してまわったせいで、精霊全体を危険な存在だとこの国の人間たちが思うようになったらどうする。人間の多くが我らを放置しているのは、人間たちが法に縛られているからだけではない。彼らが精霊を力あるもの、自由にさせていれば無害であるか利益をもたらすものと考えているからだ』

『っ長老でも』

『わきまえよ』

 反論しようとするノームの少年を長老は厳しい声で叱責した。

『人間たちの一部に我らから搾取しようとする者がいるのは事実。だが、だからといって罪なき人間を殺していい理由にはならん。お前はそうして人間に我らを攻撃する理由を与え、我らを育むこの母なる大地を穢すつもりか?』

 長老は鋭い目でノームの少年をとがめた。

 それでもノームの少年は食い下がろうとしたため長老が生みだした宝石の刃に頬を切り裂かれ、戻ったばかりの棲みかをまた離れなければならなかったのだった。

「…………えーと、それってつまり追放……?」

「そんなわけないだろ」

 話を聞き終えたインノツェンツァがおそるおそる尋ねると、ノームの少年は間髪入れずに反論した。

「僕は自分から出たんだ。あとから誰も処分を伝えにきてないし。だから追放なんかされてない」

「そ、そうなんだ……」

 でも実際、棲みかに帰りにくい状況なんじゃ……。

 噛みついてくるような反応にインノツェンツァはそう思ったが、口には出さなかった。ここは黙っておくに限る。

 それに追い打ちをかける必要はないだろう。このノームは頬だけでなく心も傷ついているに違いないのだ。あの夜と同じように見える瞳が揺れているのだから。

 良かれと思って行動したのに人間から矛盾を突きつけられ、同胞からも怒られて。戸惑ったり怒ったり、途方に暮れないわけがない。インノツェンツァはノームの少年が哀れになった。その感情はきっと彼を怒らせるだろうから、やはり口にはしなかったけれど。

 僕の話はもう終わりとばかりに、それでと少年はインノツェンツァをねめつけた。

「僕に何の用なの? こっちから呼んでたから来たんだけど」

「えっと……君と話をしようと思って」

 そうインノツェンツァは話を切りだした。

「今ね、王家は音楽会を開く準備をしてるの。ベルナルド一世……ジュリオ一世の息子の代からずっとあの丘の神殿でやってる、特別な音楽会なんだって」

「……それって」

「うん。……王家は今も、ベルナルド一世が精霊と交わした約束を果たそうとしてるの。私もその音楽会でヴァイオリンを弾くことになってる」

「……!」

 ノームの少年は大きく目を見開いた。

「じゃあ、昼間に森で弾いてたっていうのは……」

「ああ、友達から聞いたの? ううん、あれは音楽会で弾く曲じゃないよ。よく酒場で弾いてる曲」

 さあ、ここが勝負どころ……!

「そのときね、演奏するのがすごく楽しかったの。この子たちが‘アマデウス’と‘サラサーテ’に宿ってるってこのあいだまで知らなかったから、精霊の前で演奏するのは初めてみたいなものだったけど」

 愛器をしまったヴァイオリン入れに目を向け、インノツェンツァは頬を緩めた。

「色んな人の前で演奏するときみたいに、‘アマデウス’を弾くのが楽しくて嬉しかった」

「……」

「私にとって、私の演奏を聞いて喜んでくれるなら人間も精霊も関係ないんだよ」

 だから、とインノツェンツァは眉を下げた。それはどこか、笑っているようにも困っているようにも見える。

「私は、お客さんたちが傷つけあったり悲しんだりするのは見たくないよ。君に人間を傷つけてほしくない」

 それがインノツェンツァの偽らざる本心――――結論だった。

 何が正しいとか矛盾しているとか、そんな壮大で重苦しいことをインノツェンツァは深く考えて答えを出せない。人を傷つけ殺すという悪も、理由をつきつけられれば反論できなくなる。

 でも。

 昼間に精霊たちの前で演奏しているあいだ、インノツェンツァは違いがわからなくなった。演奏を終えたあとの高揚感も、観客が演奏を喜んでくれるのも同じだったのだ。フィオレンツォにこっそり悪戯をして睨まれるのも。

 いつもと演奏する場も観客の種族も違っていたけど、だからってやることは変わんなかったじゃん。私もヴァイオリン弾きのままだった。

 ドライアドとノームが愛器に宿っていることを知った。大勢が見つめる中で演奏もした。

 だからインノツェンツァにとって精霊はもう単なる異種族ではない。

 人間と同じ、命ある存在――――聴衆だ。

 インノツェンツァは音楽家なのだ。自分の音楽を喜んでくれる存在なら、誰だって大切にしたい。

 絶対に揺るがない想いでこのノームと向きあい、説得しなければならないのならインノツェンツァはこう言うしかないのだ。

 インノツェンツァが気持ちを素直に伝えて、数拍。ノームの少年は大きな息を吐いた。

「……おねえさんって本当に音楽が好きなんだね。長老から聞いた、この国の最初の王みたいに」

「へっ? その長老さん、ジュリオ一世のこと知ってるの?」

 インノツェンツァは目を瞬かせた。

「だから長老なんだよ。そいつの子供と交渉して約束したときにはもう、棲みかのまとめ役だったって話だし」

 肩をすくめノームの少年は言った。顔を窓の向こうへ向ける。

「この国の最初の王はよく笑う奴だったんだって。長老たちが棲んでたあの丘にふらっと来て、楽器を弾いて……おねえさんみたいに、音楽がとても好きだったんだって」

「……」

「そいつが色んな曲を聞かせてくれるのが楽しみだったって、何度も僕とか他の奴らに話してくれたよ」

 語るうちに、ロッタ神殿が鎮座する丘を見るノームの少年の眼差しに別の色が混ざった。優しく、けれどさみしそうな。――――悲しんでいるような。

 インノツェンツァは目を瞬かせた。

 ……もしかしたら、この子も約束を人間に果たしてほしかったのかな。

 だから約束を果たさず同胞を傷つけ続ける人間に失望して、人間たちに傷つけられた同胞を自分の手で救おうとしたのではないだろうか。

 やっぱり根っこはいい子なんだよね、きっと。

 そんな考えが浮かんで、インノツェンツァは胸があたたかくなった。表情が自然と緩む。

 ねえ、とノームの少年はインノツェンツァのほうを振り向いた。

「あの丘で音楽会をしたら、昔の王と精霊の約束は果たされるの?」

「うーん、どうかなあ。それは私にはわからないよ。君が最近サラマンダーを助けるために襲った馬鹿王子に無理やり参加させられただけで、国王陛下から直接話を伺ったわけじゃないから」

「あれ、そうなんだ」

「うん。この音楽会は秘密にされてるから、そういうのがあることも知らなかったし。ジュリオ一世が作ったんだろう曲を‘楽譜’を基に編曲して演奏すること以外、あそこで何をすればいいのか私は知らないの。そもそも、ロッタ神殿の奥がどんなところなのかも知らないし」

 緩く首を振り、でもとインノツェンツァは語気を強めた。

「演奏することでその約束が果たされるよう、私は努力するよ。私はこの国のヴァイオリン奏者だから」

「……」

「だから君も、長老さんから聞いたジュリオ一世のことを私に教えてほしい。音楽会で弾く曲はもう少しで完成できそうだけど、やっぱりジュリオ一世がどんな人だったのかとかそういうのを聞いたほうがいいから」

 建国の祖がどんな人物だったのかは、多くの文献に逸話が残されている。けれどそれが本当のことだったのかどうかわからない。あくまでもそういう記述がある、というだけだ。

 ものすごく有名な逸話が実は嘘っぱちでした、なんてのがたまにあるし!

 完成しつつある編曲がそこまでおかしなものになっているとは思わないが、ジュリオ一世の実際の人物像を知らずにいていいはずがない。あの‘楽譜’の編曲を完成させたいのなら、彼と言葉を交わした精霊の話を聞くべきだ。

 しばらく黙ったあと、ノームの少年は短く息を吐いた。

「……わかった。僕が長老から聞いたことを話すよ。それで精霊と人間の約束が果たされるかもしれないなら」

 そう言ってノームの少年は窓辺に腰を下ろした。

「私のことはインノツェンツァでいいよ。君の名前は?」

「名前?」

 不思議そうに目を瞬かせたノームの少年は、ああ、と一人納得したように頷いた。

「精霊に名前なんてないよ。必要ないから」

「そうなの?」

 今度はインノツェンツァが目を丸くする番だった。だがよく考えると、こうして人間と同じ言葉を話せる精霊は少数なのだ。それなら彼らにはそもそも名前を呼ぶ機会がないのかもしれない。

 まあ今のところは名前を知らなくても特に問題はないのだ。なら仮の名前で呼ばなくてもいいだろう。

 そう納得し、インノツェンツァも椅子に座ってノームの少年の話を聞く体勢を整えた。

 ――――のだが。

「……? どうしたの?」

 二人のやりとりを見守っていたドライアドとノームが突然飛びついてきたので、インノツェンツァは驚いた。彼らは何故か、必死そうな表情でインノツェンツァに何かを訴えているように見える。

「……名前が欲しいみたいだよ」

「えっ?」

 まさか、そんな。

 呆れ声の解説に、インノツェンツァはドライアドとノームを見た。すると彼らはこくこくと頷いているのだ。そうそう、だから早く――――と言わんばかりに。

「名前、つけてあげたら? でないとずっとねだってそうだし」

 窓枠に背もたれ、両腕を組んでノームの少年は言う。呆れを突き抜けたのかいっそ面白がっている声音だ。

 いやそんな、急に言われても。

 インノツェンツァは心の中で慌てるが、ドライアドとノームはじいっと見つめてくる。ノームの少年の解説がなくても、ねえお願いと懇願しているのは明らかだ。

 建国の祖の素顔を知るよりもまず、インノツェンツァは精霊の名付け親にならなければならないようだった。

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