第23話 不思議なふわふわさん
『今あいつ、なんて言った? おれの聞き違いか?』
『言葉が分かるって言ったよ。トレ、ちゃんと聞いた』
『ほほう? さては、それがあの耳飾りの魔法じゃな』
いつものようにわいわいと騒いでいるネージュさんたちを、ヴィンセント様は息をのんで見つめている。それから、急にわたしのほうを振り返った。
「エリカ、彼らはこう話しているのだろうか」
そうして彼は、今しがたネージュさんたちが話していた内容をほぼそのまま語ってみせた。驚きに目を丸くしながら、こくこくとうなずく。
「……はい、合っています。でも、どうして……本当に、そのピアスが?」
「ああ。これは、人ならざる者の声を聞くことができる道具なのだそうだ。俺の屋敷に幻獣が棲みついていると耳にされた陛下が、ぜひ持っていけとおっしゃったのだ」
『ふうん、その陛下とやら、気がきくな。いちいちエリカを間に挟むのも面倒だったから、ちょうどいい』
『しかしこれでは、内緒話ができぬのう。ふふ、目の前で堂々と噂するのも面白かったのじゃが。まあよい、これからは直接からかって遊ぶとしよう』
『トレの言葉、分かる? うわあすごい。おしゃべりできるね。楽しみ』
「……思っていたより、みな個性的なのだな。雪狼はもっと落ち着いているものだとばかり」
その言葉に、ネージュさんが身を乗り出す。
『そうだ、ヴィンセント。直接話せるようになったのだし、どうせなら名前で呼べ。おれはネージュだ』
『おお、わらわも同感じゃ。わらわはスリジエ、よもや忘れてはおるまいの? いっつも翼馬などと呼びよってからに』
『トレはトレ、ホントの名前はトレーフル、でもトレでいい』
「あ、ああ」
ネージュさんたちの勢いに押されているのか、戸惑った声でヴィンセント様が答えた。それからぎこちなくこちらを振り返る。
「……君はいつも、こんなににぎやかなお喋りを聞いていたのか。その……こういう状況には慣れないが……悪くはないな」
青灰色の目を細めて、ヴィンセント様は笑った。とても優しい、でも少し困ったような笑顔だった。
「俺はずっと、一人で静かに暮らしていた。戦いにおもむく時以外は、ずっとこの屋敷にこもって、誰とも関わらずに」
それからヴィンセント様は、わたしの手を取った。まるで、壊れ物でも扱っているかのような手つきで。
「そこに君がやってきて、俺の日常は少しだけにぎやかになった。困惑せずにはいられなかったが、いつしか君がいることが当たり前になっていた」
その言葉が嬉しくて、ぎゅっと手をにぎりながら小さくうなずく。
「そして、どうやら俺の世界はさらに騒がしくなったらしい。正直、戸惑ってはいる。だがきっと、じきに慣れるのだろう」
ヴィンセント様の手に、力がこもる。
「……俺がこんな風に誰かと話をすることを楽しむ日が来るなんて、思いもしなかった」
「きっとそれは、いい変化なのだと思います。その、わたしの勝手な意見ですけど」
「いや、君にそう言ってもらえると、安心できる。俺は変わってもいいのだと、そう思える」
「ヴィンセント様……」
手を取り合って見つめ合う。胸がどきどきしてあったかい。自然と、互いに歩み寄っていた。
顔を上げて、近くにあるヴィンセント様の顔を見つめる。青灰色の目は、とっても優しく細められていた。
『ほう、いい雰囲気だな?』
『わらわたちを放置していちゃつこうなどとは、百年早いわ』
『ううん、フタリは夫婦だから、いちゃつくの当たり前』
わたしにとってはおなじみの、たいそう楽しげなからかいの声がすぐ近くから聞こえてきた。いつの間にかわたしたちは、ネージュさんたちに囲まれてしまっていたのだ。
ヴィンセント様が思いっきり動揺した声で、ネージュさんたちに言う。
「な、何を言っているのだお前たちは」
『何を言っているか、だと? 要するに軽口だな。ざっくり言うと、おれたちはおまえたちをからかいたいんだよ』
『その通りじゃ。まったくお主たちときたら、どう見ても好き合うておるというのに豪快にすれ違いよって。ずっと、はらはらしておったのじゃぞ? 今まで気をもまされたぶん、楽しませてもらわんとのう』
『アナタたち、仲良し。素敵。でも照れてるのも面白い』
さらに勢いを増す三人の軽口に、ヴィンセント様はいたたまれなくなったのかぷいと横を向いてうつむいた。
その耳がちょっとだけ赤くなっていることに気づき、彼に見えないように微笑んだ。彼の手を、やはりしっかりとにぎったまま。
そんなこんなで、わたしたちのお喋りはさらににぎやかになった。もっとも、ネージュさんたちのずけずけとした物言いに、まだヴィンセント様はちょっぴり戸惑っているようだった
そうやって、とても幸せでのどかに過ごしていたある日の朝のことだった。
「んん……」
ベッドで眠っていると、やけに柔らかなものが頬に触れた。ネージュさんの毛皮もふわふわだけれど、この何かもとってもふわふわで気持ちがいい。
そろそろと目を開けて、そちらを見る。わたしが使っている枕の上に、小さな小さな毛玉が一つ、のっかっていた。
「うわあ、可愛い……」
起き上がって、その毛玉を見つめる。やっと夜が明け始めたところで、ほのかな朝の光がその毛玉をぼんやりと照らしていた。
その毛玉は、ヒヨコのように見えた。ふわふわでぽわぽわの羽毛、つぶらな目にちっちゃなくちばし。けれど、普通のヒヨコの半分くらいの大きさしかない。しかも、鮮やかな青色をしている。
もしかすると、この子も幻獣かもしれない。そう思って、小声で話しかけてみる。
「……あの、おはようございます」
しかし返ってきたのは、ぴよぴよという鳴き声だけだった。
「あれ、幻獣じゃないのかな……?」
首をかしげていると、そのヒヨコはぴょんと跳ねて、そのまま空中をゆっくりと進み始めた。どう考えても飛べそうにない小さな翼で、ぱたぱたと羽ばたいて。
「やっぱり可愛い……じゃなかった、どこに行くの?」
そのヒヨコは入り口の扉に向かって飛んでいき、そのまま扉に吸い込まれるようにして消えた。びっくりしてベッドを飛び降りて、後を追いかける。
廊下に出てすぐに、なおもゆっくりと飛んでいるヒヨコを見かけた。さっきの様子からすると壁くらい突き抜けられそうなのに、律義に廊下を進んでいる。
どこに行こうとしているのだろう。ヒヨコに続いて進んでいると、足元に小さな影が見えた。
飛んでいるヒヨコとそっくりなヒヨコが、わたしの足元を歩いている。しかも次第に、数を増やしていた。突然空中からわき出るようにして、ヒヨコが次々と姿を現していたのだ。
まだ薄暗い廊下を、青い小さなヒヨコが群れになって突き進む。それはとっても不思議で、そしてわくわくする光景だった。ヒヨコを踏まないように気をつけながら、一緒になって歩き続ける。
この子たちがどこに行こうとしているのか、心当たりはあった。まっすぐ進んで、突き当たりを右に、さらにまっすぐ。
そこにある扉に、ヒヨコたちは体当たりしていく。やはり吸い込まれるようにして、その小さな姿が次々と消えていった。
一つ深呼吸して、扉をノックする。
「ヴィンセント様、起きてますか? その、青いヒヨコが……」
その言葉に返ってきたのはうめき声。驚いて扉を開け、中に入る。
「ああ、エリカ……どうしたものだろうな、これは。話も通じないし」
そこには、青いヒヨコの群れに半ば埋まったヴィンセント様がいた。ベッドの上で、上体だけを起こしたまま。
ヒヨコたちはぴよぴよ鳴きながら、ヴィンセント様の頭や肩の上によじ登り、くつろいでいる。
「わたしも、この子たちとは話ができないんです」
「そうか。ひとまず、ネージュたちにも見てもらうしかないだろうな。しかしこのヒヨコをつぶさないように動くのは、骨が折れそうだ」
「わたし、手伝います」
それからわたしはヴィンセント様にまとわりついているヒヨコたちを引っぺがし、その隙にヴィンセント様は寝間着から普段着に着替えた。
もちろん、着替えの間わたしはヴィンセント様に背中を向けていた。夫婦だから見てもいいとは思うのだけれど、やっぱり恥ずかしい。
それから、今度はわたしが自室に戻って身支度を整えた。
そうしてわたしたちは、さらに数を増しているヒヨコの群れを引き連れて、屋敷の裏手の森に向かっていったのだった。
『おやまあ、これは珍しいのう。ひな鳥ではないか』
『エリカはこいつらと話せないようだが、おれたちとも話せないな。幼すぎるんだ。もう少し成長すれば、そのうち話せるようになるだろうさ』
『コドモ。生まれたて。たくさんいるけどヒトリ』
ネージュさんたちによれば、この青いヒヨコはやはり幻獣で、しかもこのたくさんいるヒヨコは全部同じ鳥、というか一羽の鳥がばらばらに分かれている状態なのだそうだ。
『数が減ったり増えたりしているから、たぶんおれやトレと同じように異空間を通れるのだろうな。こいつの種族が何なのか分かれば、もっとはっきりするんだが』
『青い鳥といっても何種類もおるでのう。わらわたちの知らぬ種族やも知れぬし』
そんなことを話している間にも、ヒヨコたちはどこからともなく現れ続けている。
『ヒヨコ、また増えた。たぶん、もっともっとたくさんいる、トレはそう思う』
「数を調整できるのなら、数羽くらいにしてもらえると助かるのだが……」
ヴィンセント様がそうつぶやくと、ヒヨコたちの数が一瞬にして減った。残った数羽が、ヴィンセント様の頭にちょこんとのっている。すっかりなついている。
『ところで、これらに仮の名をつけてやるというのはどうじゃ? どうせこれらも、ここに居つくのじゃろうし』
スリジエさんがおかしそうに笑いながら、そう提案してくる。ヴィンセント様の頭の上に乗ったヒヨコたちは、気のせいか嬉しそうに跳ねていた。
確かに、呼び名がないと不便だ。しばらくみんなで話し合って、仮の呼び名を決める。
「ええと……フラッフィーズ?」
そう呼びかけると、青いヒヨコたちは一斉に鳴いた。
『どうやら、気に入ったみたいだな。まあ成長すれば、いずれ本当の名を自分で語るだろう。それまでこいつらはフラッフィーズだ』
名前を呼ばれたからなのか、フラッフィーズの数が一気に増える。あっという間に、わたしたちはフラッフィーズに埋もれていた。
「とてもいい手触りだな。ほんのりと温かくて……」
『おいヴィンセント、毛並みならおれのほうが上だぞ』
「ああ、すまない。そうだな、お前の毛は最高級だ」
そんなことを話しているヴィンセント様とネージュさんの声を聞きながら、わたしたちを包んでいる青色を見る。今日からこの子も、わたしたちの仲間だ。
幸せだなあ、と思いながら微笑むわたしの目の前では、柔らかな朝日がゆっくりと昇っていた。
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