第24話 理解してもらえなくて

 ヴィンセント様とわたし、それにネージュさん、スリジエさん、トレにフラッフィーズ。決して普通ではない、しかしとっても楽しい日々を、わたしは全力で楽しんでいた。


 けれどそんなある日、ヴィンセント様が真剣な顔で言った。


「エリカ、そろそろ一度、ご両親のところに顔を見せにいってはどうだ」


「もうちょっと先でもいいと思います。まだここに来てから、一年も経っていませんし」


「だが、君の両親は心配しているだろう。なにせ嫁ぎ先が嫁ぎ先だ」


 ヴィンセント様は複雑な顔をしている。申し訳なさそうな色が、その目にはにじんでいた。


「あの、ヴィンセント様。わたしはあなたのところに嫁ぐことができてとっても幸せだって、いつも言っています……よね」


「ああ、君のその思いを否定するつもりはない。だが周囲の人間がどう思うかは、別の問題だ」


 彼の言いたいことは分かっていた。ヴィンセント様は、貴族たちには良く思われていない。たぶん、わたしの両親にも。わたしに縁談を持ってきてからの両親は、何とも言えない複雑な表情をしていたから。


 平民上がりの騎士であり貴族であるヴィンセント様には、たくさんの敵がいる。国の外にも、国の中にも。分かってはいるけれど、そのことを考えるとやはり辛い。


「……あの、だったらヴィンセント様も、一緒に来ませんか」


「いつかはな。今回は、君一人のほうがいいだろう」


 それもまた、ヴィンセント様の気遣いなのだと思う。まずは親子水入らずで、ゆっくり話してくるといい、そんな感じの。


「……分かりました。でしたらわたし、実家でたっぷりと話してきます。ここでの暮らしがどれだけ幸せなのか、ヴィンセント様がどれだけ素敵な方なのか」


 胸を張ってそう答えると、ヴィンセント様は無言で微笑んだ。ちょっぴり泣きそうな顔だなと、そんなことを思った。




 それから一週間ほど後、わたしは一人で実家に戻っていた。


 馬車を降りたとたん、とても心配そうな様子の両親が駆け寄ってきた。


「よく戻った、エリカ。よく無事で……」


「顔を見せてちょうだい。……あら、あなた、少し日に焼けた? あの家で辛い思いはしていない?」


「大丈夫です、お父様、お母様。わたし今、とっても幸せですから」


 にっこりと笑いかけると、両親は明らかに戸惑った顔をした。どうやら、わたしの言葉が予想外だったみたい。


「そ、そうだわエリカ。あなたが帰ってくると聞いて、お友達も駆けつけてくれたのよ。さっそく、みんなでお茶にしましょう」


 いち早く立ち直ったらしいお母様が、わたしの手を取って歩き出す。そうしてわたしは、お茶会の席に案内された。


「エリカ、久しぶりね」


「結婚してから一度も会えなかったから、寂しかったわ」


 友人たちが、そんなことを口々に言っている。かつてヴィンセント様についての様々な噂を教えてくれたのも、彼女たちだ。


 思うところは色々とあったけれど、ひとまずなごやかにお茶を飲んでお喋りすることにした。けれど、平和な時間はそう長くは続かなかった。お父様が大いに悩みながら、重々しく切り出したのだ。


「……エリカ、一つ確認させてくれ。ヴィンセント殿のお屋敷には化け物が出るという噂を聞いたのだが」


 化け物屋敷の噂は、こんなところまで届いてしまっていた。あそこには幻獣がいっぱいいるなんて、お父様は信じてくれるだろうか。


 答えに詰まっていたら、今度はお母様まで似たようなことを言い出した。


「……ヴィンセント様は、悪い噂こそあれどきちんとした方だと思ったわ。でも、化け物屋敷だなんて……恐ろしい……」


 それにつられるようにして、友人たちも次々と口を開く。


「そもそも、ヴィンセント様は戦のたびに駆り出されているのでしょう? 何度も独りきりで待ち続けるって……私だったら、辛いなあ」


「いつか帰らぬ人になるかもしれないのだし……気の弱いエリカが一人残されるなんて、心配だわ」


「それに、言ったら何だけど、あの方って平民の出でしょう? エリカと話が合うとは思えないんだけど」


 そうして、お父様がわたしをまっすぐに見つめた。やけに強い、どことなく怖い視線に思わず息をのむ。


「……エリカ。決めたよ。お前はこのまま、ここに残りなさい。離縁については、私がヴィンセント殿と話し合うから」


「我が家の繁栄とあなたの安全、そんなものを天秤にかけてしまったことを後悔しているの」


 両親がさらに口にした言葉に、ついに我慢しきれなくなった。驚きよりも、怒りのほうが勝っていた。


 背筋を伸ばし、その場の全員を順に見すえる。ゆっくりと息を吸って、口を開いた。


「わたしは、ここに残るつもりはありません。わたしの帰る場所は、ヴィンセント様が待つあの屋敷です」


 かすかに震えた自分の声が、やけに遠くから聞こえる。


「あの屋敷は、化け物屋敷なんかじゃありません。わたしの大切な人が暮らす、大切な場所です」


「でも、だったらどうしてそんな噂が立ってしまったの? それにヴィンセント様だって、秘密だらけの怖い人じゃない」


 友人の一人が、視線をさまよわせながら口を挟む。彼女をまっすぐに見つめて、さらに言葉を続けた。


「噂は噂。わたしは、自分の目で見たものを信じるわ。ヴィンセント様は寡黙で誤解されがちだけど、とっても優しくて素敵な方なんだから。これ以上ヴィンセント様のことを悪く言わないで」


 わたしの気迫にのまれたのか、みんな神妙な顔をして口をつぐむ。もう一度大きく息を吸って、畳みかけた。


「わたしは今、とっても幸せなの。誰がなんと言おうと、その事実は変わらないの」


 ヴィンセント様はずっと、こんな噂と視線に一人で耐えていたのだ。でも、何があろうと、わたしは彼の味方だ。彼が怒らないなら、わたしが代わりに怒る。


 そんな決意を新たにしながら、震える両手をぐっとにぎりしめていた。




 結局、実家には一泊だけしてすぐに戻ることにした。


 ここにいたら、いつの間にやら離縁させられていたなんてことになるかもしれない。そう思ったら、一刻も早くここから離れたくてたまらなかったのだ。


 両親はとても複雑な顔をしていた。それも当然だ。だって、わたしがあそこまではっきりと両親に逆らったのは、生まれて初めてなのだから。


 何か言いたそうにしている両親にさっさと別れを告げて、大急ぎで馬車に飛び乗った。それこそ、逃げるようにして。


 そうして予定よりずっと早く戻ってきたわたしを見て、ヴィンセント様は目を丸くしていた。


「……おかえり、エリカ。ずいぶんと早かったな。積もる話もあるだろうから、しばらく戻ってこないかもしれないと思っていたが」


 その声を聞いていたら、なぜか急に涙があふれてきた。


「ど、どうしたんだ、大丈夫か」


「ただいま、戻りました。やっとヴィンセント様の声が聞けて、それで嬉しくて」


 ヴィンセント様はかなり戸惑っているようだったけれど、それでも泣きじゃくるわたしをそっと抱き寄せてくれた。


「……ならば、好きなだけ泣くといい。俺でよければ、そばにいるが」


「ヴィンセント様にそばにいてほしいです。ヴィンセント様がいいです」


 そう答えて、ヴィンセント様の胸に額を当てる。懐かしい、優しい香りがする。


 結局わたしは、その後しばらくヴィンセント様に寄りかかったままでいた。彼に甘えられる幸せを、かみしめながら。

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