第4話 夫婦としての最初の一歩

 勇気を振り絞って口を開いたら、情けなくなるくらいに裏返った声が出た。ヴィンセント様がぴたりと動きを止め、こちらに背を向けたまま立ち尽くしている。


「貴族は何を考えているか分からないって、さっき、そうおっしゃってましたよね……ですからわたしは、今まで考えていたことを、そのまま言おうと思います」


 正直なところ、わたしもヴィンセント様が何を考えているのかさっぱり分からない。


 わたしのことを気遣ってくれているのに、態度はどこまでもそっけなくて、わたしを追い返すことばかり考えている。


 そしてきっとヴィンセント様も、わたしが何を考えているのか分からなくて困っているのだと思う。


 初対面からずっと冷たくしているのに、それでもどうにかしてあいさつをしようと食い下がってくる、政略結婚でやってきた妻。しかも実家に帰ってもいいと言っているのに、一向に帰ろうとしないのだから。


「……わたしは、両親に命じられてあなたのもとに嫁ぎました。いわゆる、政略結婚です」


 ぴくりと、ヴィンセント様の肩が動いた。彼は確かに、わたしの話を聞いてくれている。そのことに勇気づけられるように、さらに言葉を紡いでいく。


「わたしはあなたのことを、何も知りません。それにあなたも、わたしのことを知らないのだと思います」


 ああ、という彼の声が聞こえた気がした。返事をしてもらえた。嬉しくなって、力いっぱい言い放つ。


「でも、わたしはあなたと、ちゃんとした夫婦になりたいと思っています。こうやってわたしたちが出会ったのも、何かの縁です。わたしはあなたのことを、愛せるようになりたい。あなたの妻として、あなたを支えていきたい。このままさようならじゃ、悲しすぎます」


 そのままゆっくりと踏み出して、ヴィンセント様のすぐ後ろに立った。


 そろそろと手を伸ばして、ヴィンセント様の袖をそっとつかむ。拒まれなかったことにほっとしながら、両手でぎゅっとヴィンセント様の手を取った。


「だから、わたしに機会をください。お互いを知っていく、そのための機会が欲しいんです」


 そのまま、じっと返事を待つ。ヴィンセント様は、さっきから全く動かない。ネージュさんは興味津々でわたしたちをじっと見ている。


 沈黙だけが辺りに満ちていた。時折、不釣り合いにのどかな鳥の声が聞こえてくる。


 ヴィンセント様の手は、とてもがっしりとしていて固かった。国を守るために剣を取って戦い続けた、その年月がその手に表れているように思えた。


 彼はこの手で、わたしたちの国を守ってくれていたのだ。そう感じたら、胸が熱くなった。かつて友人たちに聞かされた彼の悪い噂など、少しも気にならなくなるくらいに。


 思わず手に力がこもってしまう。けれどそれでも、ヴィンセント様はわたしの手を振り払おうとはしなかった。彼は戸惑ったように首を振り、わたしに背を向けたままつぶやく。


「……分かった。折を見て、少し話そう。それくらいなら……」


「本当ですか!? ありがとうございます!」


 自分でも驚くくらい、はしゃいだ声が出てしまった。ヴィンセント様は静かに、やはり少し困惑したような声でつぶやく。


「……ああ、本当だ。だから、いい加減手を離してくれ」


「あっ、ごめんなさい」


 あわてて手を離すと、ヴィンセント様はゆっくりと息を吐いた。ずっと緊張していたような、そんなため息だった。


 ネージュさんが小さく笑いながら、道を開ける。ヴィンセント様はこちらを見ることなく、そのまま立ち去っていった。


 ヴィンセント様の後姿を、わたしとネージュさんは並んで見送っていた。


『さっきの演説は、中々面白かったぞ』


 やがて、ネージュさんがそう言った。


「演説なんてすごいものじゃないですよ。思ったことを、そのまま言っただけですから。……子供っぽい妻だって、あきれられてないといいなあ……」


 今さらながらに、あれでよかったのだろうか、もっと他に言いようがあったのではないかと、そんな考えが浮かんでしまったのだ。


『いや、おまえはよくやったさ。あの時のヴィンセントの顔、見せてやりたかったぞ。おまえの言葉は、間違いなくあいつの心を動かした』


「……そう、なんですか?」


『ああ、そうだ。これからもその調子で、思ったことをばんばん言っていけばいいんじゃないか? ああそうだ、話し合いの場にはおれも同行させろ。こんな面白そうなものを見逃す手はないからな』


「それは、ヴィンセント様との話をこの森でしろ、ということですか? どうやって説得しよう……」


『ああ、説得はしなくてもいいぞ。今までと同じようにここに通っていれば、自然とあいつもやってくるからな』


 そう言って、ネージュさんは含み笑いをする。こくりとうなずきながら、わたしは心躍るものを感じていた。


 一歩だけ、ヴィンセント様に近づくことができた。彼に触れることができた。これから、もっと彼を知ることができるかもしれない。


 そんな浮かれた思いが、心の中でぴょんぴょんと跳ね回っていた。

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