第11話 何をたくらんでいるのでしょうか
思い切り吹っ飛んだスリジエさんは、背の翼を器用に使ってすぐに体勢を立て直した。ひるがえる桜色が、とても美しい。
『なんじゃ狼、わらわの邪魔をするでない。無粋よのう』
『おい馬、おれはネージュだ。それよりおまえ、ヴィンセントに何をしている』
『ふむ、わらわはスリジエじゃ。見た通り、こやつの香りを堪能しておったのじゃが』
『後にしろ。今は、大切な作戦の真っ最中だ。とっとと引っ込め』
『邪険にしてくれるな。久々に面白い人間たちを見つけて、わらわは気分が良いのじゃ』
『面白い人間、か……おまえはこいつらの関係を、どう思った?』
牙をむいていたネージュさんが、ふと声をひそめた。
『そうじゃのう。かぐわしい男に言葉の通じる女、夫婦だというのにまるで打ち解けていない。だが、嫌い合っている訳でもない。何とも奇妙な距離感じゃ』
スリジエさんが、くすりと笑う。あの表情……ネージュさんと同じ感じだ。
『……そっと背を押してみたら、面白い具合に転がっていきそうではないか? ちょっと押してみたくもあるのう』
『なんだ、気が合うなおまえ。実はおれも、そう思ってこいつらをここに連れてきたんだ』
『ほうほう。もう少し、具体的に聞かせてたもれ』
ネージュさんとスリジエさんはちらりとわたしたちを見て、そのままこちらに背を向けた。頭を突き合わせて、ひそひそこそこそと何やら話し込んでいる。
「エリカ、彼らはいったい何を話しているのだろうか……」
幻獣二人の妙な雰囲気を感じ取ったのか、戸惑った顔でヴィンセント様が尋ねてきた。
「はっきりとは聞こえないんですが……意気投合しているのは確かだと思います」
「幻獣が二頭、仲良く顔を付き合わせている……か。珍しいにもほどがあるな」
『おいヴィンセント、別に仲は良くないぞ』
『そうじゃそうじゃ。わらわたちはしばし、協力し合うことにしただけじゃからの』
二人が同時に、こちらを振り向いた。明らかに笑みを浮かべた青と金の目が、わたしとヴィンセント様をじっくりと見ている。
『心和ませる美しい花畑も、二人の距離を縮めるには足りなかった』
『ならば、別のきっかけを用意すればよいだけのことよのう』
何とはなしに嫌な予感がする。二人の言葉が分からないヴィンセント様も、どことなく不穏な気配を察したらしく、身構えている。
『ほほ、取って食うたりはせぬゆえ、ちいと落ち着け』
そんなわたしたちに、スリジエさんが優雅に笑いかけてくる。
『邪魔をしたわびに、面白いものを見せてやろうぞ。ほれ、わらわの背に乗るがよい。二人同時にな』
スリジエさんがそう言って、花畑の上に腹ばいになった。
「あの……特別に、乗せてくれるみたいです」
「くらも手綱もない状態で二人乗りとは……少々危険ではないだろうか」
『ええい、ごちゃごちゃ抜かすなこわっぱ! わらわをそこらの馬と一緒にするでないわ。揺らしも、落としもせん』
どうやらわたしたちは、スリジエさんの言葉に従うほかないようだった。
そうしてわたしたちは、みんなで空の上にいた。落ちないようにスリジエさんのたてがみをしっかりとつかんで。
「……大丈夫か、エリカ」
すぐ後ろからは、ヴィンセント様の戸惑いがちな声がする。がっしりした腕がわたしを守るように伸ばされているのが、ちょっぴり嬉しい。
「は、はは、はい」
うなずいた拍子に、下の光景が目に入ってしまう。さっきまでいた花畑が小さくなって、まるで色とりどりのじゅうたんだ。
美しいけれど、怖い。思わずひざの上のネージュさんをぎゅっと抱きしめる。
『おい、苦しいぞエリカ。これくらいの高さなら、落ちたとしてもおれがなんとかしてやれる。だから少し落ち着け』
今は犬くらいの大きさのネージュさんが、そう言って胸を張る。
「ネージュさん、飛べるんですか?」
『いいや。だが、着地ならできる。元の大きさに戻れば、これくらいどうということはない。おまえたちを抱えて、きちんと着地すればいいだけの話だからな』
「エリカ、たてがみから手を離すな。可能な限り、支えてやるつもりだが……」
ヴィンセント様が、そんな風に声をかけてくる。心配してもらえて、ものすごく嬉しい。
『まったく、お主たちはわらわをちっとも信用しておらんのじゃのう。……と、おやまあ』
スリジエさんがそう言った時、いきなり世界がぐらりと揺れた。右へ左へ、スリジエさんはふらふらゆらゆらと揺らぎ続けている。
『おい、どうしたスリジエ!』
『すまぬのう。どうやらこの辺りでは、風が乱れておるようじゃ。じきに抜けるゆえ、それまで耐えておれ』
「少しの間、揺れるそうです……きゃっ!?」
ネージュさんを落とさないようにしっかりと抱えたまま、後ろのヴィンセント様に声をかける。軽く振り向いたその時、スリジエさんががくんと傾いた。
「危ない、エリカ!」
スリジエさんの背から落ちかけたわたしを、ヴィンセント様がしっかりと抱き留めてくれた。
「そのままじっとしていろ。雪狼を落とさないように。君は俺が支える」
「はっ、はい!」
ヴィンセント様のたくましい腕にしっかりと抱きしめられてしまった。どうしよう、頭がふわふわする。相変わらずスリジエさんは揺れ続けているのに、少しも不安を感じない。
この気持ちを、言葉にしてヴィンセント様に伝えてみようか。でもきっと、口を開いたら余計なことを言ってしまう。さっき、花畑でそうだったように。
だからネージュさんをぎゅっと抱えて、口をつぐんでいた。けれどそうしていると、今度はヴィンセント様の体温が気になってしまう。温かい。くすぐったい。そわそわする。
と、背後からぼそりと声がした。
「……君は、小さいな」
わたしを支えているヴィンセント様の腕に、力がこもっていく。けれどその腕からは、どこか戸惑いのようなものが感じられた。
「……俺の、妻か……やっぱり、守れそうにない……こんなに小さくては」
「ヴィンセント様?」
いつになく沈んだ声に、そろそろと振り向く。冬の空のような青灰色の目が、すぐ近くでわたしを見ていた。とても悲しげで、でも優しい目だった。
彼の言葉の意味はよく分からない。でも彼がわたしのことを気遣ってくれている、そのことは確かだった。
それが嬉しくて、彼の腕につかまったまままっすぐに見つめ返す。
すると、腕の中から小さな声がした。
『よし、うまくいったな』
『そうじゃな。やはりちょっとした恐怖は人同士の距離をぐっと近づける。頑張ったかいがあったというもの』
ネージュさんのつぶやきに、なおもふらふらと飛んでいるスリジエさんが答えた。二人とも、とても楽しそうだった。
『いい演技だったぞ、スリジエ。おれまでつい恐怖を感じそうになるような、見事な揺れっぷりだ』
『褒めてもろうたところ申し訳ないのじゃが、これは演技ではなくてのう』
『おい、ということは……』
『ほんにこの辺りは風が強うてかなわん。わらわ一人ならともかく、これだけ荷物を乗せていると、まっすぐ飛ぶのも難儀でのう』
そう言ってため息をつくスリジエさんに、ネージュさんがあわてた声で言い返す。
『落とすなよ、絶対に落とすなよ!! さっきはああ言ったが、さすがにこの高さから落ちたら、おれも無傷とはいかないからな!』
「落ち着け、雪狼。お前は俺が支えてやるから、そうほえるな」
ネージュさんの声は、ヴィンセント様にはただの鳴き声にしか聞こえていない。
けれど、ネージュさんがあせっているのは伝わったのだろう。ヴィンセント様がわたしの腕の中のネージュさんをなでてなだめている。
『おれじゃなくて、エリカをなでてやれ!』
『そうよのう。気のきかぬ男じゃ。なんならもう少し、揺さぶってやろうかの』
幻獣たちの声が、ヴィンセント様に聞こえなくてよかった。そんなことを思いながら、わたしはしっかりとヴィンセント様につかまっていた。
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