第12話 王宮に行くことになりました
スリジエさんは、わたしたちについてきた。そして、ネージュさんがねぐらにしている裏の森で暮らすことを決めてしまった。
『良い森じゃ。ヴィンセントの残り香がするのも良い。それに何より、この二人が幸せになるところを見届けたいしのう。これからは、わらわも首を突っ込ませてもらうぞよ』
『よかったなエリカ、こいつもおまえの力になってくれるんだと』
どうもスリジエさんも、わたしとヴィンセント様との間を取り持とうとしてくれているらしい。頼れる味方……なのかな?
ネージュさんのおかげで、ヴィンセント様に料理をふるまってもらえるようになった。それをきっかけに、多少お喋りができるようになった。
スリジエさんのおかげで、ヴィンセント様にほんの少し近づくことができた。あれからヴィンセント様は、わたしが近づきすぎても警戒しなくなった。
少しずつ、距離は近づいている。カタツムリの散歩くらいの速さで。
いつか、夫婦として仲良く過ごせる日もくるのかなあ。いつになるんだろう。そう思いながら、そっとため息をのみ込んだ。
ある日、ぎこちない会話が流れる食事の席で、ヴィンセント様が不意に言った。
「エリカ、陛下が俺たちを呼んでおられる。すまないが、君も来てくれ」
「は、はい。……その、どういった用件、なのでしょうか?」
「…………俺たち夫婦がうまくやっているか、確認されたいのだそうだ」
うっ、という声が出そうになって、あわててこらえる。最初の頃と比べると、ヴィンセント様の態度も変わってきた。
でも、夫婦としてうまくやっているかって……そう主張するにはちょっと……数年くらい経ったら、何とかなるかもしれないけれど……。
「二人そろって顔を見せ、二、三当たり障りのない受け答えを済ませれば、それで用事は片付くだろう。そう緊張しなくても大丈夫だ」
わたしが困惑しているのを感じ取ったのか、ヴィンセント様がそう言った。彼はわたしを遠ざけようとしているけれど、わたしが困った時はちゃんと助けてくれる。
「わ、分かりました」
そう返事をしながらも、ちょっと複雑な気分だった。
陛下にはばれてしまうかな。わたしたちの、この距離感。ばれて欲しいのか、欲しくないのか。自分でもよく分からない。
ただ陛下に会うのは、やっぱりとても緊張する。それだけは確かだった。
それから二日後、わたしたちは馬車に乗って王都を目指していた。
「……ついて来ているな」
「来てますね」
二人一緒に、窓の外を見る。窓ガラスに映るわたしたちの顔は、何とも言えない微妙な表情を浮かべていた。
視線の先には、軽やかに駆ける桜色の馬。背中には、大きな翼が生えている。もちろん、スリジエさんだ。彼女は、わたしたちの馬車のすぐ横を走っているのだ。
たまには走らぬと、足がなまってしまうからのう。それに人里を訪ねるのも楽しそうじゃ。彼女はそんなことを言って、わたしたちの旅に同行することを決めてしまったのだ。
ちなみに、馬車を操っている御者はスリジエさんに気づいていない。
スリジエさんは『見えずの霧』という特殊な霧をまとい、自分の姿を消すことができるのだそうだ。しかも、姿を見せたい相手には見せたままにしておけるとかで。
だから、わたしとヴィンセント様は彼女の姿を見ることができるのだ。ただそう言われても、いまいち納得できない。本当に、姿が消えてるのかな、あれ。
「幻獣が、姿を隠して王都見物か……前代未聞だな」
「しかも、スリジエさんだけではないですし……」
「そうだな」
短く答えて、ヴィンセント様は馬車の空いた座席に手を伸ばす。そこには、大きな布袋が置かれていた。袋の中身は、大きなお盆ほどもある鏡だ。
スリジエだけついていくなんてずるい、おれもつれていけとネージュさんが大騒ぎしたのだ。
小さくなってスリジエさんの背中に乗せてもらったらどうだとヴィンセント様が提案したのだけれど、それは難しいらしい。ずっと小さくなっているとものすごく疲れるのだそうだ。だから、小さくなって馬車に乗るのも無理、と。
だったら、鏡の異空間を通って王宮にある鏡から出てくればいいのではないか。そう言ったら、ネージュさんは首を横に振った。
『一度目にしたことのある鏡であれば、おれは自由に出入りできる。ただおれはもちろん、王都に行ったことはない』
ネージュさんによれば、知らない場所にある知らない鏡に飛ぼうとすると、少しずれたところに出てしまう可能性があるのだそうだ。
『つまり、おれが王宮に無理に向かおうとすると、どこに出るか自分でも分からん。人間の集まっているところに出てしまったら、それこそ大騒ぎになるかもな』
なのでこうやってわたしたちが鏡を運び、王宮に着いたらネージュさんがここから出てくる。そこからは小さい姿のままで、犬のふりをすればいい。そんなふうに、話がまとまった。
ネージュさんは今、いつもの森でのんびり待っている。わたしたちがいつ頃王宮に着くかは教えてあるので、頃合いを見てこの鏡から出てくる予定だ。
「……幻獣の能力というのは面白いな」
「そうですね」
先日のネージュさんとの会話を思い出しながら、二人で布袋を見つめる。気づけば二人とも、苦笑を浮かべていた。
「それにしても、素敵な袋ですね。ふち飾りが、とっても綺麗……」
この布袋は、ヴィンセント様が用意したものだ。
太めの糸を使った、素朴だけれど繊細なレース編みのふち飾りがとても素敵だ。わたしも編み物はするけれど、これは見たことのない編み方だ。
その時、ふと思った。もしかするとこの飾りは、ヴィンセント様の手によるものかもしれない、と。ネージュさんは、ヴィンセント様の趣味が料理と裁縫だと言っていたし。
「あの、ヴィンセント様。その……このふち飾りって、もしかして」
「……俺が作った。内密にしていてもらえると助かる」
「はい、もちろんです。ただ……もし、よければなんですけど」
ヴィンセント様が、ためらいつつもきちんと答えてくれた。それが嬉しくて、つい図々しいお願いを口にしてしまう。
「屋敷に戻ってからでも、その編み方、後で教えてもらえませんか……? とっても綺麗ですし、どうやって編むのか気になって」
「……ああ」
ヴィンセント様はそれだけしか答えてくれなかったけれど、その口元にかすかな笑みが浮かんでいるのが見えた。
断られなかった。それに、嫌がられてもいない。そのことにほっとして、息を吐く。
ふと、窓の外のスリジエさんが目に入った。春の花のような彼女は、弾むような軽やかな足取りで駆けていた。
そんな風にのんびりと旅を続け、二日後にわたしたちは王宮に到着した。陛下のもとに向かうため、そのまま王宮に入る。
スリジエさんが悠々と、わたしたちの後をついてきていた。その背中には、小さくなったネージュさんが嬉しそうな顔で座っている。こうやって、一緒に見えずの霧の中に入っているのだ。
ここは門も扉も大きいゆえ、わらわでも楽に出入りできるのう、などと浮かれながら、彼女は足音を殺しながら歩いている。忍び足の馬なんて、初めて見た。
陛下への謁見自体は、問題なく終わった。優しいおじいちゃんのような雰囲気の陛下は、それこそ親が息子を心配するような目で、ヴィンセント様にあれこれと尋ねていた。
何か困っていることはないか、手助けが必要なら言ってくれ、と。しかも陛下は、初対面のわたしにまでとても優しく声をかけてくれた。
そうして用事を終えたわたしたちは、またのんびりと王宮の廊下を歩いていた。謁見の間の前で待っていたスリジエさんとネージュさんに合流して。
二人はずっともの珍しそうな目をして、あちこちをきょろきょろと見渡し続けていた。というかさっきも、扉が開いた時に謁見の間をのぞいていた。陛下にばれなくてよかった。
そんなことを考えていた時、かすかな話し声が聞こえてきた。
声の主は、通りすがりの貴族たちだ。何だか嫌な目で、遠くからちらちらとこちらを見ている。彼らの視線の先には、押し黙るヴィンセント様がいた。
「まったく、身の程を知らぬやからだな……堂々と王宮を歩くなど、本来許される身ではないというのに」
「剣の腕が立つだけの、猛獣風情が。ああ、血の臭いがぷんぷんするわ」
「隣にいるのが、いけにえ代わりに差し出されたとかいう娘か。まったく哀れだな、貴族の身でありながら平民に嫁がされるとは」
そんな言葉が、切れ切れに耳に飛び込んでくる。間違いない、あの貴族たちはわたしたちのことを噂しているのだ。それも、ヴィンセント様のことを悪く言っている。
頭にかっと血が上る。何か言い返してやりたいと思ったその時、スリジエさんのゆったりとした声が耳に飛び込んできた。
『おやまあ、何ともあからさまな陰口じゃのう。しかしあやつら、もうちょっと上品にやれぬものかのう。幼稚じゃ。面白うない』
『陰口なあ……人間ってのは分からないな。おれが戦場でこいつと出会った時、こいつはやけに頼りにされてたぞ』
『こやつを頼っていたのは、おそらく平民の兵士じゃろうな。で、あちらできゃあきゃあ騒いでおるのは、たぶん貴族じゃ』
『平民に貴族。どっちも同じ人間だろうが』
『わらわもそう思うがのう、平民と貴族は見た目も考えもまるで違っておるのじゃ』
『謎だな。ヴィンセントは平民の生まれで、今は貴族……でもこいつは、何も変わってないぞ』
『じゃのう。だからこそ、こやつは面白いのじゃ』
スリジエさん、意外に人間の事情に詳しいんだ。そんなことを考えた拍子に、ちょっとだけ頭が冷えた。
そのままそろそろと、隣のヴィンセント様を見上げる。噂の中心であるはずの彼は、堂々と正面を見すえて、少しもひるむことなく歩き続けていた。
何か、声をかけたほうがいいのかな。あんなの気にしないでください、とか。でもおせっかいになってしまわないかな。
戸惑い迷っていると、ヴィンセント様は前を向いたままぽつりとつぶやいた。
「気にしなくていい。いつものことだ」
「いつもの、こと……?」
思いもかけない返事に、足が止まる。進もうとするヴィンセント様の袖をつかんで、引き留めた。
「あの……どうか、説明していただけませんか」
こちらを見るヴィンセント様の青灰色の目は、優しくて、悲しかった。
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