第37話 幻獣たちの外出

 気持ちよく晴れたある日。ネージュは、離れのテラスに座っていた。彼の前には、きちんと整列した幻獣たち。エリカやヴィンセントは、この場にはいなかった。


『そういった訳で、おれたちは今から王宮に向かう。おれとスリジエ、それにトレはあそこに行ったことがある。人間の世界に不慣れな者たちは、おれたち三人のそばを離れないように』


 その言葉に、幻獣たちは神妙な面持ちでうなずいた。それを見て、スリジエが翼を広げる。


『さて、空を行くものはわらわと共に行こうぞ。見えずの霧で、まとめて包んでやるゆえにな』


 舞い上がるスリジエを、七色の鳥や羽の生えた猫などが追いかけていく。よく見るとスリジエの背中には、フラッフィーズがちょこんと乗っていた。


『ちっちゃい子たちは、トレに乗る。トレ、大きい子は運べない』


 その言葉に、手のひらに乗るほどのウサギやネズミが、わらわらとトレの毛皮にしがみついた。それからトレは、テラスの横の草地に飛び込んで消える。


『よし、おれたちも行こう』


 残りの幻獣たちが、ネージュの白くて長い毛にぶら下がった。ネージュはにやりと笑い、テラスの石の床に飛び込む。大きな一枚の石を磨きこんで作られたその床は、まるで鏡のように輝いていたのだ。


 こうして誰もいなくなったテラスに、さわやかな日差しがさんさんと降り注いでいた。




 ネージュたちが外出を決めたのには、れっきとした理由があった。


 ヴィンセントとエリカは、ようやく夫婦らしく仲睦まじい姿を見せるようになっていた。しかし二人の関係は、どうにももどかしいところで足踏みをしていた。


 それがじれったくてたまらない幻獣たちは、久々に屋敷の裏手の森に集まってこそこそと話し合っていたのだった。


『二人、仲良くなった。トレ嬉しい。でもちょっと、物足りない?』


『トレの言う通りじゃ。仲は良いのじゃが……しかし、どうにもこうにも、のう……』


『いちゃつきが足りないな』


『これ、ネージュ。わらわが気を遣って言葉をぼかしたというのに、お主ときたら』


『ぼかしたところで意味がないだろう。こうなったら、あいつらがどうやったらもっといちゃつくのか考えよう。おれたちに何ができるのかについてもな』


『いちゃいちゃ……それ、トレたち手伝える? たぶん無理』


『どう考えても無理じゃろう。あやつらときたら二人そろってうぶじゃから、うかつに口を挟めば余計にぎこちなくなるだけじゃと思うがの』


『おまえたちもそう思うか。だからおれなりに、考えてみたんだが……』


 ネージュの考えはこうだった。


 初めてこのテラスでくつろいだ時、彼の毛に埋もれて話していた二人は、間違いなくいちゃいちゃしていた。つまりあの二人に足りないのは、二人っきりの時間なのだと。


『だから、理由をつけてあいつらを二人っきりにする。おれたち幻獣全員と、使用人も全部この屋敷から出すんだ』


『幻獣はいい。でも使用人をこっそり出すの、難しいかも?』


『大丈夫だ、協力者がいる。実は、使用人たちについては既に手を打ってある』


『やれやれ、手際のよいことじゃのう』


 スリジエが目を細めて天を仰ぐ。トレもあきれたように笑った。


『ならば、後はわらわたちが外出するだけか。しかし、二人が仲を深める現場を見られぬのが、少々もどかしいがの』


『スリジエ、あきらめて。二人のため』


『こっそり飛んで戻って、姿を消して見物しようなんて思うなよ。もし気づかれたら、あいつらはさらに警戒するからな』


『ちっ、ばれておったか。仕方ない、おとなしく言うことを聞くとするかのう』


 口惜しげに首を振るスリジエを見つめながら、ネージュとトレは大きくうなずいた。


『よし、それじゃさっそく取り掛かるとするか。まずは幻獣を全員集めよう』


 弾んだ足取りで、三人は屋敷に向かって歩き出す。みな、おかしそうな笑みを浮かべていた。




 ネージュたちは幻獣たちを集め、事情を説明した。幻獣たちはみんな快く、屋敷を一時離れることに同意したのだった。


 そうして意気揚々と屋敷を発ったネージュたち幻獣一同は、なんと王宮の中庭に集まっていた。


『よし、それではここからは自由行動だ。空の色が変わり始めたら、またここに集まれ』


『ほかのヒト、おどかしたらダメ。こっそり隠れて、人間見物。ここでのんびりするの、結構面白い』


『隠れておる自信のない者は、わらわについておれ』


 ネージュたちがそう言い終わると同時に、幻獣たちはあちこちに散っていた。


 トレと一緒に中庭でくつろぐ者、スリジエと一緒に王宮の中をふらふらしにいく者、好き勝手に王宮や城下町に散っていく者。


 それらを見届けて、ネージュはすっと息を吸う。犬くらいの大きさにまで縮んだ彼は、一人とことこと廊下を歩いていった。




『約束通り、遊びに来たぞ』


 異様に大きく、豪華な装飾のついた鏡から、小さなネージュがぬるりとすべり出てくる。それからすぐに、元の大きさに戻った。長くしなやかな白い毛が、ふわりとなびく。


「おお、待っておったぞ」


 ここは謁見の間。そしてネージュを出迎えたのは、何と王その人だった。彼は玉座から立ち上がり、いそいそとネージュに歩み寄ってくる。


『しかし、おまえも変わった人間だな。王というのは、人間の中でも立場が上で、偉いのだろう? それなのに、人ですらないおれの願いをあっさり聞き入れるとは』


 ネージュが言っていた協力者とは、王のことだった。ヴィンセントとエリカ以外で、彼らと意思疎通できる人間を、ネージュは他に知らなかった。


 だから彼は、駄目で元々と王のところをこっそり訪ね、思うところを述べてみたのだ。あのもどかしい夫婦を何とかしたい、そのために使用人たちを一日でいいから留守にさせたい、と。


 王は大変乗り気で、すぐに手紙をしたためてくれた。二人の暮らしぶりについて聞きたいから、使用人たちみなで王都に来てくれ、と。しかも王は、迎えの馬車まで用意してくれたのだ。


 使用人たちは今朝一番にヴィンセントの屋敷を発ち、王と話した後は城下町を思い思いに散策している。彼らは王の命令で、今日は一日休暇を取らされていた。


 どのみち、ヴィンセントもエリカも家事はできる。使用人が昼間の間ずっと留守にしていても、何も困らないのだ。


「わしも、あの二人のことはずっと気にかかっておったのでな」


 王はネージュの姿をうっとりと眺めながら、そうつぶやく。


「ヴィンセントに伯爵の位を与えることにしたことを、後悔はしておらぬ。だが、あやつがああもかたくなに妻を拒むとは、思ってもおらなんだのじゃ」


『そうだな。あいつはエリカが来ると決まってから、毎日毎日愚痴を垂れ流していた。おれはあいつとそこそこ長い付き合いだが、あいつにあんな一面があるなんて思いもしなかった』


 すぐ近くで見上げる王の顔をまっすぐに見返しながら、ネージュはしんみりと言った。


『……まあ、それもあいつなりの優しさではあったんだがな。いつ戦死するかもしれない自分と夫婦になったら、相手の女が不幸になる。あいつはそう考えていた』


「なるほど、あやつはそんなことを考えておったのか……なんとも、不器用な男じゃのう」


『そうだな。だがおれは、あいつのそういうところを気に入っている』


「わしもじゃよ」


 今の今までしんみりとしていた二人が、同時ににやりと笑った。


『なんだおまえ、気が合うな』


「そういうお主こそ」


 それをきっかけに、二人の話題はがらりと変わっていった。二人はそれぞれの知るヴィンセントの思い出を、互いに語り合い始めたのだ。


『それでだな、その時あいつは……』


「ほうほう……」


 謁見の間の豪華なじゅうたんに二人して座り込み、顔を突き合わせて話し込む。


 やんちゃな子供たちがいたずらの計画を練っている時のような、お喋りな女性たちが噂話に花を咲かせている時のような、そんな様子だった。


「うむ、お主と話しておるのはたいそう楽しい。何より、その率直な態度が楽でよいわ。人ならぬものと話せる魔法の耳飾りをもう一組引っ張り出してきたのは、正解じゃった」


『ああ、その耳の金色のやつだな。ヴィンセントとそろいの』


「そうとも。貴重な品ゆえに、わしとてそうやすやすとは持ち出せんのじゃ。おかげで、大臣たちに渋い顔をされたがの」


 王はそう言って、からからと晴れやかに笑う。しかしすぐに、難しい顔をした。


「しかし、こうなると気になるのう。あの二人、どうしておるかのう……」


 遠くを見るような目で、王はため息をつく。その姿を見て、ネージュはふと何かを思いついたような顔をした。


『……なあ、王。おまえ、あいつらが今どうしているか、見てみたいか?』


「もちろんじゃ。しかしあやつらの屋敷に今から向かっても、間に合わんじゃろうし……そもそもわしに気づけば、あやつらはいつも通りに取り繕った顔をするじゃろうし」


『よし、王。おれに命じろ。おまえは偉いんだろう? 今だけ、おれはおまえの命令を聞いてやろう』


 その言葉で、王はネージュの言いたいことを察したらしい。打って変わって重々しい声で、低く言い放った。


「ならば、命じよう。白く気高き幻獣ネージュよ、わしを彼らの屋敷に、彼らに見つからぬように連れてゆけ」




 ネージュは王を背に乗せ、そばの大鏡に飛び込んだ。鏡の異空間を通り抜け、ヴィンセントの屋敷の裏手の森に姿を現す。


「鏡を通って、不思議な空間を抜け、そうして泉から出てくる、とな……たっぷり二十年分は驚かされたわい」


『しっ、声をひそめろ。ヴィンセントたちがこの森に来ているかもしれない』


 また小さくなったネージュはしばらく空気の匂いをかいでいたが、やがて大きくうなずいた。


『……大丈夫そうだ。あいつら、屋敷にいるらしい』


 そうして二人は、周囲を警戒しながら進んでいった。遠くにちらちらと見える屋敷の窓越しに、人影が見えている。


 ネージュと王は、屋敷に近づきすぎないように気をつけながら、手頃な茂みに身を隠した。


「おお、いい感じに二人が見えるのう」


『しかも二人とも、こちらに気づいていない。好都合だ』


 二人の視線の先には、とても親しげに、楽しそうに笑い合うヴィンセントとエリカの姿があった。


「幸せそうじゃな……見ているこちらの胸まで、温かくなるような」


『そうだな。わざわざおまえと手を組んで、こんな手の込んだことをしたかいがあった』


 とても初々しい、そして仲睦まじい夫婦を、ネージュと王はゆるみきった顔でじっと見守り続ける。と、ネージュがふと眉間にしわを寄せた。


『ん? ……この匂いは……』


 真剣な顔で、彼は左右を見渡す。


『おまえたちも来てたのか。まったく、しょうがないな』


『そう言うお主も同じようなものであろ。しかも王まで連れてくるとはのう』


 何もない虚空から、スリジエの声が返ってくる。


『トレも来た。ちょっと見るだけならいい? 見つからなければいい』


 もさもさと茂る植込みの中から、トレの声がした。ネージュはさらに鼻を動かして何かを探っているようだったが、やがてぼそりとつぶやいた。


『……なんだかんだで、幻獣が全員いるな。まったく……』


 彼は小さくため息をついて、それから周囲に呼びかける。


『みんな、のぞきはこれくらいにして離れに行こう。せっかく王がここまで来たんだ、おれたちの家を見せてやろうじゃないか』


 その言葉に、あちこちから小さな同意の声が上がる。その中には、王の声もあった。


 ヴィンセントたちに見つからないように遠回りしながら離れに向かう王と幻獣たち。それを先導するネージュが、ふと小さく笑った。


『いつの間にか離れに王が来ていたと知ったら、あいつらどんな顔をするだろうな』


 驚いて、困って、もしかしたら叱ってくるかもしれない。それもまた面白いと、ネージュは感じていた。


 ヴィンセントと出会い、彼の近くに住むようになって。日々彼の話を聞くようになり、やがてエリカがやってきて。ネージュはそんな変化の数々を、心から楽しんでいた。


『長い時を生きてきたおれが、こうも長く人のそばにいることになるとは思わなかった』


『それだけ、あやつのそばは居心地がいいということであろうな。……わらわも、その点については同意じゃ』


『トレも。たぶんもっとずっと、ここにいる』


 スリジエとトレが、そっと彼の独り言に答えた。ネージュは晴れ晴れとした笑みを浮かべ、二人にうなずきかけた。


『まあ、あいつらはかなり世話が焼けるからな。おれたちがついていてやらないと、どうしようもない』


 そうして、彼らは軽やかに駆けていった。明るい笑い声を上げながら、彼らの家に向かって。

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愛されないはずの結婚でした 一ノ谷鈴 @rin_ichi

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