第34話 えっと、呼ばれてるんですか?

 スリジエさんの背に乗って屋敷に戻り、中庭に降り立つ。とたん、屋敷の中から使用人たちが一斉に駆け出してきた。


「エリカ様、ご無事ですか!」


「ああ、よかった……戻られなかったらどうしようと……」


 わたしたちを取り囲んだ使用人たちは、てんでにそんなことを言っている。涙ぐんでいる者もいた。


『相当心配されていたようだな』


『仕方あるまい。主が留守にしているというのに、今度は奥方まで飛び出していったのじゃから』


『普通は心配する。トレたちがすごいって、このヒトたちは知らないから。エリカが大丈夫かなって、そう思うの当たり前』


 植え込みからひょっこりと顔を出し、ついでにそばの花を一輪もしゃもしゃと食べながら、トレがのんびりと言う。


 気をつけてスリジエさんの背中から降り、使用人たちを見渡して口を開いた。


「みんな、心配させてごめんなさい。わたしは無事よ。彼らが助けてくれたから」


 そう言って、得意げに胸を張るネージュさん、優雅にしなを作っているスリジエさん、二本目の花をもぐもぐやっているトレ、十羽ほどが一列になって飛び回っているフラッフィーズを順に指し示す。


「そしてもう一つ、ヴィンセント様も無事です。戦いは終わったわ。じきに、ヴィンセント様も戻ってこられます」


 わたしの言葉を聞いた使用人たちの喜びようは、ものすごいものだった。


 メイドたちは手を取り合って泣き笑いをし、執事や料理人たちも顔を見合わせてうなずき合っている。みんな涙声で、よかったよかったとてんでにつぶやいていた。


 前から薄々感じてはいたのだけれど、ヴィンセント様は屋敷の使用人たちにとっても愛されていると思う。


 彼ら彼女らは、ヴィンセント様が料理をしていても、わたしが雑巾片手にせっせと掃除をしていても、眉をひそめたりはしない。むしろ、かすかに微笑みながらそっと見守ってくれていた。


『ヴィンセントのやつ、一人でいようとしたとか何とか言っていたが、どう考えても無理な話だったな。これだけの人間に慕われているのだからな』


『そうじゃな。案外あやつ、人間をも引きつける匂いを放っておるのかもしれぬぞ。貴族はきっと鼻が詰まっておるのじゃ』


『トレもそう思う。鼻づまり。薬あげたら、治るかな?』


 大喜びの使用人たちを見て、ネージュさんたちがのんびりとなごやかに話している。


 にぎやかな中庭を見ながら、わたしはようやく安堵のため息をついていた。




 そうして屋敷に戻り、またヴィンセント様の帰りを待ちながら過ごす。


 けれど前のように、不安でたまらなくなることも、落ち着かずに裏の森に駆け出すこともなかった。だって、ヴィンセント様が無事に戻ってくることは、もう分かっていたから。


 でもやっぱり、わたしは裏の森にいた。ヴィンセント様が帰ってくるのが待ちきれなくて、みんなでお喋りすることでその気持ちをまぎらわせようとしたのだ。


「ヴィンセント様、いつ戻られるかな……」


『もうしばらくかかるだろうな。軍というのは人数が多いせいか、歩みはあまり早くない。あいつに初めて出会った後、しばらく面白半分について歩いたが、あまりの遅さにあきれたものだ』


『それに、空を進めるわらわと違って、あやつらは地道に歩いていくほかないからのう』


 綺麗な桜色の翼をぴんと伸ばして、スリジエさんがつぶやく。


『あやつが帰ってきたら、またみなで遠出というのはどうかの。もちろん、敵の兵士などおらぬ平和な場所に。花畑もいいが……温泉などもよいと思うぞ』


『温泉、行く? トレ、いいところ知ってる』


 ここ数日は、ずっとこうやって過ごしていた。


 みんなで中庭に集まり、日なたぼっこをしながらだらだらとお喋りをする。そしてそのお喋りは、気づくといつも同じところに向かっていくのだ。


 ヴィンセント様が戻ってきたら何をしよう、どこへ行こう。みんなのそんな思いつきは、どんどん具体的になり、しかも数を増していった。


 帰ってきたらしばらくは、ヴィンセント様はあっちこっちに引っ張り回されるんだろうな。既に海岸と、雪山と、温泉に遊びにいく計画が立ってしまっている。


 ネージュさんたちは、何がなんでもヴィンセント様を連れていくだろう。もちろん、わたしもついていく。


 きっとヴィンセント様は、大いに戸惑いながらも、その旅を楽しんでくれるんだろうな。そのさまを想像してくすりと笑ったその時、一羽の鳩がわたしたちの目の前に舞い降りてきた。


「この子って……伝書鳩?」


 鳩の足には、小さな筒がくくりつけられている。その筒を慎重に足から外し、中身を取り出す。


『もしかしてこれは、ヴィンセントの字か? 読めないが、見覚えがある』


「読みますね。ええと……『エリカ、ネージュたち三人とフラッフィーズを連れて、王都まで来てくれ。陛下が、君と彼らに会いたいとおっしゃっておられるんだ』だそうです」


 その言葉に、さすがのネージュさんたちも驚いたらしい。みんな黙って、顔を見合わせている。


 しかし次の瞬間、一斉に笑い出した。


『人間の王がおれたちに会いたいだとはな。おかしなこともあるものだ』


『呼びつけられるのは少々気に食わぬが、まあ大目に見てやろうかのう。うむ、それではその王とやらの顔を拝んでやろうぞ』


『お城、トレ行ったことない。気になる』


 三人はあっという間にそう決め、口を挟む隙すら与えずに動き出した。


 スリジエさんがかがみこみ、背に乗れとせかしてくる。ネージュさんが小さくなって、その横にちょこんと座っている。トレは大きく伸びをして、花壇の中にぴょんと飛び込んで消えた。フラッフィーズがぱたぱたと飛んで、わたしの肩に乗る。


 前に屋敷を発った時とはまるで違う、穏やかで楽しい空気。


 それを嬉しく思いながら、いったんその場を離れる。屋敷のみんなに、ちょっと出かけてきますと伝えるために。




 王都まではそう遠くない。少なくとも、この間の戦場よりはずっと近い。


 スリジエさんは本気を出せば馬車の十倍近い速さで飛べる。でものんびり飛んでいても、馬車よりもずっと速い。


 わたしはネージュさんを抱きかかえ、スリジエさんの背に乗って髪をなびかせていた。お喋りの続きをしながら進んでいると、あっという間に王都が見えてきた。


『さすがに、民草にわらわの姿を見られると大騒ぎになりそうじゃのう。見えずの霧をまとって、一気に駆け抜けるかの』


 そう言って、ネージュさんは軽やかに王都の上空を駆け抜ける。遥か下で、人々が行きかっているのが見える。普通に生きていたら、こんな位置から町を眺めることなんてまずない。


 珍しい光景に目を見張っていると、スリジエさんが高度を上げた。そのまま、城を取り囲む塀をあっさりと越えてしまう。


『さて、トレとは中庭で落ち合う約束じゃったのう。しかし中庭といっても、ずいぶん広いものじゃな』


『あっちだ、南西の角の木の下。そこからあいつの匂いがする』


 ネージュさんの指示に従い、中庭の一角に降り立つ。明るい黄緑色の茂みの中に、トレは見事に溶け込んでいた。


『トレ、ここでこっそり昼寝してたの。でもスリジエ速い。もっと寝たかった』


 大きくあくびをして、トレはスリジエさんの足元に移動して、見えずの霧の中に入り込んだ。


『さて、次はヴィンセントを探さぬとなあ』


「探さずとも、俺はここにいるぞ。すまないが、見えずの霧を消してくれないか」


 中庭で話し込むわたしたちに、ヴィンセント様が歩み寄ってきた。


『おや、ずいぶんと早い出迎えじゃの。ほれ、これで見えるようになったじゃろう』


「ああ、助かる、スリジエ。そろそろ来る頃だろうと思って、ここで待っていたんだ」


『気味が悪いくらいすぐにやってきたな、おまえ』


「あの知らせを聞いたら、きっとお前たちはすぐにここに向かってくると、そう思ったからな。トレの移動方法から考えて、おそらく待ち合わせは中庭だ。この一角は特に日当たりが良くて、トレが隠れられそうな草むらもある」


 愉快そうに笑いながら、ヴィンセント様がそう解説してくれた。


「そう当たりをつけて、この辺りを遠くから眺めていた。そうしたら、トレがにょっきり生えてきたんだ。声をかけようか迷っていたら、そのまま寝てしまってな。だから俺も、ここで待つことにしたんだ」


 そう言って笑うヴィンセント様を見ていたら、もういても立ってもいられなくなった。スリジエさんの背を滑り降りて、ヴィンセント様に駆け寄る。


「お久しぶりです、ヴィンセント様!」


 ヴィンセント様に会えた。それが嬉しくて、彼の手を取り、頬をすり寄せる。本当は抱き着きたかったけれど、ここはわたしたちの屋敷ではないから駄目だ。


「エリカ、王宮でそんなふるまいは……それに久しぶりも何も、まだ離れて一週間ほどで」


『新妻を一週間もほったらかしにしておくお主が全面的に悪いのう』


 照れているのか視線をそらすヴィンセント様を、スリジエさんがぴしゃりとはねつけた。


『そうだな。伝書鳩を飛ばすなら、ついでに恋文の一つも送ってやれ』


『手紙じゃなくて、ヴィンセントが言いにくればいいのにってトレ思った』


 ネージュさんとトレも、やいのやいのとはやしたてている。フラッフィーズがぱたぱたとヴィンセント様のところに飛んでいって、彼の髪をくわえて引っ張っていた。


 幻獣たちに好き勝手されて戸惑っているヴィンセント様が、なんだか可愛らしく見えた。


「ヴィンセント様にはヴィンセント様の立場があるって、分かっていますから。……でも恋文は欲しかったなって、そう思います」


 彼の手をしっかりとにぎったまま、彼の顔を見上げる。その間も、幻獣三人は元気に騒ぎ続けていた。フラッフィーズがまた増えて、わたしたちの周りをぐるぐると飛び回っている。


「そう、か。……善処する」


 そのままヴィンセント様と見つめ合う。ここが王宮の中庭だってことも忘れそうなくらいに、幸せな気分だった。

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