第35話 さあ、家に帰りましょう

 ヴィンセント様と並んで、王宮を歩く。前に来た時と同じように貴族たちのひそひそ声が聞こえていたけれど、少しも気にならなかった。


 隣にはヴィンセント様、すぐ後ろには姿を消したままのネージュさんたち。大切なものは、全部ここにあるから。彼らがどれだけ素敵なのか、わたしは知っているから。


「……どうした、上機嫌だな」


「分かりますか? 幸せだなあって、そう思ってたんです」


 本当は、ヴィンセント様と手をつないで歩きたかった。でもここは王宮の中なので、さすがに我慢しなくてはならない。


 軽やかな足取りで進み続けて、とうとう謁見の間の前にたどり着いた。扉の両脇に立っている兵士たちが、ゆっくりと扉を開けてくれる。


 わたしとヴィンセント様が扉をくぐり、その後ろからネージュさんもやってきている、はず。みんな見えずの霧の中にいるので見えないけれど、くすくす笑いが聞こえるし。


 そうして陛下は前と同じように満面の笑みで、わたしたちを出迎えてくれた。


「エリカよ、ヴィンセントから聞いたぞ。お主は夫の危機に、幻獣たちと共に駆けつけた。そうして、南の国との戦を止めてくれた。こたびのお主の働き、感謝する」


 陛下はやはり優しいおじいちゃんのような目つきで、わたしにそう声をかけてくれた。


 嬉しいのとおそれ多いのとで、あわててしまって言葉が出ない。どうにかこうにか、ありがとうございます、とだけ答えることができた。


 小さく首を振った拍子に、隣のヴィンセント様が目に入る。彼は無言で、穏やかに笑いかけてくれた。その表情に、緊張がふっとほぐれる。


「ところで、幻獣たちはどこに来ておるのじゃろうか。わしはそこそこ長く生きてはおるが、まだ一度も幻獣を見たことがない」


 どことなくそわそわしたような、期待に満ちた目で陛下は尋ねてくる。ヴィンセント様が笑顔のまま、ゆったりと答えた。


「ここに来ております、陛下。彼らの持つ特殊な力で、姿を消しているのです」


「そうか、よければ姿を見せてはもらえぬかの?」


 陛下がそう答えたとたん、スリジエさんが見えずの霧を消した。同時に、優雅に翼を伸ばす。


 その風に巻き込まれたフラッフィーズが彼女の背から転がり落ち、抗議でもするかのように数を増やしてぱたぱたと群れで飛ぶ。


 スリジエさんの背にいたネージュさんも床に降り立ち、普段の大きさに戻る。長く美しいしなやかな毛を見せつけるように、悠々と首を振っていた。


 二人の間に挟まれたトレは、いつも通りのんびりと鼻をひこひこさせている。


「なんと、まあ……まこと、不思議なる生き物じゃ……」


 彼らの姿を目にした陛下は、目を真ん丸にして驚いていた。感動したような声で、うっとりとつぶやいている。


『ふむ、そなたが人間の王か。わらわたちが珍しいようじゃのう。よいぞ、存分に見つめるがよい。称賛されるのは好きじゃ』


『エリカはおれを怖がらなかったが、こいつもか。ううむ、もう少し威厳を出したほうがいいのかもしれんなあ』


『おもしろいヒト。ここで草を生やしたら、驚くかな?』


 みんなが口々にそう言うと、陛下はしわだらけの顔に大きな笑みを浮かべた。


「ほう、ほう、本当に話ができるのじゃな。なんと素晴らしい」


 よく見ると、陛下の耳には見覚えのある金色のピアスが輝いていた。ヴィンセント様が目を丸くして、陛下に声をかける。


「陛下、わざわざそのピアスを持ち出されたのですか」


「そうじゃよ、ヴィンセント。お主の話を聞いておったら、もういても立ってもいられなくてのう。どうしても、彼らと話してみたかったんじゃ」


『このヒト、変なヒト? トレたちと話したいって。わざわざ』


『かもしれないな。もっとも変だというなら、ヴィンセントやエリカもたいがいだが』


『わらわたちと話せたことが、そこまで嬉しいとはのう……悪い気はせぬが』


 三人は口々に、割と失礼なことを言っている。彼らは人間の仕組みの外にいる存在だから、王様に対する礼儀なんて持ち合わせていないのだろう。陛下は気にしておられないようだけれど。


「ヴィンセント、エリカ。お主たちに、改めて褒美を取らせなくてはな。先の戦の功労と、そして彼らをわしに引き合わせてくれた礼として。何か、望むものはあるじゃろうか」


 その言葉に、思わずヴィンセント様と顔を見合わせる。褒美。何か、欲しいものはあっただろうか。


 考えても考えても、思いつかない。強いて言うなら、ヴィンセント様が二度と戦に行かなければいいのにな、と願いたい。でも、さすがにそれは無理な話だ。


 ヴィンセント様がいて、みんながいて、毎日穏やかに暮らせている。それ以上、何を望むことがあるのだろう。


 困り果てていると、ヴィンセント様が小さく笑った。それから陛下に向き直り、きびきびとお辞儀をする。


「しばらく、考えさせてもらってもよろしいでしょうか。今すぐには、思いつきません。……私も妻も、今とても満たされ、幸せですから」


 その言葉に、陛下はにっこりと笑った。心底ほっとしたような、そんな笑顔だった。


「そうか、良かったのう。……わしはずっと、お主の働きに応えたかった。そうして思いつくまま、お主に色々なものを与えてきた。しかしそれは、お主にとっては余計な重荷だったのかもしれない。そのことが、ずっと気にかかっていたんじゃ」


 ヴィンセント様はその剣の腕で数々の戦を勝利に導いた。そして陛下はそんな彼に男爵の、そして伯爵の地位を与えられた。


 けれどそれにより、ヴィンセント様は貴族たちの悪意にさらされることになった。きっと陛下は、そのことをおっしゃっておられるのだろう。


 しんみりとつぶやいていた陛下が、また笑った。今度の笑みは、ネージュさんたちに向けられていた。


「欲しいものが決まったら、いつでも来るがよい。幻獣たちも連れてな。幻獣たちよ、わしはお主たちを心から歓迎する。気が向いたら、ぜひ遊びに来てくれ」


『うん。王宮の庭、面白そう。あっ、トレはトレっていうの』


『そういえば、名乗りがまだだったな。おれはネージュ』


『スリジエじゃ。よろしく頼むぞ、人間の王』


 そんな陛下と幻獣たちを、わたしとヴィンセント様は静かに見守っていた。




 王宮での用事も全て終わったので、いよいよ屋敷に帰ることになった。しかし馬車の手配をしようとしていたところ、ネージュさんたちに止められた。


『おれたちに任せろ。そのほうが早い』


 そうして彼らは、あっという間に帰り支度を整えてしまった。


 トレとフラッフィーズは異空間を通って、一足先に屋敷に戻る。


 わたしとヴィンセント様はネージュさんに乗って、鏡の異空間を通ることになった。少しだけある荷物はスリジエさんに運んでもらう。


『わらわだけは、どうあっても自分の翼で飛んでいくほかないからの。人を乗せておってはゆっくり進むしかないが、ただの荷物だけなら遠慮せずに飛べるわ。行きよりも、ずっと早く戻ってみせようぞ』


 そうしてわたしとヴィンセントは、ネージュさんと一緒に王宮の大広間に向かった。そこに、とびきり大きな鏡があるのだ。


 わたしたち三人で、鏡の前に並んで立つ。


『それじゃあ、戻ろうぜ』


「ああ、よろしく頼む、ネージュ」


「……やっと、みんなで家に帰れるんですね」


 そうつぶやいた自分の声が、泣きそうに震えている。いけない、こんなところで泣いちゃったら。一生懸命にこらえていたら、肩に手が置かれた。


 見上げると、優しく微笑むヴィンセント様の顔。胸がぎゅっと苦しくなるのを感じながら、こくんとうなずいた。彼の手に自分の手を重ね、ぎゅっとにぎりしめる。


 そうしてそのまま、よりそっていた。鏡の中のわたしたちは、とても幸せそうな顔をしていた。

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