第22話 困難を経て、深まる絆

 出陣から戻ったヴィンセント様は、なぜかわたしをじっと見つめていた。


「あ、あの、ヴィンセント様?」


 そう声をかけても、彼はぴくりとも動かない。表情は険しく、青灰色の目はやけに強い光をたたえている。


「……俺の部屋に来てくれ」


 突然、彼はそう言った。ヴィンセント様の部屋ならちょくちょく訪ねているし、寝る前にお喋りすることもしょっちゅうだ。


 でもどうして、彼はこんな顔でわたしを呼びつけているのだろう。ちらりと足元に目をやると、小さくなったネージュさんと、それにトレがそっくり同じ角度で首をかしげていた。


 そんな彼らにうなずきかけて、戸惑いながらヴィンセント様の後を追いかけた。




「…………」


 ヴィンセント様は無言だ。彼の部屋に入ってからどれくらい経ったのだろうか、わたしたちは向かい合って座ったまま、ただ黙って見つめ合っている。気まずい。


 ネージュさんたちがいてくれれば、もう少し場も和んだかもしれない。でもヴィンセント様は、二人だけにしてくれとネージュさんとトレに頼んだのだ。


 だからわたしはおとなしく座って、じっとヴィンセント様を見つめていた。


 きちんと整えられた黒い髪、きりっとした青灰色の目。凛々しい面差しに、たくましい体つき。


 ここ半月ほど、見たくてたまらなかったその姿が目の前にある。そのことにちょっぴり涙ぐみつつも、ひたすらに様子をうかがっていた。


 というのも、ヴィンセント様はさっきからずっと、何か言いたそうな顔をしていたのだ。言いかけてはためらって、考え込む。そんなことを繰り返している。


 こうなったら、ひたすら待とう。ようやくヴィンセント様に再会できたのだから、おかしな沈黙くらい、気にしないでおこう。


 そう決意したまさにその時、ヴィンセント様がつぶやいた。


「……顔色が悪いな」


「あ、えっと、その、これは……ちょっと疲れてるだけなので」


 戸惑いながらそう答えると、ヴィンセント様は悲しげに目を伏せてしまった。


「……やはり、ここでただ待っているのは苦痛だっただろうか」


「……辛くなかったと言ったら、嘘になります。でも、ネージュさんたちもいてくれましたし……また出陣があっても、わたしは待てます。待つことに、慣れてみせます」


「そう、か」


 ヴィンセント様はこちらを見ないまま、ぽつりぽつりと話し続けている。


「君が待ってくれている。俺は、そのことが嬉しかった。今までの出陣の中で一番、帰る日が待ち遠しかった」


 目元をわずかにほころばせ、でも苦しげな顔で彼はつぶやく。


「だがやはり、君は苦しんでいた。こんな目にあわせたくなくて、君を遠ざけようとしていたのに」


 そうしてようやく、彼は顔を上げた。途方に暮れた子供のような、そんな目をしていた。


「俺は、どうしたらいいんだ……」


 そんな彼に、優しく笑いかけた。心からの笑みを、彼に向ける。


「ヴィンセント様が帰りたいと思ってくれた、そのことがとっても嬉しいです。待ったかいがありました」


 彼の顔に、ゆっくりと驚きの表情が浮かんでいく。


「だからどうか、今まで通りに過ごさせてください。ちょっと辛いこともありますけど、でもやっぱり、嬉しいことのほうがずっとずっと大きいですから」


「……君は、本当に……それでいいのか」


「もちろんです! 今だって、ちゃんとヴィンセント様が無事に帰ってきてくれた喜びで、胸がとっても温かいんですから。今日は久しぶりに、ぐっすり眠れそうです」


「……久しぶりに? まさかと思うが、何日もろくに寝ていない、などということは……」


「あっ、ええっと、その分ちゃんとお昼寝しましたから!」


 あわてているわたしの姿がおかしかったのか、ヴィンセント様がぷっと吹き出す。ああ、やっと表情が柔らかくなった。


 手を伸ばして、テーブル越しに彼の手をつかむ。それからもう一度、にっこりと笑った。


「それに、今回の件を経て……わたしたち、前よりも夫婦らしくなれたのかなって思います」


「そう……だろうか」


「ええ、そうですよ。夫婦って、楽しいことも苦しいことも、一緒に手を取り合って乗り越えていくんですから。そうやってお互いに支え合って生きていくんです」


「ああ、そうだな」


 わたしたちはそのまま、手を取り合って見つめ合っていた。さっきまでの落ち着かない沈黙ではなく、この上なく愛おしい静けさの中で。


 やっと、幸せが戻ってきた。心からそう思えた。




 そうして、次の日。朝食の時、見慣れないものに気がついた。


 ヴィンセント様の耳に、小さな金色のピアスが輝いていたのだ。伯爵家の当主とは思えないくらいに質素な身なりの彼は、普段は飾り物のたぐいは一切身に着けない。


「ヴィンセント様、綺麗なピアスですね」


 そう声をかけると、なぜか彼は気まずそうな顔をして視線を泳がせた。


「ああ。……その、これは陛下にいただいたものなんだ」


「……陛下に?」


「そうだ。今回の出陣、敵を追い返すこと自体はすぐに終わった。ただその直後、陛下の命により王都に向かうことになったんだ」


「もしかして、そのせいで帰りが遅くなったんですか?」


「実は、そうなんだ。あまりに急なことで、君に連絡することができずに……すまなかった」


 そうだったんですか、と答えながら、ほっと胸をなでおろす。ヴィンセント様が苦戦したのではなくて、本当に良かった。


「ところで、陛下の命というのは……?」


「……困りごとはないか、と聞かれた」


 どちらかというとその陛下の言葉に困らされたのだと言わんばかりの顔で、ヴィンセント様は答える。


「妻の前では言いづらいこともあるだろうと、わざわざ俺が一人で屋敷を離れた時を狙って、陛下は俺を呼ばれたらしい」


「あの……何て答えたのか、知りたいなあって……駄目ですか?」


 興味半分、怖さ半分でそう尋ねると、ヴィンセント様は照れくさそうに笑った。


「俺はとても良い妻を得ることができました。どうすれば彼女に報いることができるのか分からないのが、目下の悩みです。そう答えた」


 その言葉に、一気に顔に血が上る。わたし、今真っ赤になっている気がする。


「陛下は、そのままお主の思うようにやってみるがいい、とおっしゃった。そのせいで、余計に困ってしまったが……」


「もしかしてそれが、昨夜の問いにつながったのですか? 自分はどうしたらいいのか、という」


 ふと思ったことを尋ねると、ヴィンセント様は気まずそうに目をそらしてしまった。ちょっぴり顔が赤い。一つ咳払いをすると、彼は強引に話を引き戻した。


「と、ともかく。このピアスは、その時に褒美としていただいたものだ。ちょっとした魔法が込められているのだが、それについては後で話す」


「はい、楽しみにしておきますね」


 今のこの国に、魔法はない。少なくともわたしが知る限り、魔法を使える人はいない。けれどかつて魔法は確かに存在していたらしく、魔法が込められた品があちこちに残っているのだ。


 ヴィンセント様のピアスを見ながら、あれこれと考えてみる。


 いったいどんな効果があるのだろう。早く知りたい。ネージュさんたちも驚くかな。そして何より、あのピアスはヴィンセント様によく似合っている。


 そんな考えにふけっているうちに、いつの間にか朝食を食べ終えていた。




 それから中庭に出て、思い思いの場所でごろごろしていたネージュさんたちを一か所に集める。


『なんだ、どうした? 改めておれたちを集めるなんて』


『面白いことが起こりそうな予感じゃ』


『トレに用事?』


 いつも通りにわいわいと騒いでいる三人を見つめて、ヴィンセント様はただ立ち尽くしている。気のせいか、その肩がこわばっているような。


『ん? 珍しいな、耳飾りなんてつけて。……その気配、それは魔法の品か。どういう魔法だ?』


『ほう、やはり面白いことになっておるのう。ほれ、はよう説明するがよい』


『不思議? 不思議? 何々?』


 それでもやはり、ヴィンセント様は全く動かない。いつもとあまりにも違う様子に、心配になって声をかけた。


「あの、ヴィンセント様……どうかしましたか?」


「本当に……聞こえる……彼らの言葉が、分かる……」


 その言葉に、ネージュさんたちが一斉にヴィンセント様を見た。

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