第18話 お化け屋敷ではありません

「しかし、恐ろしい話だな。一生に一度会えるかどうかの幻獣に、次々と出会えるとは」


 トレは相変わらず、ヴィンセント様の足に鼻面をすりよせている。猫みたい。


「あの、それなんですけど……」


 ためらいながら、ヴィンセント様に説明する。ネージュさん、スリジエさん、そしてトレ。三人は口をそろえて、ヴィンセント様からいい匂いがすると言っていたのだと。


「……つまり俺が、幻獣を呼び寄せていた……? まるでマタタビだな。微妙な気分だが」


「……すみません。わたしも同じようなことを考えていました。まるでマタタビだって」


 そんなことを話しながらトレを見つめていたら、別の声が割り込んできた。


『おい、なんだか知らない匂いがするが……なんだそいつは』


『おや、また風変わりなものがおるのう』


 そんな声と共に、ネージュさんとスリジエさんが姿を現す。二人の目は、トレにくぎづけになっていた。


『こんにちは、トレです。アナタたち、このヒトの知り合い?』


『ああそうだ。おれはネージュ。……しかしおまえ、変わった姿だな』


『わらわはスリジエじゃ。ところでもしかして、お主もこやつに目をつけたのかのう?』


『うん。トレ、このヒトの匂いもっとかぎたい』


『ならおまえも来るか? こいつの家のすぐ裏に、頃合いの森があるんだ。人の手がほとんど入っていない、生き生きとしたいい森だ。おれとスリジエがねぐらにしているが、まだまだ空きはある』


『素敵。トレ、そこに住む』


 ネージュさんとスリジエさん、それにトレのやり取りを見ていたヴィンセント様が、何とも言えない顔でわたしを見た。


「ずいぶんと打ち解けているようだな……まさかと思うが、草鼠もあの森に棲みつくつもりだろうか」


「そのまさかです。もう話がまとまってます」


 二人でひそひそとささやき合っていたら、トレが深緑の目をきらきらさせてこちらにやってきた。


『よろしくね、エリカ、ヴィンセント』


 嬉しそうに鼻をひこひこさせているトレに、スリジエさんが声をかける。


『となると、あとはお主をどうやってあの森まで運ぶかじゃな。エリカに抱えさせるには少々大きいし、その手足ではわらわたちの背につかまっているのは難しそうじゃ』


『縄か何か持ってきて、おれかスリジエの背中にくくりつけるか?』


『大丈夫。トレ、ヴィンセントの匂い覚えた。草の生えてるところなら、トレは好きに動けるの』


 言うが早いか、トレはぴょんと跳ねて足元の草に頭から突っ込んだ。水に飛び込んだ時のように、その姿が消えてなくなる。


『じゃ、先に行く。ヴィンセントの匂いが一番たくさんするところに』


 そうして、わたしたちの屋敷の裏手の森に、また新たな幻獣が加わることになった。




 それは屋敷の居間で、ヴィンセント様とのんびりくつろいでいた時のこと。部屋の中には、ヴィンセント様お手製のクッキーのいい香りがただよっていた。


『ここにいると思ったぞ。遊びにきてやったのだから、感謝のあかしにそこのクッキーをよこせ』


 入り口の扉がいきなり開き、ネージュさんが姿を現した。大きな犬くらいに体を縮めた彼は、後ろ足で立って前足でドアノブを開けたのだ。


 さらにその後ろから、トレがのそのそと歩いてきた。


 トレは草の生えている地面なら、好きに移動できる。屋敷の中庭が気に入ったトレは、ちょくちょく遊びにくるようになってしまったのだ。


 それにつられるようにして、ネージュさんまでもが小さい姿で屋敷に出入りするようになった。


『トレも来た。木の床、ちょっと足がむずむずする。外で遊ぼうよ』


 そう言って、二人はクッキーを食べている。しかもお行儀よく、手を使って。


「お前たち、クッキーが気にいったのか。しかし、器用だな」


『幻獣をそこらの獣と一緒にするなよ。その気になれば、扉を開けるのもクッキーを食べるのもお手の物だ』


『トレ、知ってる。ヒトの食べ物は手を使って食べるきまり』


 それをそのままヴィンセント様に話してあげたら、ヴィンセント様は愉快そうに笑っていた。なんというか、父親のような目でネージュさんとトレを見ている気がする。


 そんなヴィンセント様を見て微笑んでいたら、窓の外から声がした。


『ちいとここを開けてたもれ。わらわだけ仲間外れは嫌じゃ』


 窓の向こう、中庭にはスリジエさんがいた。彼女もまた、こうやって屋敷まで顔を出すようになったのだ。


 目立つ大きな翼はどこかに隠しているのか、影も形もない。だから体つきだけなら、普通の馬と同じになっていた。けれど桜色の毛並みはそのままなので、やっぱり目立つ。


 見えずの霧をまとっていると分かっていても、ちょっと心臓に悪い。戸惑いながら窓を開けると、スリジエさんは首をにゅっと室内に突き出してきた。


『なんじゃ、エリカ、その顔は。心配せずとも見えずの霧は使うておるぞ。まあ時々、うっかり使い忘れたりもするがの。それより、わらわにもクッキーをくれぬかのう』


 差し出したクッキーを、スリジエさんは優雅に食べる。三枚ほど食べたところで、ほんの少し不満げにつぶやいた。


『のう、お主ら。今日は雲一つない晴天ぞ。ひなたぼっこもいいものじゃぞ。……別に、わらわだけ屋敷の中に入れなくてすねておる訳ではないからの』


 どうやらスリジエさんは、みんな外に出てこいと言いたいらしい。笑わないように気をつけながら、その言葉をヴィンセント様に伝える。


「そうか。確かに翼馬の言う通り、外でくつろぐのも良さそうだな。それではみんなで森に行こうか。……厨房にある残りのクッキーを持っていこう」


 その声に、三人は一斉に喜びの声を上げていた。どうやら三人とも、このクッキーがたいそう気に入ったようだった。




 こんな風に、毎日にぎやかに、でも穏やかに過ごしていた。


 しかしそんなわたしたちのところに、ぽつぽつと使用人たちの訴えが届くようになっていた。


 彼らの訴えは、こんなものだった。


 鏡から何かが出てくるのを見た。廊下になぜか草が生えていた。玄関の扉が勝手に開いている。大きな桃色の影が一瞬現れてすぐ消えた。廊下を白い影が走っていた。庭から謎の生き物が生えてきた。などなど。


「……どうも使用人たちは、恐れをなしているようだな」


「メイドたちは怖がって、辞めたいって言い出してます……」


 屋敷の裏手の森の中で、わたしたちはみんなでこそこそと話し合っていた。議題は、屋敷の中にはびこっている噂をどうするか。


「それは困るな。今いる使用人たちは、俺が料理や掃除をすることに理解を示してくれている、数少ない存在だ」


「あと……その怪奇現象のことが、外にもれてしまってます。この屋敷『お化け屋敷』って呼ばれてるみたいで……」


『ほう、大変だな。ところで、またクッキーをくれ』


『それで、どう解決するつもりじゃ? わらわはブラシかけがいいのう』


『トレはどうでもいい。それよりあの中庭の草、おいしいから好き。節度を守ってちょっとずつ食べてるから大丈夫』


 当の本人たちは、けろっとした顔でそんなことを言っている。ついつい恨めしい目で彼らを見てしまう。


「みなさんがもっと気をつけてくれれば、こんなことにはならなかったんですよ……」


『お、おい、顔が怖いぞエリカ』


『可愛い顔がだいなしじゃぞ。ほら、笑うがよい』


『きゃあ、エリカ怖い。トレ、ぶるぶるする』


「……ヴィンセント様、どうやらあなたとわたしで考えないと駄目みたいです。ネージュさんたちはのんき過ぎて」


「そうか。……おかしなことが屋敷の中で起こっていて怖い、使用人たちがそう感じている状態を解消する、ということだな」


 ヴィンセント様にも、ネージュさんたちがだらけきっていることは分かったのだろう。彼らを見渡して、苦笑していた。


「しかし俺には、いまいちその感情が理解できなくてな」


「そうなんですか?」


「ああ。昔から俺の周りでは、不思議な影がいくつもちらついていたのだ。……その影を感じていると、俺は一人ではないと思えた。母を亡くし、一人で村を出た後、あの影たちにずっと支えられてきたんだ」


 懐かしそうな顔をしていたヴィンセント様が、小さくふっと笑う。


「……今にして思えば、あれも幻獣だったのかもしれないな」


「わたしもそう思います。きっとヴィンセント様は本当に、一人じゃなかったんです」


 ヴィンセント様に笑いかけると、優しい笑みを返してくれた。そのまま見つめ合う。


 ふと気づくと、ネージュさんたちが興味津々といった顔でわたしたちを眺めていた。あわててヴィンセント様から目をそらし、小さく首を横に振る。


「あ、いけない。問題を解決しないと、ですね。……わたし、ひとつ思いついたかもしれません」


 気を取り直してそう言うと、ヴィンセント様と幻獣たちが一斉にわたしを見た。


「ええと、つまりですね。よく分からないから怖い。だったら、分かるようにしたら怖くないんじゃないかなって」


 みんなが同時に首をかしげる。けれどやがて、その顔に理解したような色が浮かび始めた。


「まさか、それは……」


『おれたちの存在を使用人たちに教えるということか?』


『確かに、それがいいかもしれんのう。それにそうなれば、わらわも堂々とあちこち歩けるからの。もしかしたら、屋敷の中にも入れるやもしれん。面白そうじゃ』


『トレはどっちでもいい。ごはんとひなたぼっこの邪魔しないなら、ちょっとくらい触ってもいいよ』


 そんな三人の意見をヴィンセント様に伝える。それから全員で沈黙して、顔を見合わせた。そうして誰からともなく、うなずいた。


『決まりだな』

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