第14話 幻獣たちの世間話

 そうしてエリカと共に屋敷に戻ったヴィンセントは、自室で深々とため息をついていた。


「……これは、困ったことになったな」


 彼はあくまでも、彼女を離縁するつもりだった。彼女にとってそれが最善の道だと、ずっとそう信じていた。


 しかしエリカは、そんな彼の考えを真正面から否定したのだ。しかも、彼のことが好きだからという理由で。


「俺は彼女に優しくした覚えはない。……まあ、料理をふるまったことはあるが」


 言い訳のように、ヴィンセントはつぶやいた。


 彼としてはエリカに冷たく接していたつもりだったのだが、実のところ彼はしょっちゅう彼女に手料理を食べさせてしまっていたのだった。


 どれだけぶっきらぼうにしたところで、あれじゃあ意味がないな、とネージュが苦笑するくらいには。


 ヴィンセントは料理が好きだった。そしてそれ以上に、誰かに料理を食べてもらうことが好きだった。


 かつては母に、その後は共に戦う仲間たちに料理をふるまっていたのだが、そんな日々は彼が爵位を得た時に終わりを告げた。


 貴族は料理などしない。そんな現実を突きつけられた彼は、もう誰かに料理をふるまうことなどないのだろうと、あきらめてしまっていた。


 しかし、ネージュのせいでエリカに料理のことがばれてしまった。それ以来彼はしばしば、ついうっかり料理を作りすぎるようになってしまったのだ。そして彼は、仕方なくエリカに声をかけるようになっていた。その行動が招く結果に、思い至ることなく。


「……いつの間にか、あんなに思いを寄せられていたとはな」


 あなたの妻になれてよかった。あの時のエリカの言葉は、ヴィンセントの胸にしっかりと刻まれていた。


 あの時の彼女の姿を、声を思い出すだけで、ヴィンセントの心は不安定に揺れるのだった。しかしその揺らぎは、決して不快なものではなかった。


「めまいを起こすほど一生懸命に、思いを告げてくれた、か……」


 眉間にしわを寄せてはいるものの、彼の声にはしみじみとした嬉しさのようなものがにじんでいて、その口元には柔らかい笑みが浮かんでいた。


「……誰かに思いを寄せられることが、こんなにも嬉しいものだとは、な」


 ヴィンセントは、ずっと女性を寄せつけないようにして生きていた。もちろん、異例の速度で出世を続ける彼に、ちょっかいをかけてくる女性たちもたくさんいた。


 でも彼は、そういった女性たちの全てを追い払っていた。エリカに見せたのと同じ、取りつく島もない態度で。


 しかしエリカは、そんな態度をものともせず、どれだけ拒んでもくじけることなく、彼に思いを伝えてくれたのだ。


「……彼女は覚悟を見せてくれた。いい加減俺も、覚悟を決めるべきなのかもしれないな」


 ヴィンセントは顔を上げ、窓の外を見る。よく晴れた星空に、大きな月が浮かんでいる。その美しい光景に見とれながら、彼はぼんやりと思っていた。


 明日あたり、また料理をしよう。そうして、エリカと一緒に食べよう。きっとぎこちない会話にしかならないけれど、それでも一歩、こちらから歩み寄ってみよう。


「さて、何を作ろうか……」


 彼の顔には、今までで一番晴れやかな笑みが浮かんでいた。





 ちょうどその頃、ヴィンセントの屋敷の裏手に広がる森の奥で、大きな影が二つのんびりとくつろいでいた。日光浴ならぬ月光浴だ。


『いやあ、こないだはどうなることかと思ったぞ。エリカが頑張ってくれて良かった』


 ネージュがううんと伸びをしている。その隣では、スリジエが優雅に座っていた。


『確かにのう。ヴィンセントも意志が強いのはいいことじゃが、ああもかたくなでは、色々と生きづらかろうて』


『まったくもって同意しかないぞ。あいつ、余計な苦労を勝手に背負い込むたちでな。最初っからずっとそうだ』


 スリジエが小首をかしげて、話の続きをうながす。それを受けて、ネージュが得意げに説明を始める。


『おれとあいつが初めて出会ったのは、戦場だった。なんだか騒がしいなあと思いながら、かぐわしい匂いを追いかけて野原を歩いていたんだ。そこが戦場だと知ったのは、もっと後だったな』


『かぐわしい匂い……ヴィンセントの、あの素晴らしき匂いじゃな』


『ああ。で、ヴィンセントのところにたどり着いたはいいんだが……あいつはたった一人で、次々押し寄せる敵軍と戦っていた。さすがのおれにも、ただならぬ事態だということは分かったよ』


『なんじゃそれは。何をどうやったら、そのようなことになるのじゃ。戦争というのは、人の群れ同士の戦いであろ?』


『それがなあ、耳を澄ましてみたら……あいつ、味方が逃げる時間を、たった一人で稼いでいたんだ。自分は部隊長なのだから、部隊の者を守る義務があるとかなんとか言いながら』


 ネージュが肩をすくめて、首をゆっくりと横に振る。スリジエはあきれたような感心したような顔で、ふうとため息をついた。


『なるほどのう。ほんに、不器用じゃ。自分よりも他人の命を優先させるとは……ようもまあ、今まで生き延びてこれたものじゃの』


『あいつは強いからな。少なくとも、剣の腕だけは。剣狼なんて二つ名をもらっているくらいには。……おかげで変な親近感がわいてしまって、どうにも離れがたい』


『剣狼か。確かに、そんな感じじゃな。しかし心のほうは、てんで不器用でどんくさくて……お主が世話を焼きたくなるのも分かるわ』


『だろう? まったく、エリカを悲しませるのもたいがいにしろと、言葉が通じていたら言ってやるところだ』


『エリカに伝えてもらえばいいじゃろう』


『あいつ、都合の悪い言葉はぼかして伝えるんだよ。おまえも経験があるだろう?』


 その言葉に、スリジエは何とも言えない微妙な顔をした。その表情のまま固まって、それから深々と息を吐く。


『……まったくあやつらは、似た者同士にもほどがあるわ。二人して不器用で、もどかしくなるくらいに気を遣い合って、あげくにすれ違うなどとは、のう』


『ある意味、とても似合いの夫婦だよなあ』


 そうつぶやいたネージュが、ふとにやりと人の悪い笑みを浮かべる。真っ白な毛に覆われた鼻面をスリジエの耳元に寄せて、楽しげに言った。


『ああそうそう、どこからどう見ても惚れ合ってるあの夫婦だが、たぶん惚れたのはヴィンセントのほうが先だぞ』


『ほう? どうしてそう思うのじゃ、詳しく聞かせてたもれ』


 スリジエが耳をぴんと立てて、淡い金色の目を輝かせてネージュの目をまっすぐに見る。


『エリカが嫁いできたその日の夜に、あいつはおれのところを訪ねてきたんだ。追い返そうとしたのにうまくいかなかった、どうしようっておろおろしながら』


『想像できるような、できぬような……』


『あいつは愚痴がたまると、おれのところに吐き出しに来る。聞いていて面白いから、好きにさせてやっているんだが……あの日は飛び切り、愚痴が多かったな。あれはすごかったぞ』


 そうしてネージュは、ヴィンセントがその時に愚痴っていた一部始終をスリジエに語って聞かせた。スリジエは目を細め、あきれたような顔で言う。


『……その愚痴をそっくりそのままエリカに話してやれば、すぐに解決するのではないかの? それではまるで、一目惚れではないか』


『だよなあ。けれど、そう単純な話でもないだろう。それにおれは、告げ口するような真似はしたくない。おまえも他言無用だからな』


『ふむ、まあお主の言う通りにしてやろう。もっとじっくりと時間をかけて、あの二人をくっつけるのも面白そうじゃしのう』


『そういうことだ。まあ、もうおれたちの手助けは必要ないような気もするがな』


『かもしれんの。だがそれならそれで、ゆったりと見物する楽しみがあるというもの』


 白くて長い毛のとびきり大きな狼と、優美な翼を垂らした桜色の馬のお喋りは、それからもしばらく続いていた。

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