第15話 頑張ってきて、本当によかった
「……エリカ、君の好きな料理を教えてもらえないだろうか」
王宮から帰ってきた次の日、朝食の席でヴィンセント様が突然そんなことを聞いてきた。
「えっと……割と何でも食べます。好きなのは、果物と魚です。味の濃いものは、ちょっとだけ苦手です」
思いつくまま話しながら、好きな料理を一生懸命考える。わたしは好き嫌いはほとんどない。えっと、好きなもの……。
「あ、白身魚のソテーとか、あとはリンゴのパイとか……リンゴはジャムよりも、形が残っているもののほうが好きです」
どうにか、質問に答えることができた。ほっとしながら首をかしげる。
ヴィンセント様のほうから何か聞いてくるのは珍しい。どうしていきなり、こんな質問をしてくるのだろう。
「……そうか、分かった」
不思議なことに、その話はそこで終わってしまった。またいつも通りのぎこちない空気に首をかしげながら、パンをちぎって口に運んだ。
『なるほどなあ、あいつがなあ。わざわざそんなことをなあ』
『ほほ、これは面白いことになりそうじゃの』
朝食のすぐ後、裏の森に行ってさっきあったことを話してみたら、ネージュさんもスリジエさんも興味深そうに身を乗り出してきた。
「どうしてヴィンセント様がそんなことを聞いてきたのかが分からないんですが……お二人には、何か心当たりがあるんですか?」
『まあな。ようやっとあいつも腹をくくった、そういうことだろうな』
『やはり、この間の王宮での件が効いておるのじゃろうなあ』
『そう言う意味では、おまえの手柄だな。よくやった、エリカ』
「ええと……褒めてくださって、ありがとうございます?」
二人が何を言っているのか分からないまま、ひとまずお礼を言った。二人はにやにやと笑いながら、わたしをじっと見つめていた。
二人と、あとヴィンセント様が何を隠していたのかは、その日の夕方に明らかになった。
「……その、また料理を作った。夕食だ」
いつも以上にこわばった顔のヴィンセント様に連れられて、食堂に向かう。そこには、二人分の料理が並べられていた。
普段の食事は、貴族のしきたりにのっとって、小ぶりの皿に乗せられた料理が順に出されていく。でも今目の前には、たっぷりと料理が乗った大きな皿が置かれていた。
「あっ、これってお魚ですか?」
「ああ。白身魚に香草を混ぜた衣をつけて、揚げ焼きにしてある」
「それと、そっちの皿にあるのはパイですか?」
「そうだ。中のリンゴは大きく切って、食感を残してある」
ヴィンセント様は淡々と、冷静に答えている。けれどその青灰色の目は、どことなく自信なさげに泳いでいるようだった。
「あの……もしかして、なんですけど……朝にわたしの好物を聞いてきたのと、関係があるんですか?」
「…………ああ」
「わあ、嬉しいです! ありがとうございます!」
わたしの好物を、わざわざ作ってくれた。そのことがとても嬉しくて、ついはしゃいでしまう。
ヴィンセント様は小さく苦笑して、食卓の上を指し示した。
「ひとまず、食事にしよう。冷めてしまう」
そうしてわたしたちは一緒に席について、用意された料理を口にする。
「……とても、おいしいです。いつも食べているものと、香草の使い方も料理の仕方も違いますけれど、とっても優しい味で……わたし、これ大好きです」
そう言うと、ヴィンセント様は口を開きかけ、そしてまたすぐに口を閉ざしてしまった。
気のせいか、さっきからヴィンセント様の様子が妙だった。何か言いたそうにしているというか、やけに緊張しているというか。
仕方なく、食事をしながらあれこれと話しかける。ヴィンセント様は返事をしてくれたけれど、やはりどことなく生返事だった。
そうして食事を終えて、自室に戻ろうとする。そうしたら、声をかけられた。
「その、俺の部屋に来てくれないか。……少し、話がある」
もちろん、断る理由などなかった。すぐにうなずいて、彼に続く。
ヴィンセント様の部屋は、屋敷の中でも特に質素な、しかしくつろげる雰囲気の場所だ。たぶん、置かれている家具やじゅうたんが、とても素朴だけれど、とっても優しい雰囲気のものばかりだからだろう。
ずっと避けられていたということもあってここにはめったに立ち入らなかったけれど、でもわたしはここが好きだ。
そうして勧められた椅子に座り、向かいのヴィンセント様を見つめる。ヴィンセント様はかなり長い間黙りこくっていたが、ついに口を開いた。
「今日の料理だが……礼のつもりだった」
「礼、ですか? その、何の礼なのでしょう?」
まったく心当たりがなかったので素直にそう言うと、ヴィンセント様は小さくうなって目をそらした。なんだか、ネージュさんを思い出させる仕草だった。
「その、王宮でのことだ。……君は、一生懸命に俺に思いを伝えてくれただろう。そのことが、……嬉しかった」
彼の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。こわばっていた顔が、ゆっくりとほぐれていった。
「俺はずっと、君にどう接すればいいのか分からなかった。君の幸せを思うなら、一刻も早くここから追い出すべきなのだと思っていた。それが最善の策なのだと思っていた」
ヴィンセント様は悔いているような顔で、そっと視線を落とす。
「だがそれは違うのだと、今はそう思う。……エリカ、おそらく今度は、俺が思いを告げる番なのだろう」
こちらを見ないまま、ヴィンセント様はゆっくりと言葉をつづる。
「俺は、君が嫁いでくるのをどうにかして阻止しようとしていた。そしてそれがうまくいかないと悟った時、俺は君を追い返すと決めた」
ただじっと、彼の言葉に耳を傾ける。彼の思いとは、いったい何なのだろうと思いながら。
「初対面のあいさつの言葉代わりに、きっぱりと離縁を言い渡す。俺はそんなせりふを、一生懸命に練習していたんだ」
思いもかけない発言に、ぽかんとしてしまった。ヴィンセント様が一生懸命にせりふを練習する。まるで、似合わなかった。
「でも実際に君に会って、そんな言葉は消し飛んだ。離縁を言い渡そうとするたびに、俺の舌は動かなくなった」
えっ、という声がもれそうになって、あわてて口を押さえる。今は、ヴィンセント様の話を邪魔するべきではない。
「自分でもどういうことなのか分からなくて、ずっと悩んでいた。早く、君を実家に帰してやらなくては。そんなあせりだけが、つのっていった」
わたしは実家になんて帰るつもりはなかったのに。自分たちがどうしようもなくすれ違っていたことを、改めて見せつけられたような気がした。
「けれど先日、君が思いのたけを告げてくれて……俺の心を満たしたのは、安堵だった。君を離縁しなくては。そんな思いが打ち砕かれて、俺はほっとしていたんだ」
そうしてヴィンセント様は、顔を上げた。今までで一番優しい笑みが、その顔には浮かんでいる。
「エリカ、俺がふがいないせいでずいぶんと君を苦しめたと思う。そしてこれからも、きっと君には苦労をかけると思う。それでも、君は俺の妻でいてくれるか」
「はい、もちろんです」
大きな笑みを浮かべて、胸を張って答える。苦労する覚悟なら、とっくにできている。だってそれ以上に、わたしは彼の妻でいられることに、喜びを感じているのだから。
ヴィンセント様が、切なげに微笑んで立ち上がり、わたしのほうに歩いてくる。そうしてしなやかな動きでひざまずくと、彼はわたしを優しく抱きしめてきた。
「……ありがとう」
彼の声が、すっぽりとわたしを包む。温かな涙が浮かんでくるのを感じながら、じっと彼を全身で感じていた。
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