第26話 嵐の夜ですら楽しくて
ヴィンセント様も、ようやく幻獣たちの歯に衣着せぬ話っぷりに慣れてきたらしい。最近では、動じることなく彼らと話すようになっていた。
そうして今日もヴィンセント様の部屋で、お茶をしながら二人で話す。自然と話題は、幻獣たちのことになっていた。
「彼らと話すのは楽しいな。長く生きているだけあって、様々なことを見聞きしている」
「はい。……まさか百年以上生きているなんて、思いもしなかったですけど」
ヴィンセント様は幻獣たちと話せるようになってから、じっくりと時間をかけてあれこれと聞き出していた。
幻獣たちも興味を持ってもらえて悪い気はしなかったらしく、軽口を叩きながらも丁寧に答えてくれた。
自分たちが持つ特殊な能力の詳細といった重要なことから、ちょっとした好き嫌いまで様々なことを、彼らは気ままに語ってくれたのだった。
しかしその中に、とんでもない情報も混ざっていた。
なんと生まれたてのフラッフィーズを除いた三人は、みな百歳を超えていたのだ。幻獣は長く生きるらしいと知ってはいたけれど、このことには驚かずにいられなかった。
きっちりと数えている訳ではないのではっきりとした年は分からないけれど、一番若いトレが百歳ちょっと、ネージュさんとスリジエさんは百五十歳は超えているらしい。『おれのほうが年上だ』『いやわらわのほうが上じゃ』と言い争いをしていたのが、とてもおかしかった。
「彼らの話を聞いていると、俺の世界は狭いのだと思い知らされる。……一度、旅に出てみるのかもいいかもしれないな。彼らに同行してもらって」
「あっ、素敵ですね。その時は、わたしも連れていってください」
「ああ、もちろんだ。君は、どこか行ってみたいところはあるのか?」
「そうですね……夜空に光のカーテンが浮かび上がるさまは見てみたいと思います。正直言って、どんな光景なのか想像もつきませんから」
「ネージュが言っていた、あれだな。確かに、それは俺も見てみたい」
そんなことを話していたら、壁に掛けられた大鏡からぬるりとネージュさんが生えてきて、そのまま床に降り立った。鏡の大きさに合わせて、犬くらいの大きさに縮んでいる。
『おい、二人とも、ちょっといいか』
「ああ、ネージュか。どうした、この部屋に来るのは久しぶりだな」
『おまえたち夫婦の語らいを邪魔しないように、そうしているんだ。ところでちょっとばかり、まずいことになっている』
その言葉に、ヴィンセント様の横顔が険しくなる。不安を抑え込むように両手をにぎりしめたわたしを見て、ネージュさんは苦笑した。
『そんなに緊張するな、ただの嵐だ』
「嵐が来るのか?」
『そうだ。数日後、この屋敷は暴風雨に包まれる。おれたち幻獣は環境の変化には敏感だからな、こういう大きな天気の変化は察知できるんだ』
ネージュさんはきっぱりと言い切っている。ヴィンセント様は立ち上がり、部屋を出ていこうとした。
「教えてくれて助かった。至急、嵐に備えるようみなに言わなくては」
『なあ、それで実はひとつ頼みがあるんだが』
気まずそうに、ネージュさんがつぶやく。ヴィンセント様が扉のところで立ち止まって、振り返った。
『実はだな……』
それから数日後の深夜。わたしはヴィンセント様と共に、屋敷の広間にいた。友人たちを招いてお茶会なんかをする時に、主に使われる部屋だ。
もっともヴィンセント様はそういった社交の集まりには縁がない、というより本人が拒んでいるので、この広間はほとんど誰も足を踏み入れない場所になっていた。掃除を担当するメイドが、時々やってくるくらいで。
『うわあ、外たいへん。雨が横に降ってる。トレ、お風呂は好きだけど雨は嫌い』
『おれはそもそも濡れるのが嫌いだ。人間の建物というものも、いいものだな』
『あれだけ風が吹くと、枝やらなにやらが飛んでくるからのう。わらわの自慢の翼に傷がつかぬよう警戒するのは、疲れるのじゃ』
しかし今、広間はとても騒がしくなっていた。ネージュさんたちが上がり込んで、みんなでくつろいでいたのだ。床に敷かれた毛布の上で、思い思いに寝っ転がっている。その間を、フラッフィーズが走り回っていた。
ネージュさんの頼みというのが、これだった。嵐が来たら、一晩屋敷に泊めてくれ。彼はそう言ったのだ。
彼らは、天候が悪くなればあちこちに避難する。スリジエさんは空を飛んで、ネージュさんやトレは異空間を通り抜けて。
でも今回の嵐は、結構範囲が広いらしい。かなり離れないと、安全な場所には行けないだろうと、ネージュさんたち三人の意見は一致していた。
ネージュさんやトレは一瞬で移動できるものの、一度に移動できる距離には限りがある。遠くに行くには、何度も異空間に出入りしなくてはならないらしい。
しかしあんまりせわしなく出入りしていると、来た道をうっかり見失うおそれがあるのだそうだ。下手をすると、ここに戻ってこられなくなるかもしれない。
異空間にひきこもるという手もあるけれど、あそこは居心地のいい場所ではないとかで、あまり気乗りがしないらしい。
一方スリジエさんは、嵐から逃れるためには自分の翼で地道に飛んでいくしかない。彼女はそこらの馬とは比べ物にならないくらいに速いけれど、それでも長距離を移動すると疲れるのだそうだ。
散り散りに逃げて、またここに戻ってくるのは骨が折れる。それにどうせなら、屋根と壁のある屋敷で休んでみたい。三人は、そう考えたのだった。
『いやあ、頼んでみるものだな。……快適だ。いっそ、このままここに住み着きたいくらいだ』
『なんじゃ、身も心も犬になり果てたかの。お主、一応狼であろ』
『そういうおまえも、すっかりくつろいでいるじゃないか。なんだ、翼をだらしなく伸ばして』
『思い切り伸びをしても翼をぶつけることもなく、土や木の葉で汚れることもない。ゆえに、わらわは存分に伸びをしておるだけじゃ』
『トレはちょっと落ち着かない。トレ、草の上が一番慣れてる。……ここに草、生やしてもいい?』
「さすがにそれは、少々困るな。……そうだ、少し待っていてくれ」
ヴィンセント様はそう言うなり、広間を飛び出していった。小首をかしげていたら、頭の上にフラッフィーズがぽとりと落ちてきた。上を見たら、青い毛玉がシャンデリアを埋め尽くされていた。
「……フラッフィーズ、どんどん増えていますね」
『わらわたちが堂々と屋敷の中にいるのが面白いのであろうな。これ、わらわで遊ぶでない』
いつの間にか大群になったフラッフィーズは、ネージュさんの尻尾の毛にもぐり込み、スリジエさんの翼をすべり落ち、トレの背中でおしくらまんじゅうをしている。
『ううむ、おれの毛が心地いいのか……寝始めたな』
『ええい、それ以上悪さをするようなら、吹き飛ばすぞ。ちいと落ち着け、ひな鳥ども』
『重くない。でもくすぐったい。トレの背中で遊ぶ、ダメ』
ちょうどその時、ヴィンセント様が戻ってきた。手にはふたのない木箱を抱えている。ちょうど、トレくらいならすっぽりと入れてしまうような大きさだ。
「俺が席を外している間に、何があったんだ?」
「フラッフィーズがはしゃいでしまっているんです」
「そうか。ネージュたちがそろっているのが珍しいのだろう。まるで子供だな。いや、ひな鳥なのだから実際に子供か」
そう言いながら、ヴィンセント様は手にした木箱をトレのそばに置く。
「石の床から直接植物を生やされるのは困るが、この木箱の中なら構わない。これで、どうだろうか」
『トレ、やってみる!』
フラッフィーズを振り落としながら、トレが木箱にぴょんと飛び込む。そのまま中で、足をじたばたと動かし始めた。
『できた。素敵』
トレの足元には、芝に似た植物がびっしりと生えていた。ところどころに、小さな可愛い花が咲いている。トレは満足げな顔で、その上に身を伏せた。
「さて、これでみなどうにか落ち着けそうだな」
その言葉に、ネージュさん、スリジエさん、それにトレがうなずいた。フラッフィーズは元気よく飛び回っている。たぶんこれも、肯定で合っているのだろう。
それを確認して、ヴィンセント様はもう一度広間を出た。今度はすぐに戻ってきたけれど、その手にはなぜか毛布が抱えられている。ネージュさんたちには、既に十分な量の毛布を渡してあるのに。
「その、俺からも頼みがある。今夜は、俺もここにいさせてくれないか。お前たちが屋敷の中で眠っているというこの特別な時に、自室で眠るのももったいないような気がするんだ」
そう言って、ヴィンセント様は近くの壁際に腰を下ろしてしまった。それから、わたしに穏やかに話しかける。
「エリカ、君はもう自室に戻るといい。そろそろ真夜中だ、早く眠らないと明日に響くぞ」
悩んで、考えて。おそるおそる、言葉を紡ぐ。
「あの、わたしもここに泊まりたいです。部屋から毛布を取ってきてもいいですか」
わたしの言葉に、ヴィンセント様だけでなくネージュさんたちも驚いていたようだった。
「しかし君は、寝台以外で眠ることには不慣れだろう」
「はい。経験はありません。でも……わたしだけ仲間外れは、嫌です。それに、楽しそうですし」
さらに食い下がると、ヴィンセント様はそれ以上反論せず、とても優しい笑みを浮かべた。
「分かった。ならば君もこちらにくるといい。この季節なら、風邪は引かないだろうし」
広間を飛び出て自室の毛布をひっつかみ、大急ぎでまた広間に取って返す。そうして、ヴィンセント様のすぐ隣に座った。肩が触れ合って、温かい。
「ふふ、みんなで眠るなんて、どきどきします」
「あ、ああ。そうだな」
『見たかスリジエ、ヴィンセントが照れているぞ』
『見たぞネージュ。そこでがばりと抱き寄せてしまえばいいものを。ううむ、じれったいのう』
「……聞こえているぞ、二人とも」
ヴィンセント様は不機嫌な声で答えている。でもきっとこれは怒っているのではなく、照れ隠しなのだろう。つい小さく笑ったら、彼も気まずそうな笑みを返してくれた。
それからわたしたちはのんびりとお喋りをして、そのままいつの間にか眠りについていた。
朝目覚めると、とても暖かかった。ヴィンセント様が、わたしの肩を抱き寄せて胸元に抱え込んでいてくれたのだ。ちょっぴり恥ずかしかったけれど、ちょっぴり夫婦らしくって嬉しかった。
そしてわたしたちのひざの上にはネージュさんの尻尾がふわりとかけられていて、スリジエさんの翼が隙間風をさえぎってくれていた。トレの足元の草が長く伸びて、わたしたちの足元を守るように覆いかぶさっている。そしてその周りに、フラッフィーズが数十羽集まっていた。
どうやらみんな、わたしたちが寒くないように気を遣ってくれたらしい。それが嬉しくて、ヴィンセント様の胸元に頭をもたせかけたまま、声を出さずに笑った。
幸せすぎて、ちょっぴり怖い。そんなことを思ってしまうくらい、とびきりに幸せだった。
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