第30話 そうして、戦いの最前線へ
やがてスリジエさんは、林の中の空き地にふわりと舞い降りた。ネージュさんがぴょんと飛び降りて、元の大きさに戻る。
ヴィンセント様に手を貸して、一緒にスリジエさんの背から降りる。続いて、トレがすぐそばの草むらから顔を出した。
『いいあんばいに配下と合流できそうじゃぞ、ヴィンセント? ほれ、見えずの霧を消すぞ』
その言葉と同時に、疲れ果てた顔の兵士たちが空き地に駆け込んできた。
彼らはネージュさんやスリジエさんを見て驚いていたけれど、ヴィンセント様に気づくと泣きそうな顔になった。
「ヴィンセント様、ご無事でしたか!」
「あの爆発以来、ずっとお探ししていたのです……良かった」
彼らは心底ほっとしているようだった。ヴィンセント様さえいれば大丈夫だ。彼らの顔にはそう書いてあった。うん、その気持ちはとってもよく分かる。
「心配かけてすまなかった。俺はこれより前線におもむき、隊を立て直す。……だがその前に、追っ手をどうにかしなくてはならないようだな」
すると今度は、敵の兵士たちが姿を現した。ヴィンセント様がわたしを背にかばい、味方の兵士たちが剣を抜く。
「な……っ、幻獣だと!?」
「それも二頭も!?」
「ちっ、刺激するな!」
敵の兵士たちはそんなことを言って、剣を構えた。当のネージュさんとスリジエさんは涼しい顔だ。
小さな空き地に、緊迫した空気が流れる。うう、ここからどうなるんだろう。
すると唐突に、トレが叫んだ。
『痛いのだめ!!』
兵士たちには、きゅいい、という叫び声にしか聞こえなかっただろう。みんなぽかんとして、トレを見ている。
トレは普段ののんびりした動きからは想像もつかないほどの速さで、敵の兵士たちに向かっていくと、その周りをぐるりと走った。大きく、円を描くように。
次の瞬間、地面から何か生えてきた。わたしの腰周りくらいの太さがあるつる草のようなものが、トレの走った後に沿って、びっしりと。
「うわあ……」
あまりにおかしな光景に、つい間の抜けた声がもれてしまう。
天に向かって勢いよく伸びたつる草は、それから互いにぐねぐねとからみあったのだ。そのせいで敵の兵士たちは、特大の鳥かごに閉じ込められた形になった。
「な、なんだこれは!」
「ちっ、固い! ちょっとやそっとでは切れないぞ!」
つる草の鳥かごの中で、敵の兵士たちが騒いでいる。そちらに背を向けて、トレが得意げに胸を張った。
『今のうちに逃げる。トレ、案内する。こっち』
「……あ、ああ。助かった、トレ」
青灰色の目を見開きながら答えるヴィンセント様に、味方の兵士たちがおそるおそる尋ねてきた。
「あの、ヴィンセント様……先ほどから気になっていたのですが、そちらの動物たちと、女性はいったい……」
「仲間と、妻だ」
その言葉に、兵士たちはさらに混乱しているようだった。
「あの、詳しい説明は後でしますので……」
そんな彼らにぺこりと頭を下げて、ヴィンセント様に手を貸してスリジエさんの背に乗る。小さく笑っているネージュさんと一緒に、歩き出したトレの後に続く。
少し遅れて、いくつもの足音が追いかけてきた。戸惑ってはいるようだったけれど、力強い足音だった。
トレは林の中を、ずんずんと進んでいく。彼の体に触れた木々が、ふわりと枝を曲げて道を作る。スリジエさんがそのまま通れるくらいの、ちょっと不思議な雰囲気の道だ。
「待ってくれ、トレ」
『どうしたの、ヴィンセント?』
「もう日が暮れる。暗い中進むのは、俺たち人間には危険だ。この辺りなら、林の外からは見えないだろう。朝になるまで、みなを休憩させてやってくれ」
『うん。じゃあ、ちょっと木に動いてもらう。休む場所、いる』
トレがぐるぐると辺りを走り回ると、辺りの木々が移動し始めた。地面の中を、すうっと滑るように。そうして、みんなが集まれるくらいの空き地ができた。
「助かった。お前はこんなこともできるのだな」
『ちょっとだけ場所を空けてって、木にお願いした。通ってきた道も、この空き地も、トレたちがいなくなったら元に戻るの』
やっと、休める場所にたどり着いた。けれど見方の兵士たちは、大いに困惑した顔をしていた。ちょっぴり状況についていけていないみたい。それもそうか、ヴィンセント様が謎の獣と親しげに話しているのだから。
あ、そうだ。今なら、ゆっくり説明できるかな。ヴィンセント様は寡黙で、説明はあまりうまくない。だったらそこを補うのが、妻たるわたしの役目だ。頑張ろう。
「あ、あの、みなさん!」
思い切って声を張り上げると、全員がこちらを向いた。
「ヴィンセント様は、人ならぬものと話せるピアスをつけているんです。だから、この子……名前はトレーフルって言うんですけど……とも、話せているんです」
そう説明すると、ようやく兵士たちが納得したような顔をした。ああ、よかった。それから、精いっぱい優雅にお辞儀をする。
「自己紹介が遅れました、ヴィンセント様の妻の、エリカです。ヴィンセント様が行方不明だと聞いて、幻獣たちの力を借りて駆けつけました。その……なぜかわたしも、幻獣たちと話せるので」
ヴィンセント様の妻だと名乗れるのが嬉しくて、くすぐったい。そろそろと顔を上げると、笑顔の兵士たちと目が合った。
「なるほど、そういうことでしたか。ヴィンセント様のみならず自分たちをも助けてくださって、ありがとうございます」
「夫の危機に駆けつける……エリカ様のひたむきな思いに、自分は感服いたしました」
彼らは口々に、そんなことを言っている。きらきらとした目で見つめられて、ちょっと恥ずかしい。
もじもじしていると、ヴィンセント様が近づいてきた。
「そうだろう。彼女は俺には過ぎた、素敵な妻だ。さあ、事情が飲みこめたなら、いい加減野営の支度を始めよう」
ヴィンセント様の号令に、兵士たちはきびきびと動き出す。と、スリジエさんが大きく伸びをした。
『どれ、わらわは少し周囲を見て回ろうかの。エリカ、ついて来るがよい。水場を探して、水を汲もう』
スリジエさんの背にまたがり、高く舞い上がる。北の平原に、たくさんの明かりがともっている。二つに分かれているそれは、距離を置いてにらみ合っているようにも見えた。。
『おそらくあそこが、この戦いの最前線じゃな。こうして見ておるぶんには、美しくもあるがの』
「そうですね……」
あそこには、たくさんの人がいる。きっとその中には、ヴィンセント様やブラッドさんのように、戦いを好まない、平和を好む人たちがたくさんいるのだろう。主君の命で、国のために剣を取る、そんな人たちが。
『またあきれるくらい集まったものじゃのう。さて、あのうち幾人が、生きて戻れるものやら』
たてがみを夜風になびかせながら、スリジエさんが小声でつぶやく。
「……そうですね」
わたしたちは、ヴィンセント様を助けるためにここにやってきた。でも、戦いに出た家族の無事をただ祈ることしかできない者たちが、いったいどれだけいるのだろう。
「あの戦いが一刻も早く終わって、みんな家に帰れたらいいのになって……そう思います」
『じゃな。……わらわたちにできるのは、ヴィンセントとお主を守ることくらい。何とも無力じゃの』
どう言葉を返していいか分からなくて、そのまま黙り込む。
頭上には一面の星空と、丸く大きな月。月明かりに輝くスリジエさんの桜色のたてがみと、風に舞うわたしの金の髪。遥か下には、たくさんの明かり。
今が戦いの中でなければ、この光景を美しいと思えたのに。
わたしの小さなため息は、夜の闇に吸い込まれて消えていった。
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