束ねた結びと縁の果て[9]【語り手:八代雅雪】

「みくじ。あまり僕の息子をからかわないでくれ」

 父さんは僕と彼女の間を縫うように立った。

「息子……? ツトム、お主の子供はもっとこう、片手に収まる程度じゃなかったか?」

 おにぎりでも握るように両手を丸めるように握った彼女のジェスチャーに、父さんは首を振る。

「いつの話をしているんだ……。僕の息子はとっくに十六は過ぎているぞ」

 父さんの言葉が信じられないように口を半開きにした彼女はやがてぱくぱくと金魚のように口を動かしながら僕を見た。

「……お主、ツトムの息子なのか」

「そうだけど……」

「ということはショウコの息子なのか!?」

「ショウコ? ああ、僕の母親の名前は八代祥子だが」

 その言葉を聞いた瞬間に、何故か髪の色と同じように表情が真っ青になった瞬間、乱れた着物を締め直し、背筋を伸ばしてから滑りこむようにして土に顔をのめり込むように土下座をした。

「どうか、わしがお主に色々と言ったのはショウコには言わんでくれ……!」

「は?」

「今までの無礼、許さんでもいいからショウコには言うな! ショウコには! ああ、いや、もうなんでもするから、本当になんでも! 体も売るから!」

「なんなんですか……」

 母さんの名前を出しただけでこの変わりよう。挙句の果てにめそめそと泣き始める彼女をどうしたらいいのか分からずに僕は困って父さんの方に視線を投げかけると彼はこの状態を把握していたかのように肩をすくませた。


「おいおい、うるさいぞみくじ、そんなに大きな声出して……」

 箒を持って袴姿というまるで宮司さんのような格好のしづくさんは騒ぎを聞きつけたのか、神社にやって来た。

「誰が来たんだ?あれ雅雪と……勉さん!?」

「ええと……しづくかい? えらく成長したね」

 見上げながら話す機会が来るだなんて、と父さんは笑ったが、しづくさんはへこへこと頭を下げる。

「みくじがまた何かしましたか。すみません……」

「大丈夫だよ。ああ、でも階段上って少し疲れちゃったかな。ベンチに座らせてもらっていいかい?」

「ベンチだなんてそんな! 居間の方に案内させてもらうんで。おいみくじ!お前も行くぞ」

 首根っこを持たれ引きずられるように音無子家に持って行かれたみくじさんは目元を真っ赤にさせながらまだ泣き続けていた。




 話を聞くと、父さんはオカルトやスピリチュアル的なものに昔から興味があったらしく、その中で最も興味を持ったのは、音無子神社だったのだという。

「みくじとはそこで知り合ってね。お社の君である人物には憧れも『当時は』あったからよく通い詰めていたものだよ」

「おい、どうして『当時は』を強調するんだ。今でも憧れろ」

「ショウコが言ってたぞ。まだみくじは引きこもってるのかって。元気になったら会いに行きたいって」

「ひぃ……スミマセン、スミマセン、来ないで……」

 女体化になってから鋭い瞳がいくらか丸くなった大きな瞳から大粒の涙を流すみくじさんは机に突っ伏すようにして許しを請うていた。

 どうやら相当な弱みを握られているのか、トラウマになるようなことをされたのか、自称神様をこうも黙らすだなんて母さんは何をしたんだ。

 やがてゆるゆると起き上がった彼女はまたはだけかけた着物を引っ張るようにしてから僕を上から下までざっと確認するように見つめた。

「……ショウコには仮がある。子供のことをよろしくというのも……まぁ、話半分じゃったが聞いていた」

「話『半分』だったって祥子に言っておくね」

「話全部! 話全部聞いておったから!」

 みくじさんの慌てた訂正を面白がるように見た父さんは口の端のしわを深めた。

「それにしても老けたのう、ツトムも。なんじゃ。息子もそうじゃがヒトの成長っぷりは計り知れないのう」

「君は相変わらず綺麗なままだね」

「口説いておるのか? 残念じゃがわしは容姿に関しては合法的な変幻で成り立っておるから。幻覚作用で美貌も体型もどうとでもなる」

 まだ正式な神というわけでもないからこの町が『望む』姿にはなれんがな、とみくじさんは溜息を吐いてからあぐらをかいた。女性の身体でも女性としての嗜みは無いのだろうか、この方は。人間じゃないからマナーとか違うのかな。

「ともかくわしはこの神社の当事者の代わりじゃからな」

「代わり……? だとしてもみくじさんは神様なんでしょう」

 僕が返すと、みくじさんは馬鹿にしたように意地悪く笑った。

「ははっ。神なんて元々どこにもおらんよ。神を創造してこの世に願って存在させておるのはお主ら『ヒト』じゃろ。人間は何かを創り出すことが得意じゃからのう。視えるものも、視えんものも」

 生あくびをするみくじさんの言葉は的を得ているような気もした。

 そのまま崩れるようにまた彼女は机に突っ伏しながら話し出す。

「神は元々ヒトが望むことしかせん。そうやってヒトが望んだから、それ以上のことも以下も出来ん……。そういうものじゃ。小僧の脳では分からんかのう」

「いや、なんとなく……は」

「先代は確かに正真正銘の神じゃったが、わしは元から神では無いからのう……。ヒトの願いに振り回されて生きるなんてイヤじゃ。神という権限だけ持ってニート暮らししていたい。働きたくない」

 『クズ過ぎる発言だ』、とこの部屋の誰もが思ったであろう。

 しづくさんは全員の気持ちを代表するように、みくじさんのつむじを親指で押した。

「下痢にでもなってろ」

「なんじゃお主!神に向かって!祟られるぞ!?」

「お前なんて神でもなんでもないわ、クズニート」

「うるさいエセ宮司!!」

 ぎゃあぎゃあと言い合いを始める彼等の姿を見つめていると隣で座っていた父さんは立ち上がって帰り支度を始めた。

「それじゃあ、そろそろ僕等はお暇しようかね」

「あれ、父さん帰るの?」

「うん、大体元気そうなのは分かったし」

 二人の喧嘩っ早いところが健在なのも分かったしね、と言って父さんは何故か悪戯を思いついたような表情を見せた。

「すみませんろくにおもてなしも出来ずに……」

 しづくさんが足早に僕等を送ろうと玄関口に行き、戸を開けると、外は夕暮れに差し掛かっていた。

「ありがとう、しづく。それにしても……その長い前髪、切ったりしたら?」

「……ま、前髪!?」

 隠すように前髪に大きな手を乗せたしづくさんに父さんは笑った。

「でも長くしていないと落ち着かないっていうか……」

「視界を塞いでいたら、これから先、見えてくるものも見えなくなっちゃうよ?」

 下ろした長い前髪を指でつまんだ彼は「髪上げてみるとか……考えてみます」としづくさんは前向きに検討する意思を向けた。

「しづくはこれから他人を導くべき人を目指せば良いかもね」

「導く……?」

「なんて、僕が言えるようなことでもないけど。それじゃ、またね、しづく。みくじにも、よろしく言っておいて」

 父さんはそう言ってから、僕を連れて音無子神社を後にした。



 父さんは会社に頼み込み、海外出張を無くし、出来るだけこの家で暮らせるようにしてくれたお陰で、普段より家事や家の事の負担を分担することが出来て、少し楽な生活が始まった。

 父さんとの生活にも慣れ始め、春休みも近づいたある日、ついに妹の久子は家に帰って来た。

 もちろん、自称守護霊の千歳もそっと隠れるようにして。

 下校時間も早くなっていたので、ほぼ一日中久子の様子は見ることが出来るし、何かあっても大丈夫だろう、と思ってはいたのだが、久子が八代家に帰って来て一番最初にした行動は自分の部屋で作品や筆、画材に携わる全てのものを燃やし尽くそうとすることだった。


 帰宅しようと歩いていた下校時に、僕の元へ一目散に飛んできた涙目の千歳がやって来なかったら、今頃八代家は全焼である。

 幸い、家の近くだったからなんとか大事になる前の火が小さな内に消火をすることが出来た。

 作品の半分ほどは焦げてしまっていたが、絵自体はそのまま確認できるものが多い。

 僕はこっそり捨てるフリをして、久子の画材や作品を僕の部屋の隅に隠すことにした。


 その後帰って来た父さんに事情を説明し、閉め切った久子の一室は外からだと何も分からないことは今、危険だということで久子のドアも当分の間取り外すことにした。



 それでも久子の生活は僕等とほぼ干渉しない。


 自分の部屋に引きこもり、日中はほぼ寝ている生活で時折届く通販サイトからの段ボールを開ける音。

 ――一体何をしているんだ。

 ついに僕はしびれを切らして、毎日一番近くで息を潜めながら久子を見ている千歳に聞くことにした。

 真夜中、父さんも久子も寝静まってから問うと、千歳はきょろきょろと丸い大きな瞳を左右に動かして誰も聞いていないことを確認したのか、内密なことを囁くように僕の耳元に片手を添えて小さな声で教えてくれた。


「久子、今度は自分から死んじゃおうとしている」


「えええっ!?」

「しーーっ!! 大きな声出しちゃ、めっ! 久子起きちゃう! お父さんも!」

 口を押えられて、なんとか僕はそれ以上大きな声を出すことは無かった。

「とりあえずボクが出来る範囲で色々ロープとか、痛そうな刃物とかは見つからないようにせっせと隠す作業をしているんだけど……」

「お前そんなこと出来るのか」

「ボクは守護霊だからねっ。ちゃんと証拠としてこの棒キャンディーとすり替えるように落としてるんだ!」

「どうしてそんな、わざわざバレてしまいそうな怪奇現象起こしているんだ……?」

「ショーコさんからの教え!」

 その行動で久子に不審に思われたりしないのだろうか。

 母さんは、一体どうして飴を落とせだなんて千歳に教えたのだろう。

 守護霊の行動が久子に気付かれてしまわないか、僕は不安になりながらすうすうと寝息を立てる妹のベッドを眺めた。

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