拝啓、お社の君[1]【語り手:八代久子】
床に落ちているオレンジ色の丸い形状をした棒キャンディを睨みつけ、八代久子は大きく舌打ちをした。
深い深い溜息を吐きながら、今まで残されてきた棒キャンディを数えると、締めて数十個はゆうに超えている気がする。数が数だけに数える気にもならない。
「もうこれで一体何度目なんだよ……」
髪を解かした記憶が数か月も前で止まっている自分のぼさぼさの髪の毛を乱暴に片手で掻いてから私はベッドの上に倒れ込むように飛び乗った。
『自殺志願者』――と、言いたいのは山々だが、本当のところ、何故かいつも邪魔が入って死ぬ準備までしているのに自殺まで辿り着かないのだから、外から見たら『自殺用意者』か、単なる『引きこもり』にしか見えないかもしれない。
大量に飲んで死のうと用意した薬も、少し目を離した隙に全て薬が消えて沢山のオレンジの棒キャンディにすり替わっていたり、麻縄を持ってきたはずが、オレンジの棒キャンディが連なったネックレスに変わっていたりするのだ。
誰かのイタズラにしては、度が過ぎる。
むくり、と起き上がって片頭痛に顔をしかめながらベッドから離れて自分の部屋を見渡す。人の気配は無い。
しかもやってくる棒キャンディー全てがオレンジ味。私の一番好きな味でもあるからなんだか余計に気味が悪い。
なんなんだ? 誰なんだ? まさか、気の利く趣味の悪いストーカー……?
「そんなことあるわけないだろ」
自分で自分にツッコミを入れてみる。誰一人見ていない一室で何してるんだろう。
風でなびく白いカーテン以外は何の動きも見えない、時間のほぼ止まった世界でぽつんと佇むというのには、私もさすがにそろそろなんだか悲しくなってきた。
別に私は独りを望んでいるわけではない。
絵を描いている時も、最初の頃は共に絵を描いていこうと誓った友人だって沢山いたのだ。
皆どんどん顔を出さなくなって、気付いたら私の側に寄り添っていたのは冷たい大量のトロフィーと中身の何もない空っぽで空虚な作品だけだったけれども。
まぁいい。私が独りという事実よりも何よりも、まずはこの状況の推理が先だ。
一応まず家族の仕業だ、と仮定する。
現在入院中の母親を置いて考えてみると、まず父親は会社で日中は家に顔を出さないし、残るは兄……八代雅雪こと『マサにぃ』のみになってしまうが彼も除外だ。
私がこの世を絶とうとしている時間はいつも兄が登校した後の時間だからだ。人目がつかない、誰も見ていない状況であるのは間違いない。
ここだけの話、兄は成績があまり芳しくない。
点数が取れない彼にとって、単位を取るには出席日数はかなり大事なものである。遅刻、もしくは早退なんてもってのほかだ。
妹の自殺防止にわざわざ、しかもタイミングばっちりにやっては来ないだろう……。
――ああ、でもこの前、画材を燃やそうとしていた日、私が燃やして数分も経たないうちに駆け込むように帰って来たよな。
しかも消火器を持って。どうして気付いたのだろう。
マサにぃは昔からなんだか不思議な人物だ。
気付いたら壁に向かって怯えていたり、空に向かって独り言を呟いていたり、私が言うのもなんだが、何か、色々と心配だ。
あまり話したことも無いからマサにぃについて深くは知らないけれども。
しかし、そうなると一体誰なんだ?
入院してからは一度も行っていない学校で私の家を知っているクラスメイトなんて一人もいないと思うし、ましてや自殺をしようとしているだなんてもっと知らされていないだろう。そもそもそこまで認知されるほどの存在でもないし。
ならば、幽霊? いやいやいや、それはないだろう。ないと……思いたい。
そもそも私は幽霊やら怪異やら、信じてはいない。というか、信じたくない。
怖い話は嫌いだ。血なまぐさい話はそこそこ……本当に少しは、大丈夫だけれど、ホラーや怪談話などおどろおどろしい話は本当に嫌いなのだ。
――そうだ『怪談話』、と言えば、確かお母さんがよく神様に会っただとか妖怪が視えるだとか、不思議な……やけに非現実じみた話をよくしていたような気がする。
全て妄想の話だと思いながら幼少の頃からずっと聞いていたけれど、彼女ならもしかしたら、このオカルト的な出来事に対してのヒントをなにかしらくれるかもしれない。
丁度、ずっと見舞いに行ってなかったから、好都合だ。顔見せ程度についでに聞いてみよう。
そう思ったが早いか、私はかかと部分が潰れた靴をつっかけ、母親の入院している病院に行くため、数ヶ月ぶりに家のドアノブに自ら手をかけ外に出たのだ。
先日雨でも降っていたのか、外には水たまりがそこかしこに存在していた。踏んで水が跳ねないように気を付けながらせっせと足を速める。
さすがに、手ぶらで行くのはあまりよろしくないよな、と思った私は近くの甘味屋である『木下屋』に寄る事にした。
木下屋とは、家から歩いてすぐの場所にあり、私が小さな頃から店があった老舗の甘味屋である。
店内でも餡蜜や抹茶を楽しめるが、今回は手作りの和菓子を持ち帰るだけにしよう。
ガラスの自動ドアに右手をかざすと、無機質な音を立てて店が私を迎え入れる。
「いらっしゃいませ〜」
にこにこと笑いながら接客をする、今まで見たことがなかった白髪の店員さんにぺこり、とお辞儀をして、ショーケースの中に入っている菓子を見た。
饅頭、餡蜜、それから大福に季節のおすすめ、団子に……ううん?
――ど、どうしよう。
どれがいいのか、分からない。
長い時間、何も言わずじっとショーケースとにらめっこをしていたからだろうか、店員さんが「何かお探しですか?」と話しかけてきた。
「あ、あの……。て、てて、手土産で、人気なものって、どれですか……?」
言い終わってから愛想よくしようと必死に口角を上げようとしたが世にも奇妙な口角の上がり方になりそうになった為、慌てて俯く。
マスク、持ってくれば良かった。掠れ声になってしまったし、恥ずかしい。
だめだ……ずっと誰とも家族とさえ喋らず引きこもっていたからか、ちゃんとした声の出し方を忘れているし、久々に人と話したからかなりどもってしまう。
「手土産ですか? それでしたらこちらの木下饅頭がおすすめですよ! 一口サイズの饅頭の詰め合わせなので、手軽に少しずつ食べられると好評です!」
店員さんは聞きにくいであろう私の声を全て聞き取り、かつ的確な商品を指差した。
尊敬の眼差しを向ける。よくよく見ると、私と同じくらいの年頃の男の子だった。全体的に色素が薄く、瞳もカラコンでも入れているのか、左右の眼で赤色の色素が違う。
胸元にあった名札を見てみると、『凪沢』と書かれてあった。名前、覚えておこう。
「お客様? どうしました? お気に召しませんでしたら他のおすすめも……」
突然無言になり頭を抱え始めた私を心配したのか、店員さんがまた話しかけて下さったが、私は首を左右に振った。
「す、すみません……ちょっと考え事をしていて……えっと……この木下饅頭、下さい」
「かしこまりました!」
支払いをしてから、店員さんに真白な手で袋に詰めてもらっている間、ちらり、と他の商品も見ていると、八つ橋に目が止まった。
八つ橋か。マサにぃが中学生の頃、修学旅行のお土産で買ってきたんだっけ。私、中学は修学旅行は行かなかったから、あのお土産で食べて以来に八つ橋見るな……。
「あ、八つ橋ご試食されますか?」
「えっ!? で、でも……」
「遠慮なさらずに! 少々お待ちくださいね」
この人は観察眼が凄まじすぎるな。どうして私の考えていることがそこまで分かってしまうんだ? テレパシストなのか……?
段々あらぬ方向へと妄想が飛躍していく私を知ってか知らないか、楽しそうに笑みを浮かべながらショーケースの裏から蓋つきのプラスチックの容器を取り出した。
そのまま店員さんは蓋を開けて、中に入っている桜色の八つ橋の一口サイズを爪楊枝に刺してから、私に差し出した。
「どうぞ!」
「ありがとうございます……」
爪楊枝を手に取り、口に入れると、甘すぎないあんこと桜味の薄皮の相性があっていて、とても美味しかった。
「美味しい……」
「本当ですか! やったぁ、この八つ橋、実は俺が作ったんです」
「えっ!? 凄いですね。和菓子、作れるんですか」
「まだまだひよっこですけどね」
店員さんの顔があんまりにも嬉しそうだったので自然に「この八つ橋も下さい」と言いながらショーケースの中に置いてあった分全ての八つ橋の数を指差した。
私の申し出に、店員さんはまるで桜のつぼみが一気に花開いたかのように誰が見ても幸せそうな表情を私に向けたのだった。
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