拝啓、お社の君[2]【語り手:八代久子】
木下屋で母親へのお土産であるお饅頭と、思い切って買いまくってしまった自分用への桜味の八つ橋を無事購入した私は、母親に会いに病院へと向かう。
見舞いをする為にエレベーターで上がろうとしたが、ここにきて最大のミスに気付く。
――お母さんどこにいるんだよ。
しまった、こんなことあるのか。どうして実の母親の病室を知らないんだ、もちろん見舞いに行くだなんて一言も伝えていないからマサにぃにもお父さんにも聞いてないし……。
エレベーターの前でうんうん唸りながら策を練っている様が異様に見えたのか背後から大きな足音が聞こえ、こちらの肩を叩かれる。
突然の衝撃で顔を真っ青にしながら病院で騒がしくしていたことを怒られるのを覚悟して振り返ると、目の前に広がっていたのは真っ暗な闇だった。
「ひぁぁぃっ!?」
「なに!?」
視線の高いところから聞こえて来る低い声に驚いて見上げると、そこにいたのはカチューシャを付けた背の高いお兄さんだった。
私が咄嗟に闇だと勘違いしたのは黒い薄手のセーターだったらしい。
「す、スミマセン、スミマセン」
「いや、そんな土下座する勢いで謝らないで……。悪かったね、びっくりさせて。何か困っているの? 俺で良ければ手伝うけれど」
怒られるものだと思っていたのに、全くそんな雰囲気は無く、柔らかい声で言う彼は誰かの見舞客なのか、手土産のような紙袋を持っていた。
「え、ええと……。お見舞いに来たんですが、どこに行けばいいのか迷ってしまって」
「ああ、それならこの階の奥にある受付の看護婦さんに聞いてみたら良いよ。教えてくれるから」
「受付……! ありがとうございます!」
「大丈夫? 受付まで案内しようか?」
「いえ、その場所ならさっき見かけたので大丈夫です!」
足早にお兄さんに礼を言ってから私は受付で確認をする。
どうやら、四階の大部屋にお母さんはいるらしいことを知ると、私は大急ぎで向かった。
「あら、久子が自分から一人でお見舞いに来るなんて!明日は台風でも来るんじゃないかしら」
六つのベッドの一番奥の窓際へ向かうと、お母さんは笑顔で私を迎え入れた。
「来た早々私にも台風にもかなり失礼だよ、お母さん……せっかくお母さんの愛する娘が見舞いに来たって言うのに」
私の言葉にお母さん――八代祥子は、自分の知っている中で一番長くなった前髪をかきあげながらケラケラとおかしそうに笑った。
「久し振りね~元気? 絵は……描いてないのね。昔と違って、今は絵の具一つついてないような綺麗な手だものね」
お母さんの言葉に何一つコメントが出来なかった私は、視線を下へずらした。
「……お母さんは、元気?」
「何言ってるのよ久子~。元気じゃないから入院しているんでしょ」
「あっごめん、失言……」
「いいのいいの。それよりもこれなぁに?」
お母さんはそう言うが早いか私が持ってきた紙袋をひょいっと勝手に手に取り、中身を確認した。
「あらお土産!? しかもこれ、私が大好きな木下饅頭じゃないの〜!?」
喜びながら包装紙をびりびりと勢いよく引き裂いていくお母さんを見てホッとする。どうやら店員さんには感謝せねばならないらしい。
「どういう風の吹き回しなのかしら。貢ぎ物まで持ってくるなんて」
「貢ぎ物って言うか、お土産だよ。……あっでも食べて大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫、ちょっとずつなら食べても怒られないだろうし! それより突然お土産片手に来るなんて、何か急用? 聞いてほしい事でもあるの?」
本音を言えば聞いてほしいことばかりあるのだが、お母さんの問いに言い淀み、こういう非現実的な悩みはノリと勢いが大事かもしれない、と自分の気を奮い立たせる。
「お母さん……実は周りで怪奇現象がよく起こるんだけど、幽霊か何か憑いていたりするのかな……」
「え? なに? ユーレ〜?」
リスの食事シーンのように、饅頭を三つまとめて口に頬張り、気の抜けたような母親の声に、緊張していた気持ちがゆるゆると萎んでいく。
「あの現実主義者で名の通っている久子から『幽霊』なんて言葉が口から出るとは……。明日はやっぱり、今世紀最大の台風が来るかもしれない」
私が普段しない話題一つで天空を揺るがす事が出来るなんて思いもしなかった。眉間にしわを寄せてまで真面目な顔をしないでくれ。
「お母さん。信じてもらえないかもしれないけれど、冗談じゃないの。私は本当に困っていて……。最近、ありえない不可解な事ばかり私の周りでよく起こっているの」
怖くて正直家にいるのがしんどい……という旨を教えると、「それは不思議ね〜!?」とお母さんは何故か大袈裟に目を見開いて驚いた。
真剣に考えているつもりなのだろうが、饅頭を口に入る限り入れまくって思案している様子を見るとあまり真面目な場面に見えないのが残念だ。
それにしても、確か木下饅頭は一口サイズで手軽に少しずつ食べられるのが売りではなかっただろうか? まとめて食べたら、一口サイズにした意味がないのでは……? なんて考えていると、母親はおもむろに口を開いた。
「貴方の周りに悪いものが憑いている『気』は感じないから大丈夫よ」
ううん? そうか……何か私に恨みつらみがあってやっているわけじゃないならば、これから呪い殺される事はないだろう。
いや、なんで死のうとしているのに殺されるのは嫌なんだ? 不思議すぎるぞ、この矛盾……。
「失礼します~頼まれていた本、持ってきました」
背後から聞き覚えのある大きな足音が聞こえたので振り返ってみると、私の姿を見て驚いた顔をしながらやってきたのはさっき受付を教えてくれた大柄なお兄さんだった。
「すみません、先客が来ていたなんて知らなくて……えーと……?」
「あら〜しづくったら、覚えてない? 久子よ、ヒサコ。小さい頃よく、音無子神社に来てたでしょ」
『しづく』って言うのかこの大柄な男性は……と思っていると、彼は私の顔を確認するように目線を合わせようとしたのか、大きい体を屈ませてまじまじと見つめてきた。
しばらくじっと見て記憶を手繰り寄せているようだったが、何か思い出したのか突然怪獣みたいな大きな口を開けて「わーかった!」と大きな声を出した。
「八代久子ちゃん! 雅雪の妹さんか! 似てると思ったよ!」
目元とか特に似てる!と言いながら彼は頰を指でつついた。な、なんなんだ。
どうして初対面でそんなフレンドリーなの、この人。
久々に家族以外の人と話したっていうのもあるけれど、この距離の近さには少々心臓に悪い……と思いつつ、ふと聞き覚えのある名前を言われたのに気付く。
「マサにぃ……兄のこと知ってるんですか?」
「そうだよ。雅雪とは最近知り合った。君のこともよく知ってる。絵が上手なんだっけ」
しづくさんの話した『絵』というキーワードに私の身体が固まった。
悪い気配を察したらしいしづくさんは急いで「ご、ごめん。なんか聞いちゃいけなかったかな」と謝った。
「しづく。饅頭食べる? 久子が持って来てくれたのよ~」
お母さんは空気を読んだのか、しづくさんに饅頭を一つ渡した。
「あっ、食べます……。そうだ祥子さん。持って来ましたよ。これが前に頼まれていた本で……こっちは俺のおすすめの本です」
「わーい! いつもありがとう、しづく~」
「いえ、自分が好きでやっているだけですから」
はしゃぐ母親とはにかむしづくさんの仲睦まじい姿を見て、ある悪い予感がした。
「え、不倫?」
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