エピローグ【語り手:八代雅雪】

「……どうして久子がここにいるんだ?」


 八代雅雪は何故か、音無子家へと呼ばれた。

 向かってみると、音無子家では不思議なことにちゃぶ台でチャーハンを貪るように食べていたのは僕の妹であり、現在引きこもりであり、元絵を描く天才だった療養中のはずの八代久子だった。

「しづくさんが、つくってくれた。たべていいって」

 お昼、そういえば食べてなかったから、と言いながら久子は口いっぱいに放り込んでいた。

「あの、これは一体……」

 こっそり宮司姿のしづくさんに耳打ちすると、彼は茶目っ気たっぷりにウインクした。

「久子ちゃん頑張るみたいだよ。高校も行くらしいし」

「ええ!?」

 僕がしづくさんの驚きの発言につい大きな声を上げると久子は小さく頷いた。

 恥ずかしがっているのか、視線は合わせてくれなかったが。

 正直心底嬉しい。あの久子が、まさか自ら学校へと行こうとしているなんて。

「明日は台風かな……」

「マサにぃまでお母さんみたいなこと言う……」

 口を尖らせて不満を訴える久子の声にも僕は笑顔になるほど嬉しかった。

「でもまだ絵は描けないから、行くとしても美術科じゃなくて普通科の方だけど……」

「いいよ、何も問題ないよ、僕は久子が変わろうと思ったことが一番に嬉しい」

 僕の声にりんごのように赤くした頬を隠しながら、久子は残りのチャーハンをかき込んだ。

 上を見ると、千歳は口角を最大限に緩めながら久子のことを見ているし、みくじさんも久子に協力的なのか「わしも学校遊びに行こうかな~」と計画を立てていた。いや、その制服どこから持ってきたんですかみくじさん。

「学校に行くなら部活も決めなきゃな~! 何か入りたいものとかあるのか、ヒサコは」

「部活……? 入る気無いけど」

「ええ~なんでなんで、何か入ろうよ~」

 猫背をさらに丸めている久子の肩を横でみくじさんが部活の誘いをし始めた時に、横開きの戸が開いた音と、ガサガサという紙の擦れる音を鳴らして「ただいま~」と言いながら零が帰って来た。

 僕は玄関の方に行って、さらさらとしたおかっぱ頭を下に向けて靴を脱いでいた零に声を掛けに行く。

「おかえり、零。僕が言っていいのか分からないけれど」

「雅雪さんいらっしゃってたんですか! ただいまです!」

 彼はぱっちりとした大きな瞳を驚きで大きくしてから、自分のかけている少し大きめの黒縁眼鏡がずり落ちる勢いで何度もお辞儀をした。

 両手には、いつものごとくみくじさんに頼まれたのであろう木下屋の紙袋を抱えていたが、靴を脱いでこちらに近付こうとした零は突然、氷で固まったかのように動かなくなってしまった。

 なんと、僕の後ろからやって来たのは制服姿のみくじさんだったからだ。何故か零を睨みつけている。

「……おか……えり。レイ」

「へ?」

「おかえりって言ってんだろ!! 返事は!?」

「は、はい!? ただいまですみくじさん!」

 顔を真っ赤にして怒って……いるのではなく、みくじさんは照れているようだった。

 さっきの睨みつけている姿も照れ隠しだったのかもしれない。

 零の持っている紙袋を横目にちら、と見たみくじさんは紙袋をひったくった。

「い、一緒に食わんか。わ、『わし』……『俺』……だけだと一人じゃ食べきれんし、いや『お主』のことは、お『お前』のことは好かんが、でも、別に最初は意地悪くしようとしたわけではないから……だから……その」

 もごもごと言いつつ、早口でまくしたてるちぐはぐな口調の乱れが焦りを表している。

 驚いたまま固まっていた零の表情も徐々に聞く姿勢を戻したのを合図に、みくじさんは一度深呼吸してから話し出した。

「ヒサコのことを、わしも言えんと思ってな。わしだって、引きこもっていたし……。これからは自分の眼でもっと町を知る。お主のことも……時間はかかるが、認める。じゃから……わしのことを許さんでもいい。でもけじめとして謝らせてくれ。無理なことばかり押し付けて、すまん」

 深々とお辞儀をしているみくじさんが零にどんな思いを持って今まで接していたのかは、僕は知らない。

 でも確実に何かが二人の間で動いたのは、僕にも理解出来た。

 零はみくじさんの謝った姿を見て戸惑いの表情を浮かべつつも、困ったように笑った。

「たい焼き、今日買って来たんです。一緒に食べてもいいですか? 冷めないうちに」

「うん……」

 こくこくと頷いたみくじさんと零はそのまま居間の方に向かった。



 久子はその後、零と挨拶をした。

 どうやら、しどろもどろに話す久子は大量の汗をかきながらも必死にこれから琴吹学院の高等部に入るということを伝えているらしい。

「久子さんは部活とか入るんですか?やっぱり美術とか……」

 ニコニコと話す零に僕はひやひやしながら見守っていた。久子にとって今美術関係の言葉は禁句なのだ。

 地雷がいつ踏まれて久子が爆発するのか不安で仕方なかったのだが、久子は考えるように唸った。

「れいきゅんは?」

「きゅん……? あ、ぼくは姉さんから雅雪さんが美術部にがいらっしゃることを聞いたので、美術部ですかね。楽しそうだし」

「マサにぃ、美術部入ってたの?!」

 突然居間中の人の視線がこちらに集中して僕は焦る。

「い、いや、名ばかり美術部のはずだ。元々個人スペースみたいなものが欲しかった奴との人数合わせなんだ。部活の内容は自由だと思うし、始動は新学期からで……」

 活動しているのが美術室ってだけだ、と、弁解するように話すと久子は口元に手を当てて考えた後「うん」と決心したような顔をした。

「そういうことなら私も、美術部入る。マサにぃもれいきゅんもいるし」

 一つ一つ絞り出すように話す彼女は彼女なりに自分のスタートラインを作りだしているようで、彼女の真剣に考える姿を見ながら内心僕は少し早いが来年、僕が二年生になり、久子が高等部に進学する日をこっそり楽しみにしていた。



 音無子家からの帰り道。

 夕暮れが僕と久子を包む中、僕等は久々にゆっくりと話をした。

 まだ頼りなげな姿の彼女だったが、それでも前に進んでいる久子の姿に不覚にも涙ぐみそうになったのは秘密だ。


 僕達と怪異との境が視え始めたこの世界には、まだ知らないことが多すぎる。

 季節の向こう側の景色に進むことは不安もあるけれど、何故だか今僕はとても不確かな未来の先を照らす日の光を愛おしく思った。


 宛ら僕達は人生の作者だ。不安や挫折を味わいながら、それでももう少し先にもう一歩だけでも進みたいなんて、心の片隅に思える未来を描きたい。

 そんな風に思える光が、不器用にも前に進む久子に届きますように。

 僕にとっても。誰かにとっても、もちろん、そうでありますように。

 雨上がりに滲む水溜まりに、一滴葉先から落ちてきた雨粒が、僕等に応えるように音を立てて跳ねていった。

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