拝啓、お社の君[8]【語り手:八代久子】

 橙色に染まり始めていている空には静かに雲が流れ始めている。

 またもや動悸息切れが激しい、長すぎる階段を滝の様な汗を流しながらやっとのことで、音無子神社へと続く最上階へと辿り着いた。

 肩で息をしている私と、けろっとした顔で仁王立ちしているみくじさん。私の方を見て心配そうな顔で浮かんでいる千歳の三人が鳥居の前に横並びになる。

 それにしても、やっぱり木の方が多いから神社か森かどうか見間違ってしまうな。


 鳥居に入った瞬間、突然千歳が「はーい!」と右手を上げながら提案をしてきた。

「ねえねえ! せっかく来たんだから手紙置くだけじゃなくてお参りもしていこうよっ」

 神社っぽいことしてから帰ろうよ~と、千歳は私にそうねだったので参道の近くの手を清める為に柄杓を持って、右手に水をかけ、右手に柄杓を持ち直し、左手にかける。

 そして右手に持ち直し左手をお椀のような形にして水をすくい、口をすすぐ。吐き出す。ここまでの水は一杯のみで済ませる。

 最後に柄杓を立てて残った水を流し、元の場所に戻すと、興味深そうに見つめていたみくじさんは「へぇ」と一つ呟いた。

「作法知ってるのかヒサコ」

 私はぼさぼさになった髪の毛を照れ隠しのように撫でつける。

「……小さい頃からよくお母さんに教えてもらってたから」

「は〜……ショウコも常識教えることがあるんだな」

 その言い分だと、お母さんは非常識ばかりを教えているようにも聞こえるが……。

 参拝に向かう為に軽く拝殿前で礼をしたあと、お賽銭そっと入れて鈴を鳴らす。

 がらん、ごろん、がらん、ごろん。

 二つ拍手して、二つ礼をする。そうして、手を合わせて……。

「久子が幸せになれますよーに!」

 私が願う前に千歳の大声が境内に響いた。

「ち、千歳。私への願いじゃなくて、自分の願いを言いなよ」

「ボクの願いは久子の幸せだけだから! 久子も早く言わなきゃ! はい、大きな声でせーの!」

「これ心の中で願うものじゃ……」

 声を出す勇気が出せずにいると、千歳は急かしてくるし、みくじさんは後ろでにやつきながら「なんじゃなんじゃ、面白くなってきたのう」とヤジを飛ばし始めた。

「分かった、分かった! 言うから!」

 多少の恥はあるが、聞くのはここの二人だけだと思えばまだ言えるかもしれない。

 目を閉じて何度も深呼吸をしてから、私自身が祈った、願いを頭の中で反芻する。

 素直に、正直に、ひねくれずに、もう一度お社の君にも書き残した、あの言葉を。

 閉じていた目を開き手を合わせながら大きく息を吸い込む。


「愛している絵をまたいつか描くことが出来ますように。そして、自分の弱い部分を変えていけますように」


 緊張で声は掠れてしまったが、自分の中ではかなり大きな声で言えた。

 ちら、と周りを見ると、みくじさんは私の願いを聞いて満足気な表情で見ていて、千歳も丸くて大きな瞳を輝かせながら拍手を送っていた。

 私は自分の気持ちが遅れて恥ずかしくなったのか、燃え上がるような頬を隠しながらお社にも二人にも交互に礼をした。




「青春だね〜おにーさんには眩しいよ〜」

 みくじと千歳の後ろから拍手をしていたのは、袴を身にまとい、やけに背が高くていかつい体つきの男性だった。

 よく見ると、宮司姿のしづくさんだった。

「あっあれ、しづくさん……? いつからいらっしゃってたんですか……?」

「うん? ええと、君があのヘソ出しセーラーちゃんにお参りを誘われていた頃くらい?」

 割と、いや、かなり最初じゃないか……!

「しづくさん! なにか言ってから来てくださいよ! 恥ずかしいじゃないですか!」

「ははー。いいじゃん。かっこよかったよ〜」

 今までの一連の流れを見られていたと思うと恥ずかしくて抗議してみたが、彼は私の言葉に動じることもなく「よく出来ました」と言いながらわしわしと頭を撫でてきた。

 満足するまで撫で終えたのか、夕暮れに染まる空を背景にしづくさんは目を細めて嬉しそうに口元を緩めた。

 そのまま、私の上着の裾を後ろから引っ張っている千歳の方を見る。

「やぁ、ヘソ出しセーラーちゃん。ずっと久子ちゃんといたけれど、お名前は?」

「千歳! 久子の守護霊だよ!」

「そっかー千歳ちゃんかー! 可愛いねぇ」

 目線を合わせるために、大きな体を屈みこませてニコニコしながら千歳と会話する姿は、まるで親戚のおじさんが孫を見ているようである。

 なんかこのままだとお小遣いとかあげちゃいそうだ。

 千歳も、しづくさんに気を許したのかふにゃっと笑った。

「待って。え、しづくさんにも千歳が視えるんですか?」

「おう。視えるよ。久子ちゃんにも視えるんだね」

「……ついさっき視えるようになって……。えっ千歳、いつ頃からいましたか?」

「うん? 君が祥子さんに会っている時からずっといたよ?」

「やっぱりそうなんですか……」

 どうして誰も言ってくれなかったんだろう。視える人の中では暗黙で幽霊が憑いても言わないルールでも存在しているのだろうか。いるなら教えて欲しいのに……。

 考えながら視線を下に向けると、ふと私は自分の持っている木下屋の紙袋が目が行ったので、慌ててしづくさんに差し出した。

「しづくさん。これ、ここまで連れて来てもらったお礼の八つ橋です。よかったら……」

「いいの!? これ木下屋のじゃん! 俺いつか食べてみたかったんだよな~」

 喜びながら受け取ったしづくさんにホッと息をつく。

 よかった。食べられなかったらどうしようかと思った。

 みくじさんも思いだしたかのように焦りながら「シヅク! たいやきも忘れるなよ!?」と、必死にアピールし始める。まだ、覚えてたんだたい焼きのこと……。

「はいはい。分かってるよ。でも、その前に。久子ちゃんは『お社の君』に願ったことは叶いそうなの?」

 こちらに、確認するよう少し首を傾げて聞いたしづくさんに、急いで頷く。

「えっと……これから、千歳とみくじさんと一緒にゆっくり叶えていくつもりです」

「……千歳ちゃんはともかく、これからみくじと、一緒に?」

 しづくさんは私の言葉を聞いた途端みくじさんに、にこにこと笑いながら近付いて行った。

 先ほどの私に向けていた笑顔とは変わり、全く目は笑っていなかったが。

「おい、みくじ。お前ま〜た勝手な約束をして……!」

 しづくさんの何か逆鱗に触れたのか、マフラーを掴んで彼女を持ち上げた。えっ凄い。力あるな。頼りがいがありそう。

「なんだよ痛いな! 雑に掴むな無礼者! 今回は本当に意味あっての行動じゃって!」

「久子ちゃんに何かあったらただじゃおかねぇからな!?」

「大丈夫大丈夫! オールオッケー! 任せろっ!」

「信用ならねぇんだよ……。なぁ、久子ちゃん、千歳ちゃん、変なことしたらいつでも言ってな? こいつ阿保神だから……」

「あの……みくじさんって、神なんですか?」

 私の言葉にしづくさんは視線を何度か迷わせながらやがて頷いた。

「みくじは琴吹町の土地神……っぽい何かってことになってはいるが、現状はクズニートだから神だなんて思わなくていいよ」

 ばっさりと切り捨てるように話すしづくさんに持ち上げられていたみくじさんは反論した。

「クズニート言うなエセ宮司。マサユキは大丈夫なのかのう、こんな風にシヅクに暴力振るったりされているんかの~」

「その汚らしい脳内を手水舎の水で清めてこい」

  しづくさんは手水舎の方向にみくじさんを蹴り飛ばした。ナイスキック。


「……久子、急にだけどボク、みくじと一緒に行動するの、不安になってきた」

 千歳の言葉に「同感だ」という意味を込めて苦笑いした。

 ご立腹なしづくさんと未だに信じられないが崇めるべき方とは決して言いきれないびしょぬれになったみくじさんが未だに言い合っている様子はあまりにも不思議な光景だ。

 そのままそっとバレないように騒いでいる二人から背を向けてお供え物がある三方へ足を運ぶ。

 千歳は私の行動に気付くとくりくりとした瞳を輝かせて、陽だまりのように微笑んだ。

 どうか、今日が私にとっての新たな一日に変わりますように。

 色んな思いを馳せながら私は三方に『拝啓、お社の君』という前文から始まる願いを込めた手紙を置いたのだった。

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