束ねた結びと縁の果て[8]【語り手:八代雅雪】

 自称守護霊があまりにも何か訴えていたので、面会時間よりはまだ少し早かったが、僕は浮かぶ彼女と共に久子の入院している病棟へと向かった。

 母さんと同じ病院ではあるが、病棟が違う為、正面入口ではない、裏口から入る。

 エレベーターに乗り、面会が出来る三階へ向かうと、開いてすぐの受付に看護婦さんが僕の姿を見て、お辞儀をした。

「申し訳ありません。ただいま面会時間では無く……」

「面会は出来ないのを承知で来ました。会えなくてもどなたかに少し様子を聞きに来たんですが……。僕、八代久子の兄です」

 清楚な佇まいの看護婦さんは納得したように「少々お待ち下さい」と言って奥へと入って行った。

 数分後、看護婦は微笑みを浮かべながら戻ってきた。

「先程、主治医の方に確認を取りましたら、面会しても良いそうです」

「あ、ありがとうございます……!」

 看護婦さんに案内された番号のところへ向かい、面会に行こうと病室の前に行くと、急に後ろにいた自称守護霊は立ち止まった。

「どうした、一緒に来ないのか」

 周りに気付かれないように小さな声で訊くと、彼女は首を大きく首を横に振った。つられてウェーブされた髪の毛も時間差で大きくなびく。

「ごめん、なんか最近久子、ボクのことよく視えちゃうみたいだから」

 久子は幽霊や怪異は視えなかったはずだが、一応了解の意を込めて頷いた。



 僕一人だけで病室に行くとそこにはぼんやりと窓を見ている久子の姿があった。

 出来るだけ元気を出してもらおうと笑顔で接するために無理に口角をあげつつ、彼女の側にある椅子に座る。

 彼女は背中を丸めるようにこちらを見て光なんてどこにも差していないような暗い深い沼底のような瞳で僕を見てこう言った。

「どうして来たの、マサにぃ」

「……久子に会いたかったから」

「励ましたいとか、考えているかもしれないけれど、今私には聞く余裕は無いよ」

 天才という肩書きと共に生きてきた彼女は今、どの角度から見ても、中学三年生の少女であり、僕のただ一人の妹だった。

「私ね。ここに来てから一日の半分以上ずっと目を閉じているの。ここの壁も床も天井も、白いでしょう? 全部、白いキャンバスに見えるの。描かない私を……描けない私を責めているようで」

 彼女の震える手を、僕はどうしたらよいか分からず、握ってやることにした。

 死人のように冷たい手を握ると、少しだけじんわりと温かさが戻ってきたことにホッとすることしか、僕には出来ない。

「怖い。もう、このまま息を吸うことも吐くことも許されてはいけない気がする。絵が描けなくなったら私は、生きている価値も無い。何も出来ないんだもの、私は絵を描く以外になんにも……」

 僕はどう声を掛けて良いか分からず、ずっとすすり泣く彼女の両手を握ってやることしか出来なかった。




「……ありがとうございました」

 僕は泣き疲れてまた眠ってしまった妹の姿を見てから病室を後にして、受付にいる看護婦さんにお礼を言ってからエレベーターへと向かう。

 視線を上に寄越すと、最初はあんなに泣きわめいていた自称守護霊は無言でしょんぼりと肩を落としていた。


 母さんの見舞いにも行く前に自称守護霊と話をするために、正面入口に戻ってから隅にある人気の無いロビーの談話室のようなスペースへと向かう。

 霊と話す様は、事情を知らない人から見たら僕だけが喋っているように見えてしまう。独り言が大きすぎる人だと思われてすぐに診察室へと連行されてしまうのは避けたい。

「ずっと久子、あの調子なの?」

 ベンチに座ってから僕が話を切り出すと、隣に座った彼女は力無く一度頷いた。

「そうだよ。ボク……というか、守護霊はヒトの側に必ず最低でも一つ、状況に合わせて増えていくのだけれど、担当しているヒトが心のどこかで助けを呼んだら、ボク等は主人を守る為に最適な姿形となる。ボクにとってはこの姿だったみたい」

「自身の依代と守護霊の意思は別個ということなのか?」

「ううん……? 依代っていうよりも変幻に近いかも。色んな形で主人に接触するのがボクたち守護霊だから、こうやって人間の格好じゃなく、犬や植木鉢になる子もいる。元はといえば守護霊自体が形の無い魂の塊みたいなものだから、どんな風にヒトが認識するかだけ――幻の視方が変わるだけかな」

 難しいことは分からない!と彼女はお手上げのように両手を空高く上げた。

 怪異にも色々種類があるんだな。

「君の名前とかはあるの? 僕は八代雅雪。久子の兄だ」

「ボクの名前は千歳っ! 久子の守護霊だよっ! お近づきの印に飴をど~うぞっ!」

「いてっ」

 頭上に何かしら落とされた球状のそれは、どうやら棒付きの飴のようだった。

「なんだこれ」

 床に落ちた飴を拾い上げ、包装紙を破ってみるとそこにはみずみずしい橙色が顔を出した。

「食えるのか」

「食べられるよ~」

 暫し悩んだが意を決して口に含み、舌で転がす。甘い。美味しい。オレンジ味だ。

「どういうシステムなんだ?」

「システム? ……う~ん、念じれば出てくるからな~っ。あっもしかして久子って、集中すると全く周りの音に気付かないタイプだった?」

「確かに……」

 絵を描くことに没頭しているときの久子は誰が呼びかけても一つも返事を返さなかったことを思い出す。

「ボクたち守護霊は主人にサインを気付いてもらうのがお仕事だからねっ! きっとこの飴もそういうことなんじゃないかなっ!」

「へぇ……」

 そういえば原もいつも僕のこと驚かせなきゃこっち見ないとか言ってたな。理由としてはそれが一番近いのかもしれない。

 しかし、何故オレンジの飴なのだろう。ブドウでもイチゴでも飴に味は沢山あるのに。

 久子の好みなのだろうか。彼女、好き嫌いをあまり声に出さないから分からないな。

 僕、久子のこと、妹なのに何も知らないのかもしれない。



 それからいくつか千歳と雑談をしている内に本来の面会時間になり、僕はそのままエレベーターに乗っていつものように母さんに会いに行こうとすると、懐かしい背格好が母さんのベッドの近くにある丸椅子に座っていた。

「……父さん!?」

「雅雪か?」

 僕の声を聞いて、誠実といという言葉を身にまとうように、ぴっちりと身体に合ったスーツを着て座っていた父さん――『八代勉』はゆっくりと立ち上がってこちらに振り返った。

「久し振りだね、雅雪」

「えっもう帰ってきたの!?」

「ああ。すまんな、病院に寄ってから雅雪に連絡を入れようとしていたんだ」

 笑顔を向けた父さんの眼鏡の奥に見える厳しい目つきは相変わらずだったけれど、口調がとても穏やかなのも変わらなかった。

「祥子。来たよ、雅雪が」

 父さんの声に楽しそうな瞳で僕等を確認した母さんは声を弾ませる。

「久々に揃ったわねこの三人! 嬉しいわ~!」

「あまり大きな声を出すな祥子。体に障ったらどうする。手術も近いのに」

「勉さんは心配症ねぇ」

 面会にあまり行けなかった間に、母さんはまた全体的に細さが目立ち始めてきたが、声は相変わらず元気そうだった。

「雅雪、少し元気無い? 陰鬱そうな雰囲気がいつもの倍よ?」

「ええと……ちょっと、ここに来る前に……」

 久子との面会の事情を簡単に説明すると、母さんは顔を少し曇らせた。

「ごめん、母さんも大変な時に……」

「ねぇ。雅雪」

 片手で手招きをした母さんは僕の耳元でこう囁いた。

「貴方の頭上にいる子って、久子の何か?」

 心配そうに上で見つめているセーラー服を来た彼女を指差して言ったので僕は肯定するように小さく頷く。

「そう。分かった。……勉さん~!」

 小声での会話を終わらせた途端後ろにいる父さんに向かって声を掛けると、彼はきょとんと首を傾げた。

「どうした。内緒話は終わったのか?」

「ええ! 私、これから可愛いお客さんの相手をするから!」

 母さんはそう言って僕の頭上を見ながらバチンッと大きくウインクをした。

 頭上にいた千歳は驚いたように僕を見たが、母さんに遠慮がちに笑顔で小さく手を振った。

「また何かいるのか?」

 父さんは、幽霊も何も怪異が視えないので、不思議そうに見上げている。

 母さんが何かに反応しているのはいつものことだからなのか、全く動揺していない図はいささか奇妙な絵面でもある。

 父さんの見ていた方角は千歳の方ではなく残念ながら明後日の方向だったのだが。

「分かった。……雅雪、父さんこれから旧友に会いに行こうと思ったんだけど、一緒に行くかい? 連れまわすのは悪いかな」

「ううん、僕も行くよ」

 父さんの友人が気になった僕はそのまま後を追うことにした。




「お~い、いるんだろ、みくじ」

「……ツトムじゃないか」

 父さんが声を掛けると気だるく地面にどろどろと流れる泥のように声に張りがない着物の人物は、数ある木々の中でも大きな杉の上で猫のように横になっていた。

 何故か僕と父さんはそのまま森の奥深くの千段は超える階段を上り詰め、鳥居を潜り抜けてから神社にやって来たのだが、この神社、どう見ても音無子神社である。

「未だに人見知りは治らないのか?」

「うるさいっ! 余計なお世話だっての」

「相変わらずわがままな自称神様だな。きっと今でも零くんと仲良くなりたいのにやり方が分からず結局パシリとしてしか接することが出来ない、みたいな関係なんだろう?そんなんだからここには誰も――」

 父さんが言い終わる前にガサガサとけたたましい音を鳴らしながら重力なんてお構いなしに木を駆け下り、地面に騒がしく自称神様が着地した。

 目の前に現れたのは、大層眉間にしわを寄せた不機嫌な人物だった。以前会った時と同じ橙色のマフラーと、晴れた青空のように澄み切った髪色と瞳の色なのだが、何か輪郭に丸みがあるし、はだけた着物には何かふくらみのようなものが見える気も……。

「なんじゃ、昨日の小僧もいるのか。そんなにじろじろと見るなんて女体の身体に興味があるのか、破廉恥な小僧じゃな」

「ちがっ……!」

 急いで顔を逸らし、高鳴る心臓を必死に抑えていると前で「ウブじゃのう」と楽しそうに笑う彼女がいた。

「たまには良いじゃろ、女体ものう。まあ、『神原みくじ』ということには変わらんがな」

「なんなんですか、その喋り方」

「どんな喋り方でも良いじゃろ小僧。女体の時はこの喋り方の方がウケるんじゃよ。それとも、喋り方一つ覚えでしか人物を把握出来んような頭の小さなオトコなのか?」

 にたぁ、と人の悪い笑みを浮かべる彼女に口角を片方引き上げる。この自称神と話していると堪忍袋の緒がすぐさま引きちぎれそうだ。

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