スクリプトルは悲劇を望まない[1]【語り手:小西或斗(過去と独白)】
日常に物語を求め始めたから、純文学は死んだ。
淡々と進む世の中だからこそ描くことを許された文学を殺したのは、みなまで言わなくても分かる。僕等現代人に違いない。
色彩を持った世の中が当たり前だと。白黒な世界に彩りを持たねば幸せではないと誰かが唱え始めたから、この世は必死に彩度を上げた生活を始めた。
ただ、象られた日常を正しいと錯覚しては、いけないのに。
この世に色の無い世界が本当に不幸の対象になるのだろうか。
一面、真っ黒な世界で息をする、僕には分かりようもない。
光の中から神様は現れない。闇の中から現れるものなのだ。
目を閉じても開いても、夢の中にいるような気分だ。
このまま闇に溶けて消えてしまいたい。全てを無かったことにしてしまいたい。
どうか、僕が生まれる前に戻してほしい。
人生をもう一度やり直させてほしい。
せめて、『彼』と出逢う前に……――ああ、違うのか。
日常に一番物語を求めたのは、誰でもなく、紛れもなく、この僕、小西或斗だったんだ。
おみくじが嫌いだ。
こちら側の気持ちなんてお構い無しに、まるで貴方の事を全て知っていますよ、という風に書かれてしまうのを読むのがどうにも気に食わない。
神様なんていやしないのに。お告げ? 違うだろ。
そもそもおみくじなんて神社側の小銭稼ぎのために作られたものなのではないか?
貴方は『大吉』貴方は『吉』貴方は……。
恋愛、仕事、勉学をなんでこうも赤の他人にああだこうだとアドバイスされなきゃいけないのか。
人間誰しも当たりハズレがあると思う。
顔がよければ当たり、悪ければハズレ。足が速ければ当たり、遅ければハズレ。
――生まれた場所が良ければ当たり。悪ければ、ハズレ。
そうやって、人生の中でくじ引きを何回も行い、最終的に『当たり』を沢山引いた人は幸せに。『ハズレ』を沢山引いた人は幸せになる確率は少なくなる。
死ぬ前に幸せと不幸が一緒になるだなんて嘘だ。死んだらゼロになるだけだ。消えて灰になるのだったら幸も不幸もなにも残らないじゃないか。
僕は、『ハズレ』ばかりを引いて来た。
というか一番最初から、おぎゃあと生まれた時からハズレどころか大ハズレ。
凶どころか大凶、いや恐という結果を出してしまった。
敷かれた病院の院長の息子というレールを真っ直ぐ、ただ淡々と歩いているだけの人生が決まっていたのだ。正直飽き飽きしている。
そんなこと父親が聞いたらヒステリックに発狂しそうだが。
ぼんやりと適当な考えごとをしながらふと視界の端に鏡に映った自分がこちらを無表情に見つめていた。
ここらでは有名な私立中学の立派なブレザーを、上から下までぴっちりとまとっているせいで余計に線が細いことを強調している。
もう少し着崩しても良いのかもしれないけれど、如何せん、立派な息子という肩書きを背負っているのもあって、あまり出過ぎた真似が出来ないのだ。
少しでも病院の名を汚すことのないように、父親に叱られないように良い子を演じているつもりである。
阿保らしい。
この場所から逃げ出せたらこんなバカみたいなことしないのにな。
昔から、僕は鏡を見るのも嫌いだった。
可視光を反射して物体を映すようなものによって自分自身の身体も心も全て見えてしまうようで、怖かったからだ。
「何故、ヒトは鏡に映った自分を見る事が出来る生物なのだろうか」
と現実も、事実も、本質も、受け入れたくなかった当時の――今もだけれど――僕にとっては自分がヒトであることを恥じるほどだった。
――なんて言ってしまうことすら恥ずかしい。
いっそ、鏡というものを出来るだけ見ないように生きようとしていたのに『鏡』は町中のいたるところに存在していた。
決して、交わろうとはしないけれど、いつも側に存在している――自分の分身のように佇む姿見を恐れていた。
こんな運命を変えてくれる人がいるのならば、それはもう神様なんじゃないかな。
なんて呑気に考えていられたのは血痕が飛び散った床を見るまでだった。
言葉を失ってその光景に立ち尽くしてしまった。
リビングへ向かう階段を降りていた途中だというのに、あまりにも残虐な光景に立ち尽くす。
僕は恐る恐る階段を下っていき、倒れ込んでいる父親に近付いて、安否を確認した。
――僕の父親の息の根は止まっている。
僕の、父親が死んだ。
どうして死んでしまったかなんてそんなのどうでも良かった。
これは、もしかして、僕の存在する窮屈な世界を消し去って、運命を変えてくれた『神様』がこの場に現れたのでは、ないか?
目を見開き、この奇跡的な事態に心からの幸せを感じながらも、必死に興奮を抑えていると足元でカチン、と何か金属のようなものに当たった音がした。
当たったものを確認して屈んで拾ってみると、少しだけ錆びついた金属のようだった。
真ん中に空洞があり、丸い形状をしている。
「……指輪?」
鮮血で赤く彩られた鈍く光るその指輪を光にかざしてみると、かなり黒ずんでいて、年季の入っていることが分かる。
こんなもの、家の誰かは付けていただろうか。
記憶を手繰り寄せてみるが、こんな古びたものを付けている人なんて全く心当たりがなく首を傾げていると、近くに紐のようなものがあった。
この指輪に関係のあるものなのだろうか……と考えながらその紐を手に取ろうとすると、大きな音と共にドアが勢いよく開いた。
慌てて触れようとした紐から遠ざかり、近くにあった大きめのソファの影に身を潜めて、侵入者をそっと見つめる。
長い髪を振り乱しながらこの辺りでは珍しい学ランを着たその人は、血眼のような目をして猫背になりながら必死に下を向いて何かを探していた。
もしかして、と指輪をちらりと見やる。
これが、探し物なのではないだろうか、あの男の。
そして……この奇跡を起こした神様なのではないだろうか。
僕の考えを裏付けるように、彼は先ほど見つけた紐を光の速さで手に取り、紐の落ちていた周りを必死にくまなく探していた。
その様子を見ながら僕はぎゅっと持っていた指輪を握りしめる。
ずっと胸の近くに持っていた僕の体温で温まったそれが僕の心臓とリンクするようにどくどくと波打っていた。
彼に今、この指輪を返すか、否か。
どうしたらいいのだろう……まるで憧れの人にラブレターを渡す前の少女のような気持ちになって迷っているうちに、吐き捨てるように舌打ちをした彼は、がしがしと頭を掻いてその場を立ち去った。
ドアがバタンと大きな音を立て、時計の針が大きく聞こえるほど静かになった部屋の中、僕は痛いほど握りしめて赤くなった拳を開いて、これからの鍵になるべく指輪をもう一度見つめた。
その後、分かったことだけれど、この辺りで学ランを着ている学校は琴吹町という田舎にある私立の琴吹学院だった。
ここに入学したら彼にまた会えるかもしれない、なんて淡い気持ちを込めて受験した僕は、琴吹学院にやって来た。
我ながら馬鹿げた考えだし、彼の学ランだけを頼りに来ただなんてかなりの挑戦者だ。
この指輪は僕にとって彼と繋ぐ架け橋のようなものだった。いつか彼に会えるようにとこの日を待っていた。
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