視える境と知らぬ未来[7]【語り手:八代雅雪】

 カフェ『とこしえ』の扉を勢いよく開けると、そこには店長である永久さんが血相を変えてやって来た僕の顔を見て目を丸くした。

「どうしたの、マサくん!?」

「しづくさんいますか!?」

「しづく? あの本棚の中で……」

 僕は永久さんの返事を待たずに以前入った本の扉へと向かうと、そこには本を両手に持って顔を隠すしづくさんがいた。

「……隠れないで下さい」

「な、なんだ雅雪……。俺は今、本を読んでいて……」

「しづくさん、聞きたいことがあるのですが」

 あまりにも切羽詰まった表情を見せた僕に、しづくさんは本を持っていた手をそろそろと下へ移動させた。

「急用か? 俺に何か関係のある……?」

「小西先生がしづくさんに心残りがあって世界が創られてるんです」

「は……? 小西、先生……? 話がさっぱり見えないんだが」

 聞くから順序立てて教えろ、と本を机の上に置いたしづくさんは聞く姿勢を作ったので僕は彼の向かい席に座る。


 仁志先生から教えてもらったことをかいつまんで話すと、聞き終わってから彼は「或斗は初めての、友達だったよ」

 と『だった』を強調させてからゆるゆると長い息を吐いた。

「――或斗とは今から十年ほど前に俺の不手際から出会うきっかけを作ってしまって、彼の方から近付いてからは俺も少しだけ交流していた」

 どんなに勘違いだと言われようとも確かに俺はあの時あの時間、偽りでも青春が出来た。あの時間は或斗がいなければ成立しなかった……感謝している。

 そう、彼は語った。

「或斗のお陰でくすんでいた毎日を少しだけ忘れられたのも、事実。初めて人間から好意を向けられて戸惑いもあったけれど嬉しかった。あいつと過ごした文芸部の部室で一緒に本を読んでいた時間だけはこの世界にいてもいいのかもしれないって許されている気持ちだった――でも、怖かった、怪異である自分が或斗を……友人を傷つけそうで」


 だから、小西先生に危害を起こす前にしづくさんは離れた。

 何も言わずに、そっと。

「俺さ、人間が好きだ。人間の考えていることが知りたくて、人間の書いた本も沢山読んだ。いつか人間とも仲良くなりたかった。或斗はそれを叶えてくれた。幸せだった。でも。『鬼』の俺は、もう人間と深く交流しては、いけないんだ」

「鬼……」

 息を吞む僕に、彼は自嘲するように歪んだ笑いをこちらに見せた。

「鬼火に身体を飲み込まれて、共存しなければならなくなってから、俺は『人魂』が食料だった。人魂を食えば、俺は他者にも視えやすくなって生きやすくなる……。でもいつか目の前の友人を本能的に殺してしまうかもしれない。それに脅えて逃げ出した」

 しづくさんはそのまま反論なんて聞かないように耳を塞いで小さくうずくまった。

「鬼は外に追いやらないと、福はやってこないだろ。俺がいなくても、或斗の解決策はあるはずだ……」

「それは……本当に過去に心残りがあるのは、しづくさんの方なんじゃないですか」

 小さく肩を震わせた彼はゆっくりと耳から手を離した。目線はまだ下を向いたままだったが。

「怪異とか、人間とか関係なく、何も言わずに今まで仲良くしていた友人が目の前から消えたら、僕だったら不安になりますし、悲しいです」

 未だ揺れ動いた瞳で迷いのあることを隠し切れていないしづくさんを安心させるように、僕は精一杯勇気づけるように声に力を込めた。

「今の小西先生に言葉が届くのは、貴方だけではないのかなって……僕は思います」

 僕の言葉を聞いたしづくさんは口をギュッと結んでから、決心のついた表情でこちらを見つめてから席を立った。

「…………どこだ、その鏡って言うのは」




 職員室へ向かう為に進む渡り廊下へ急ぐと、僕等の全身を映し出す鏡には沈み込むような暗く深い暗闇と、雷でも落ちたのかと思うほどの大きな亀裂が入っていた。

 つい、後ずさりをしてしまう。見た事も感じたこともないこの世と種類の異なるものの気配がより一層異質さを濃くしていたから。

「これは……」

 僕もしづくさんも絶句していると、背後から声が聞こえてきた。

「八代雅雪くんに……しづく。来たところすみません、私が目を離していた隙に既に『発症源』が飲み込まれてしまい手遅れの状況でして……」

「発症源……って」

「『小西或斗』です」

 仁志先生の言葉を聞いた瞬間に、しづくさんは飛び出さんばかりに僕等を先置いて、禍々しい鏡の中に足を踏み入れた。

「……しづくさん」

 心配げに声をかける僕の方を振り向かずに、進むべき鏡の方だけを見据える彼は、ひどく冷静で落ち着いた声を発した。

「大丈夫。ちゃんと、過去と向き合って俺達に区切りをつけてくるから」

 しづくさんは決心を固めた顔で鏡に潜りこむように入って行った。

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