束ねた結びと縁の果て[1]【語り手:八代雅雪】
内面世界が崩れ落ちながら消失した瞬間、ぐっすりと穏やかな顔で眠っている小西先生を担ぎながらしづくさんは戻って来た。
「帰ったぞ、雅雪」
しづくさんは背中辺りまであった長い髪の毛がばっさりと消えていた。
現実から遮断されている世界だからか、内面世界であったことを全て僕は知ることが出来なかったので、何があったのか聞こうしたが、今は必要ないようにも感じて、止めておくことにした。
短くなった髪の彼は、まるで未練を断ち切ってきたような清々しい顔つきで何も心配はいらないと思ったからだ。
その後、事情を聞いてやって来た仁志先生に軽々と小西先生が担がれて保健室に連れて行かれたのを見届けてから、しづくさんは、大きく伸びをした。
「……ありがとな、雅雪。決断が遅ければ或斗はもうこの世にいなかったかもしれない。雅雪が背中を押してくれたお陰だ」
感謝する、と頭を下げられて、僕も驚いて一緒にお辞儀した。
「そこで、なんだがな。雅雪。これは……恩返しのつもりで考えた一つの提案なんだが」
言うか否か迷うように頬を掻きながら彼は顔を上げてこう言った。
「俺がお前の使い魔になるよ。雅雪。契りを結ぼう」
「……えぇっ!?」
素っ頓狂な声を出して顔を上げた僕に、しづくさんは、今まで見たことがないくらいに楽しそうな表情で微笑んだ。
しづくさんと契りを結ぶと、何故か彼の容姿が大人の姿へと変わった。
華奢で細い身体ではなく、逞しく立派な身体に。身長も以前の身長の頭一つ分ほど高くなってしまい、僕は呆然とその姿を見上げた。
「使い魔って言うのは、大概、本能的に主が望んでいた姿へと変わるんだ。俺がこの姿になったのはきっとその理由」
大きめの黒いセーターとジーンズ姿になった彼は、自分の身体ながら物珍しそうに見回した。
「雅雪って、もしかして大人に頼りたかったのか」
「なっ……。そ、そんなことは」
「そんなことあるんだよ。俺のこの姿を見ろ」
見せつけるように身体をくるくると何回転かさせている彼に、僕は「そうですね……認めます」と、小さく言った。
「これからは、俺も頼れるようにしていくからさ。改めてよろしくな、雅雪。俺は『音無子しづく』だ」
彼が僕の前に片手を差し出したので僕もそれに倣って手を差し出した。
「よろしくお願い……え?音無子?」
僕が頭に浮かんだのは養護教諭の音無子弥生先生だったが、きっとただの偶然だろうと首を振った。
「……あの、でも契りを結ぶと何か変わるんですかね」
「そうだな。主中心の生活になるのは間違いないし、俺も人魂を食べなくても存在は出来るとは思うが……」
詳しいことは過ごしてみないと分からないな、としづくさんは顎に生えた無精ひげを撫でた。
決め事として、僕としづくさんは常に共に行動するわけではなく、僕が呼ぶ時以外は別行動をすることにした。
ということで、小西先生の一件から解放された翌日、僕はしづくさんと一緒ではなく、一人でいる。
諸々と考え事をしながら教室の自分の席に座ってぼんやりとしていたからか、背後から突然現れた人影にも気付かなかった。
「おはよっ」
「うわぁっ!?」
背中を叩いた方を振り向くと、もう片方の手で紙パックのコーヒーを持ち、音を立てて吸っていたのは原郁人だった。朝からチャラチャラとしたピアスやらネックレスやらで見た目から騒がしい奴だ。
「な、なんだ原か……。後ろから声かけるのは勘弁してくれよ……びっくりするだろ」
「八代って驚かせるくらいしないと気付かないからさ」
原が咥えたストローを噛み潰しながら反論する。
「どんだけ周りに無頓着なんだよ。これからはちゃんと前見とけよ?下ばかり見るんじゃなくてよ。……今じゃ立派な後ろ盾も出来たんだし。てっきり一緒に行動しているものかと思っていた」
「後ろ盾……? ってどういう」
「全くもって不本意で遺憾だが、何処に行ってもお前の周りの縁は変わらないんだな」
「何の話だ?」
「こっちの話。……あ、そうだ~。これ」
話題を断ち切るように原が僕の机に一列に置いたのは焼きそばパンと紙パックの牛乳だった。
「買いすぎたんだ。よかったら食ってくれよ」
「……ありがとう。でも僕食欲無いんだよ」
「はあ? お前もしかして朝も抜きとか?」
「昨日夜遅くて朝寝坊しちゃってさ……登校時間ギリギリだったから食べてない」
正直に話すと軽く頭をチョップされた。地味に痛い。
「ちゃんと朝も食わなきゃいけねえだろ、バカ! はい、ほら袋開ける! 何もたもたしてるんだよ、遅い! 食え早く、オレがパン突っ込むぞ」
「ま、待って待って自分で開けるから」
「食うとこ見ねーとオレ帰らないからな」
焦らせないでほしい……と思いながら僕はなんとかビニール袋を破いてもそもそと小さい口で咀嚼をした。
口にせっせとパンを運ぶ僕を見て腕組みをしながら満足そうにしている原は、教室の壁掛け時計をちらりと見ると、そろそろ朝のホームルームの時間だったことに気付いたらしい。
「じゃ、オレ戻るわ~」
そう言って原は手を振りながら教室から出ていった。
耳元にいくつか付いているイヤリングは後ろ姿でも眩しい。
――あれ。原ってこのクラスじゃなかったのか。
本当に僕は彼とどこで知り合ったんだっけ? 中等部か? と過去を思い出しつつ首を傾げたあたりで、朝のホームルームが始めたのだった。
ホームルームが終わってから、少し気になって授業が始まる前に職員室へ続く渡り廊下へと向かうと、内面世界へと続く鏡は跡形も無く消え去っていた。
廊下を過ぎる人々は誰もかれも気にも留めないように歩いている。
鏡なんて無かったかのような振る舞いをしている周りに最初は戸惑ったが、もしかしたら元から視えるものではなかったのなら当然の反応かもしれない、と僕は思い直して納得した。
一件落着、と鏡のあった場所から離れようと振り返ると、後ろにいたのは、ぎょろりと大きな一つの目玉を持った地獄の底から這い出たようなおぞましさを持つ黒い塊だった。
おっかない声を出してしまいそうになり、慌てて口を両手で抑える。
――落ち着け、こういうことは何度もあった。まず『奴』に僕が気付いていないふりをすればいい。
何事もなかったかのように目を逸らして早足で教室へと向かうが、その黒い塊はじっと僕を見つめて離さず、付いてくる。
「なんっで追ってくるんだよ!」
ついに口に出して、僕は祭りの太鼓のようにやかましい心臓の鼓動が鳴り出したのを合図に一も二も無く駆けだした。
それなのに全く相手もスピードを緩めずに追っかけてくる。
階段を何段飛ばしかで駆け下りて昇降口へと辿り着き、乱れた息を肩で整える。
原の言う通りだ。ちゃんと周りを見なきゃいけない。切り詰めるようないつもの自分の警戒心を緩め、油断していた結果がこれだ、と自分を罵ったが今は意味が無い。
切れる息に乱れる思考、体力の無さが相待って僕は意識を手放しそうになったが、ぐっと歯を食いしばる。
突然の僕の行動にあのよく分からない黒い塊も僕のことを見失ってしまったかもしれない。図体も大きかったし、やって来るのも遅いだろう。
――そんな願いも空しくそいつは猛スピードで僕を追いかけてきた。
「……なんで僕目当てなの!?」
かかとを潰す勢いで慌てて下駄箱から靴を引ったくり、外へと駆け出す。
校門を抜け、通学路を抜けて、道から外れて無茶苦茶な道へと走り出した。万が一何者かに干渉した時は道を覚えさせてはいけない。母さんからの教えだった。
至近距離にいることを肌に感じながら、足が擦り切れるほど必死に走っていると目の前に広がっていたのは橋だった。
手すりから身を乗り出してみると、下に浅瀬の川がある。
――仕方がない。あまり良い案ではないけれど、飛び降りて視界を眩ます作戦で行こう。
幸い少し奴との距離が空いている。
今から飛び降りたらきっと追いかけてくることだって諦めるかもしれない。
手すりに足を乗り出し、飛び込む用意をする。さん、にぃ、いち……。
「ダ、ダメーーーー!!」
突然、腰の方を掴まれる感覚に驚き、後ろを振り返ると、誰かが僕のことを細い手で掴んで離そうとしなかった。
「いやいやいや、一旦落ち着いて! 地に足を着いて! 話はそこからゆっくりしよう! このままじゃ落ちちゃうから! 池にドボンとか、なんの得もないよ!!」
「な、なに言ってんの、君!?」
タイミングが悪すぎる。奴の気配がすぐそこまで近付いているっていうのに、このままじゃ何の関係のないこの乱入者にまで危害が及ぶ。
力はあまり無いらしく、掴まれてもすぐにでも振りほどけそうだけれど、生憎自分には振り払うなんて心の余裕も無かった。
焦っている状況で思考も働かない。
「な、なぁ。離してくれないか。お願いだから、僕ちょっと下に……お、落し物をしてさ。拾いに行かないと……」
「じゃあ飛び降りないで橋降りて下に降りればいいじゃん! なんで飛び降りなきゃいけないの!?」
「ちょっ、ちょっと待って、おいっ、そんなに僕の腰にしがみつくな、お前まで身を乗り出したら一緒にこのまま落ち……え?」
僕の言葉が終わる前に、重心が耐えきれなかったのか、足が滑って僕等は仲良く一緒に川へと急降下した。
「え、えぇぇぇぇぇぇぇ!?!?」
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