束ねた結びと縁の果て[2]【語り手:八代雅雪】

 物語か何かだったら、こんな落ちていった僕達を救ってくれるような展開が待ち受けていたかもしれないが、そんなこと現実にはあり得ることもなく、僕らは派手に音を立てながら川へと落ちていった。

 なんの準備もせずに重力によって真っ逆さまに落ちるだなんてかなりの自殺行為だが、なんとか浅い川だったおかげで川の底に乱入者を横の向きで抱えながら足だけ濡れる程度の衝撃で落ちることが出来、九死に一生を得た。

 とりあえず最初にすべきことは、この乱入者の目を覚ますことだ。

「お、おいお前大丈夫か」

 僕の膝の上に頭を乗せてみると気を失ったのか、目を回したのか、頬をつついてもぺちぺちと叩いても反応がない。

 いや、そもそもこの子、中性的な顔と声の高さから男なのか女なのか一目見ただけでは判断が出来なかった。

 鈍く光る白髪に、色の白い肌……。こういうのアルビノって言うんだっけ?

 あ、でも琴吹学院の制服? 同じ学校だったのか。

 それにしてもつねった彼の頬が驚くほど伸びる。餅みたいだな。

 押しても引いてももちもちしてるぞ。

「は!? ここは!?」

 伸びていた彼の頬をそっと何事もなかったかのように元の位置に戻した瞬間、乱入者は膝の上から飛び起きた。

 左右色に違いがあるアンバランスな瞳が目の前で開かれ、小動物のようにわたわたと浅瀬の川の中を走り回った。

「もしや天国!? それとも地獄!?」

「残念ながら、人間界だし、ここは日本だ」

 冗談なのか本気なのか分からない彼の必死そうな顔に不覚にも吹き出しそうになってしまった。

「ご、ごめん!? 俺勝手に焦って一緒に落ちちゃって……」

 段々と自分がどうやって川に落ちたか思い出したらしく、焦ったように僕に謝って来た。

「大丈夫だって。君は? どこも怪我していない?」

「うん! ……それにしても君、なんで飛び込もうとしたの!?」

「だから、落としたものを探しに……」

「分かった! 縁起でもないようなことしようとしたんでしょ!!」

 悪い奴ではなさそうだけれど、人の話は聞かない奴らしい。

「ここで人生を終わらすなんて! しかも橋の上から落ちるだなんて考えられな……へっくち!」

「おっと」

 ずびり、と鼻をすすりながら身震いする彼を見て自分たちが未だ真冬の中、川に入っていたことに気付く。

 幸い、追ってきたあの黒い塊ももう気配がない。もうここを離れても大丈夫だろう。

 二月の寒い中、浅瀬の川とはいえ、長時間ここにいれば僕等二人で風邪を引いてしまう。

 ざぶざぶ音を立てながら岸に向かって僕達は歩いていった。

「君、なんて名前? ええと僕は、八代雅雪」

「凪沢茜だよ! 君の事も知ってるよ。一応、君と同じクラスだったから」

「えっ。ごめん。気付かなかった」

「あはは、仕方ないよ。俺、あんまり教室行ってないし」

「……そうなのか」

「保健室登校は時々してるんだけどね」

 こういう場合、どうやって言葉を返せばいいのだろう。

 僕は悩みながら、結局その話題には触れずに他の疑問を口にした。

「どうして僕を追っかけてきたの?」

「保健室の窓から一目散に駆けだす君が見えて気になっちゃって。こっそり追いかけてみたら、橋の上から飛び降りようとしてるんだもん。そりゃ誰だって止めたくなるよ」

「それは……勘違いさせてすまなかった」

「八代くんっていつもなにかから怯えているような感じなの? やっぱり誰かに狙われている?」

 彼の言葉に内心、驚く。

 視えなくていいものの存在に対しての気持ちは隠しているつもりだったのに、「なにかから怯えている」だなんて面と向かって言われたのは初めてだ。

「よく周りを見ているな、凪沢は」

「茜でいいよ! マサ!」

 同年代の子に下の名前を呼び捨てで呼ばれたのが初めてで僕はこそばゆい気持ちでいっぱいになった。


「茜く~ん!! 突然走ってどうしたの~」


 遠くから息を荒げて走ってきたのは、なんと音無子弥生先生だった。

「やよさ~ん! こっちこっち!」

「突然走り出して驚いたわよ! ……えっどうして八代くんまでいるの!? というか二人共どうして川に!?」

 早く保健室来なさい! と僕と茜はそのまま音無子先生に連れられて琴吹学院に戻ることにしたのだ。



 保健室に置かれてあった予備のジャージに着替えた僕等を、音無子先生は呆れたように腕を組んで眺めた。

「……今回は何も言わないけれど、次、無茶したら怒るからね」

「は~い! ごめんって。やよさん~」

 考えてみたらこういう時にしづくさんを呼べば良かったんじゃないかと僕は反省した。

 しづくさんを呼んでいたら茜を巻き込むことも無かったな、と目の前で紺色のジャージに着替えた茜を見ながら思ったが、彼は今ではさっき川に落ちたとは思えないような笑顔で音無子先生が用意したクッキーを口に入れていた。

「バターもココアもおいひい~! サクサクしてて食感も最高だね! これどこで買ったクッキーなの?」

「茜くんはちゃんと反省しなさい……。そのクッキー? 実は私が作ったものなのよ」

「ええ!? すっごーい!! やよさん、お菓子作り上手~!」

 もっひもひと口に頬張る茜はなんだかリスのようだ。

 どうにも彼がさっきから小動物みたいに見えてしまう。

 音無子先生は諦めたように微笑んで「まぁ、お茶の準備している私も人のこと言えないか」と紅茶を嗜み始めた。

 一応同じ場に座ったものの、茜と弥生さんがいる空間にだけお花が舞っているようで、正直場違いな気分を覚えた。なんなんだこの空間。女子会にお邪魔した一般男性の気分だ。茜は男子のはずなのだが。

 僕はといえば目の前に差し出された紅茶をゆっくり舌の上で冷ましながら飲んでいた。

 最近分かったことなのだが僕はかなりの猫舌らしい。少しでも油断すると舌を火傷してしまうし、上顎の皮が剥けてしまう。あれは地味に痛い。


 ――そして左隣の僕以上に猫舌な男性も同じように紅茶を冷ましている。

「……どうしてここにいるんですか、小西先生」

「ふー……ふー……待って……飲めないから……。あと出来たらそこの角砂糖入っている袋持って来てもらえる? 甘くないと飲めなくて」

 角砂糖の袋を渡すと、彼はクレーンゲームのアームのように袋の中に手を入れて、十個以上の角砂糖を掴み、紅茶の中に入れた。果たして溶け切るのだろうか。

「最近何故か毎日音無子先生がカウンセリングしてくれることになったんだよ……。大体お茶してお話して帰るだけなんだけど……」

 と、銀製のスプーンでカチャカチャと音を鳴らしながら小西先生は言った。

 確か、小西先生は内面世界のことをすっかり忘れているはずだ。心残りが無くなれば記憶から抹消されるものだと仁志先生は言っていたよな。

 内面世界から出た後の小西先生は以前よりも何か抜けて隙があるような印象がある。

「凪沢くんはともかく、君が来るなんて思わなかった。そういえばこの前のテストどうだった八代くん? 留年する?」

 僕は逃げるように視線を逸らす。頭の良い方では無いのだ。赤点でなければ大丈夫という謎ルールが僕の中ではある。……僕の中では。

「出来たら進学したいですね……」

「まぁ、青春を何度も繰り返すのもまた青春だから、大丈夫だよ」

「なんで不安になるような言い方をするんですか」

「先人は語るってね」

 砂糖を飲んでいるのか紅茶を飲んでいるのか分からない液体らしからぬザラザラとした音を立てて飲み込む彼を、若干引き気味に見つめるしか僕は出来なかった。

 もう、それ飲み物の次元を超えている気がする。

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