宛(さなが)ら僕等は鏡のように[2]【語り手:音無子しづく】

 この世を何度恨んだのか分からない。妬んだ日ばかりが続いたことだってある。

 俺はずっと『鬼』に全て行動を決めつけられていた。

 自分の意思ではないのに、人間を殺して魂を引きずり出して飲み込んでの繰り返しを続けていた。

 鬼火が生きるために、俺が生きざるを得ない状況になっていたのに気付いたのはもう、自分の意思も感情もどこかに置いて完全に獣になってしまった時だった。

 辛うじて生き残った『俺』の意識を必死に搔き集めて、抱きかかえるしか出来ずにいたあの頃。

 ただただ早くこの生きながらの地獄を終えたかった。

 簡単に言えば死にたかった。

 何度か、忌々しい鬼火だけでも吐いて体内から消し去ることが出来ないか、と試みてはみたけれど、胃液が出てくるだけでダメだった。

 理不尽な世界を憎んだ。それ以上に自分を嫌った。

 終わらせてほしかった。

 殺して、欲しかった。

 なのに、こんな獣の姿でずっと、俺は、生きていて。

 生きて、しまっていて。

 誰にも、求められていないのに。

 誰からも、愛されないのに。

 ずっと、ずっと、ずっと……。


 ――けれど、どれだけ苦しかった日々よりも先に脳裏に浮かんだのは……。



「……ごめん。或斗」

 俺はゆっくりと或斗の雪のように白い手の平を避けてから左手で支えながら彼との距離を詰めるように上半身だけを起き上がらせた。

「その結末を俺は望まない。守らなきゃいけない人達が向こう側で待っているから」

「……あはは~」

 否定の意を示す俺の姿を見て、或斗は力無く笑った。


「みんな、僕の側からいなくなっちゃうね」



 或斗の瞼に滲んだ大粒の涙はやがて雨のように頬を伝い、とめどなくこぼれていくのを見て、俺は指で頬を拭ってやった。それでも或斗の口角は上がったままだった。

「嘲笑ってよ、しづく。結局自分の人生でさえ、僕は悪役だったんだね」

 俺は離れようとする彼の心を引き留めたくて彼との距離を詰めるように或斗自身の心も何もかも支えてやりたい一心で、彼の背中に両手を回した。

 或斗がこちらの背に手を回すことは無かった。それでも、構わなかった。為されるがままに寄り添う、彼のまだ辛うじて感じる温かさに安心していると、或斗は弱々しく肩を震わせた。


「……寂しかった」


 心を切り崩して、形を整えた彼の本音は、とても繊細で割れやすいガラスのようだった。

「ずうっと、君との終わりを探していた。終わりだけでも報われる終着点を願っていた」

 ゆっくりと話し出す彼の声に、俺は一つも言葉を聞き逃さないように耳を傾ける。

 俺は或斗と話す度に彼の心に直接触れているような感覚に陥った。

 触れたらすぐ欠けてしまうような薄いガラスは、怯えるように震えている。

「僕にとってはしづくに会えなくなることが一番の不幸だったよ。大好きな君がいない事実に心臓が握りつぶされた気分だった」

 謝ろうと言いかけていた口を咄嗟に噤む。

 何度謝ったところで、この世界が創り出された事実は変わらない。

 或斗が未練を残した現実は何も変わらないのだ。

「いっそのこと生まれたところからやり直したい。誰かに会って少しでも幸せを受け取る前に戻りたい。何もかも無かったことにしたい」


 或斗の言葉に俺は痛いほど共感した。俺だって、そうだ。出来る事なら過去を変えたい。鬼に食われる前に。死んでも死にきれない身体になる前に。

 沢山の人に迷惑をかけるような存在になる前に、生まれる前に死んでおけば良かったのかもしれない。

 ――それでも。


 息を大きく吸って吐いてから赤子のように頼りない或斗を俺は強く抱きしめた。怯えるように未だ下を向いて身を固く縮こませた彼のさらりとした髪の毛が頬を掠める。

 彼の固く閉ざされた心を溶かすように不器用でも不格好でも伝えたくて、俺ははっきりと噛み締めるように言葉をぶつけた。

「間違えて生まれてしまった俺達は、終着点を簡単に見つけ出せないのは、当たり前だ」

 ゆっくりと、彼の閉ざした心の中に沁みこませるように俺は言葉を選ぶ。

「結末を追い求めすぎて死に急がないでくれ。俺が、馬鹿だった。自分のことばかり考えて。一番大切な友人の気持ちも聞かずに、良かれと思って逃げ出して」

「そうだよ、しづくは馬鹿だよ、大嫌いだよ、ずっと……」

「ああ、嫌っていい。殺したっていい。初めて出来た友人に殺されるなんて本望だから。……それでも、或斗。俺を殺しても、過去を書き換えることは出来ない」

 彼の心のわだかまりに触れたいのにどうしたらいいか分からなくて、もどかしい気持ちを抱えながら、それでも俺は逃げずに言葉を紡ぐ。

「だけどな、或斗。未来はまだ『無』の状態だ。加筆することが出来るかもしれない。生まれる時も死ぬ時も一人かもしれないけれど、人が終着点を探すために生きていく時の道のりだけは、一人劇なんかじゃないんだ」

 一呼吸置いて、俺は支える手に力を込めて、しっかりと届けるように声を出した。



「お前の望む俺にはなれない。俺たちの結末に正解なんてないから。それでも、今お前の目の前にいる『俺』は或斗と、この先の『続き』を書くことが出来る。内面世界が俺とお前の青春劇だったのなら、一緒にこの世界の幕を閉めよう。……そしてカーテンコールのその先へ、一緒に来てくれないか。或斗」



 その直後、しゃくりあげながら泣き出した或斗を囲んでいた内面世界が耳をつんざくような音を立てて、崩壊し始めた。

 黒ずんだ世界は次第に白い光に包まれるように形を成し始めている。

 ガラガラと内側に出来上がった或斗の劇場世界が崩れ落ちる音は悲鳴のようにも聞こえたし、泣き声にも聞こえたけれど、温かく心地の良いもののように感じた。

 彼は澄んだ夜空のような瞳を潤ませ、咽び泣きながらなりふり構わず抱きついてきた。

 生きていることを直に感じた彼の姿に、目頭が不覚にも熱くなってしまったのを必死に堪えて俺は満ち足りた心を隠さずに涙を流しながら、戻ってきた友人の温かさに包まれた。


「おかえり。或斗」

「……ただいま」


 闇に飲まれた世界に一筋の朝陽が優しく差し込む。

 それはまるで、最後のページのその向こうを描いているかのようだった。

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