宛(さなが)ら僕等は鏡のように[1]【語り手:音無子しづく】
八代雅雪と別れた後、音無子しづくは鏡の奥へ進んでいた。
どろりとした感情が波のように押し寄ってくる。
埃っぽいのか、はたまた蜃気楼に覆われているのか、煙たい空間の中、左右に真っ直ぐに灯されたロウソクを辿って行くと、最奥部にして中心部を見つけたので、俺は恐る恐る入ってみることにした。
豪勢な広い劇場ホールのような半円状の広い空間だ。
見上げると壁を埋めつくすほどの鏡が備え付けられており、そのどれもが俺と或斗が映し出されている映像が流れていて、最後に或斗が俺の事を殺して映像が途切れ、また新たに映像が始まるといった結末ばかりだった。
奥に真っ赤なカーペットが敷かれている階段まで灯されたロウソクを辿って視線を進めると、長い階段の上に豪華な玉座に座っている人影を見つけた。玉座の両脇には色とりどりの菓子が積み上げられている。
人影は遠くて分かりにくいのだが、ぼうっと映像の流れている鏡を見つめている彼こそ、或斗だろう。
慌てて上る為に前に一歩踏み出した瞬間、柔らかな何かを踏みつけた違和感があったので、不思議に思い下を確認してみると、俺が踏んだのは寝そべっている人間だった。
よくよく見ると紺色がかった黒髪の学ランを着た人間は、階段を避けるようにこれまた山のように積み上げられている。
いや、これは――寝ている人間ではない。大量の或斗の死体だ。
どうやら様子を窺うと、現在進行形で彼の意識は今尚鏡の中で動いている。そして映像の俺が殺される度に――きっと、或斗の納得しない結末を迎える度に――俺の死体ではなく、或斗の死体がこの内面世界に積みあがるシステムらしい。
このままだと内面世界の中で『自分で自分を殺している』ことに気付かずに彼は息絶えてしまうかもしれない。
一度、必死に息を整えてから、俺は或斗の死体を踏まぬように、彼の元へと近付いた。
近付く度に真正面から痛くて苦しい彼が抱え込んでいたであろう沢山の思いや苦しみや悲しみが、雪崩のように押し寄せてくる。
「……こんなの、自分を追い詰めているだけじゃねえか」
込み上げるような苦々しい気持ちを押し殺しながら、俺は薄眼を開けて或斗の元へと近付いた。
或斗はこんな空間を一人で創り出すほど追い詰められていたのだろうか。
内面世界というよりも、オリジナルの地獄のようだ。
気味の悪いほど綺麗に敷かれたカーペットを踏みしめながら鏡に囲まれた階段を上るごとに『鏡地獄』という話を思い出した。
確かその話は部屋全体が凹面鏡、凸面鏡、波形鏡、筒型鏡の洪水だとかがある中央で『彼』は狂ったように踊っていたのだ。
本当に鏡張りの世界に行ったら狂うのかもしれない。今身をもって証明している。
俺も少しでも気を抜けば、狂ってしまいそうだ。
或斗がいる場所まで近付くに連れて段々彼が過ごした過去、俺が知らなかった苦しみが流れ込むように伝わって来た。
どうやら、或斗が動かしている映像、俺に会うまでのシナリオは事実らしい。
そして何度繰り返しても、俺が彼の前から何も言わずに離れた結末ばかりを迎える映像ばかりが流れる。
最上階に立ち、奥にある玉座の前に辿り着いても、座ったままの彼はぼんやりとした表情だ。俺が来たことすら気付いていない。
小さな劇場の中で何度も演じ続けて世界を創り出す彼の姿にいたたまれなくなった俺は声を掛けた。
「もう十分だよ、或斗。幕を引いて、『俺』と話そう」
こちらが頃合いを計って幕引きの声掛けをすると、空洞のように何も映していない瞳を向けた彼はやっと虚ろな表情で俺を認識した。
「……しづく。『台詞』が違うよ、僕の脚本に、そんな台詞は無いよ。それとも、君も僕の求めるしづくではないの?」
或斗と目をしっかりと合わせたのは、かれこれ何年振りなのだろうか。久々に聞いた彼の声に懐かしさが募り、潤みそうになった瞳を堪え、必死に落ち着いた声を出した。
「お前の求める『しづく』が何なのかは知らないが、俺は、誰でもないお前と過ごしたただ一人の音無子しづくだよ」
「僕に口答えするしづくは嫌い!」
影のように揺らめきながら立ち上がり、こちらに近付いた或斗に不意を突かれた隙に映像と同じようにポケットから刃物を取り出して俺の首筋に振りかざす。
刃のあたるすれすれのところで避けたが髪の毛の結び目に当たったらしく、首から下の髪の毛がばっさりと切り落とされてしまったことに目が行ったのが悪かった。
そのまま或斗は羽交い締めにするように俺を押し倒すような体勢でまた首元に切りかかろうとしたので、俺は間一髪のすれすれの状態で上にのしかかる彼の振り下ろそうとした刃を右の手の平で覆うように握った。
握って分かったが、どうやらかなり先端が鋭い。――包丁でもナイフでもない。アイスピックだ、これ。
「はは……。いいか或斗。これはな。氷を削る為のもので、決して人に向けて振りかざすものでは……」
「……ふふ」
刃の鋭く尖った先端部分が俺の手の平に刺さったらしく、血が滴り堪えようのない痛みが伴ったが、そんなことよりも、目の前の彼の表情に目がいく。
或斗は、笑っていた。
俺は好奇に溢れる或斗の瞳を離さなかった。暗闇に押し潰されそうな空気の中、場違いにも楽しそうに歪にも彼は口角を緩める。
「良い夜だね。絶好の終幕日和だ」
本気で俺を殺そうとしているのだろうか。彼が作った俺はまだしも、本物の俺が殺されたら洒落にならない。
せいぜい今の俺には余裕のある表情を張り付けることしか出来ないな。
とりあえず目の前に打ち首のごとく転がった毛束を見て最初に出てきた言葉を口にした。
「えーと……散髪代、浮いたわ。サンキュ」
「ふざけているの?」
「痛い痛い、いや待って手に力入れないで、ごめんって」
完璧に間違えた。これ以上力を入れられたらそろそろ手の平がえぐれてしまう。
「さっさと死んでくれない? 僕、次の舞台を開かなければいけないのに」
徐々に腕を上にあげて脳天にアイスピックを突き刺そうとするのを俺はなんとか動かないように刃を握り締める。手の平が貫通しないことを願いながら。
どちらも無言が続いた沈黙の先に、或斗は突然何もかも諦めたように刃物から手を離し、両腕を力なくだらんと下ろした。
刃部分を握りしめたままの俺はそのままアイスピックを彼の手元より遠い場所へと払いのけるように床に滑らせたが、或斗は一瞥しただけで何も言わない。もう、こちらに刃先を向けようとは思っていないらしい。
「えへへー。馬鹿みたいだよね。思い返せば全て独りよがりの夢物語だったんだ」
仰向けの俺を見下すように目線はこちらに向いているはずなのに、或斗は全てを投げ出すように諦めきった口調で語りだした。
「分かってたよ? 分かってたんだぁ。自分で自分を騙していること」
枯れてしおれてしまった花のように、首を垂れた彼の瞳は揺らぎ始める。
「僕が、結末の無い君との物語を、むやみやたらに大きくした結果が、この空間であり、僕の人生の終幕だったんだよ」
念を寄せ集めて創っただけのガラスの世界は、脆すぎていつかボロが出る。
彼が傍白する度、認める度、ジグソーパズルをひっくり返したかのように或斗の姿が映っていた鏡は次々と粉々に砕け散っていった。
まだ割れきっていない鏡も無理に熟れたかさぶたを爪で剥がすようにぴしり、ぴしりとヒビが入り始める。
「いつも僕は結末を求めていた。君が消えたあの日から。プロットも本編も作者も推敲も僕が行った『小西或斗の人世譚』を創っていた」
彼は突然何か思いついたかのように嬉しそうに歪んだ口元を見せる。
「そうだ! 僕は僕の中で物語を完結させたかったけれど、もうその必要は無いね! 気が変わった。しづくがここに来てくれたんだもの。この世界で終わりを迎えようよ、しづく。誰もいない僕達だけの空間で永遠に過ごすことがきっと幸せな結末だったんだよ。だから僕は脚本を書き直していたんだね。理不尽なこの世をここで二人一緒に一生呪う為に」
「そんなこと……」
「しづくだってこんな世の中が嫌いでしょう?存在を肯定されずに、他人に振り回され続けて、世の中に抑圧されて苦しんで。今まで辛かった分をほんの少しだけ一緒にお返しするだけなんだよ」
逃がさぬように両手で俺の頬を慈しむように撫でる。
視線を逸らそうとした自分を見つめ続ける彼の誘いにひっそりと気持ちが揺らぐ。
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