拝啓、お社の君[5]【語り手:八代久子】
天井を見上げると、そこにはミルクティーを染み込ませたような色のふわふわとした髪の毛を持った瞳の大きなセーラー服の少女がいた。
「なんじゃ、その『しのー』としてるというのは」
腰が抜けて座り込んだ私とは打って変わってみくじさんは、怯むことなく飴を舐めながら上空に向かって質問を続ける。
「そのまんまの意味だよ! ボク大変なんだから! 久子っておクスリとか、お縄とか、えーとねぇ、あといろいろ、たーくさん持ってるの!」
こーんなに! と腰までつきそうなほどうねった髪の毛を振り回し、両手をいっぱいに広げ、表している。
「ちょ、ちょっと! 待って貴方誰!?」
私は抜けた腰を労わりながら必死に正して精一杯、腹の底から声を出す。
ついさっき母親から人に指をさすなと言われたばかりなのに、勢いよく震える指でセーラー服の彼女の方へ向けると、彼女は邪気の全く感じない向日葵みたいな笑顔を私に向けた。
「ボク、千歳っ! 久子の守護霊やってまーす!」
そう言った彼女が手に持っていたのはもう飽きるほど見たオレンジ味の棒キャンディだった。
「……貴方、だったの? 今までずっと邪魔して来たの」
「邪魔? だって、危なかったら、守りなさいって、言われてボクはここに来たんだよ?」
なんとか床で動けなくなっていた自分はよろよろと立ち上がって、千歳と言った彼女の周りだけ重力が存在しないかのように目の前で浮かんでいる少女が信じられなくてじっくりと見た。
――頭が痛くなってきた。
だ、だって……幽霊ってもっとこう、井戸から出てきたりとかトイレに出てきたりとか不気味で気味の悪い雰囲気を持ってやって来るはずなのに……。
こいつ……この千歳とかいう少女は……。
「めっちゃかわいいやんけ」
「本音だだ漏れじゃないか、ヒサコ」
みくじさんにツッコまれてしまったが、そのくらい混乱するのも仕方がないと思う。
だ、だって可愛すぎるんだもん。なんなのこの子。
愛くるしい容姿に笑顔に極め付けはボクっ娘って……。
「いや、待ってみくじさん、なんで驚かないんですか?」
「なにがじゃ?」
「その、ちとせ……って子、突然現れたんですよ?」
「元々そこにいたが? というか、お主が音無子神社に来た時からおったぞ? ただ、飴を投げた犯人か否かというのは分からんかったから、黙っておったが」
もっと言えば、わしがいなかった時からずーっといたんじゃないか? というみくじさんの言葉に、私の肌から何からさあっと血の気が引いていった。
つまり、こいつは……。
「や、やっぱり、ゆ、ゆーれい……」
「ゆーれいじゃないってば! しゅ、ご、れー!」
私の絶望的な声に千歳ちゃんは必死に飴を振り回しながら反論した。悔しいが可愛い。
「なんでそう頭を抱えるんじゃ、お主は。守護してるんじゃよ? 久子のことを守っておる奴って事なのではないのか?」
全く悪い奴ではないぞ、と言うみくじさんの言葉に千歳という自称守護霊はうんうんと力強く何度も頷いた。
「じゃ、じゃあ……なんで私は今千歳ちゃんが視えているんですかね……?」
「さっきのチトセの言葉を聞く限り、ヒサコが死に近付いた経験が一度でもあるからではないかって考えられるな。そういう経験あるか?」
「多分……あります」
年が明けてすぐの絵画コンクールの締め切り前の、流血沙汰を思い出す。
私の人生の中で一番と言っていいほど、死に近付いた記憶である。
「怪異とか霊っていうのは元々そこに『ある』し『いる』。お主が偶然、ラジオの周波数が合ったように、チトセが視えるようになった、というのが理由じゃな」
まぁ、今ワケあってこの町全体の怪異と人間の境界線が曖昧になっておるのが一番の理由じゃが……わしの所為だけど……と、ボソリとみくじさんは呟いた。
「とりあえず、チトセや。さっきの話……ヒサコが何故自殺をしようとしているのかをもう少し詳しく教えてくれないか?」
「うん! あのね〜」
「だっ、だめ」
急いで喋らないように守護霊の口の前に手を伸ばしたところで触れられず、透けてしまい、腕は彼女の顔を通過してしまう形になってしまった。
「ひいっ」
おろおろしながら恐る恐る腕を引いてから自分の冷や汗を拭う。
何度瞬きをしても目の前には困ったように頰をかくセーラー服の少女が存在しているのに、私は触れることが出来ない。
本当に、霊なのか。守護しているのかどうかは、分からないけれど。この世のものではきっと、無いのだ。
「こら、ヒサコ。チトセの話が聞けんじゃろう?」
「……嫌です」
「他人の口から言われるのが嫌なのか?だったら、お主が話せ。お主自身の事を。全て、余す事なくな」
逸らすことなくみくじさんは真っ直ぐな大きな瞳で私に要求してきたが、ぐっと堪えて私は口を開いた。
「私が貴方に話したところで何か意味があるんですか。そもそも、何を話したら……」
「怪奇現象を無くしたいんじゃろ、ヒサコは。チトセの言い分が『久子が死のうとしているから』なんじゃから。止めるにはお主が死のうとしている根っこの部分を知らんといけんじゃろ」
薄暗い室内に少しの間沈黙が落ちると、みくじさんは私との睨み合いに飽きたのか
「久々に動いて声出しすぎて喉渇いたわ。さっき飲みきれんかったお茶飲もうかな」
と、言ってみくじさんは私の部屋からリビングの机の方まで戻ってしまった。
気づけば隣に浮いていた守護霊に目を向けると、彼女は勇気づける為なのかこちらに身を乗り出してえくぼを見せた。
「千歳……ちゃんは本当に私の守護霊なの」
「そうだよぉ。あと、呼び捨てでいいよぉ。ボクも久子のこと呼び捨てだし」
間延びした声で緊張感の欠片も無く、千歳は私の周りをくるくると回った。
「……千歳は私のこと色々知ってるの?」
「うん。久子が生まれてから今までずっと見守ってたからね」
何度も頷く彼女の瞳に嘘はなかった。
「だったら、千歳は知ってるってことでしょ? 私がその……死のうとしている理由が」
「そうだねぇ」
遠くを見つめながら思いだすように彼女は呟いた。
「ボクはね。久子の死を止めようとして現れたんじゃない。久子が、助けを呼んだから現れたんだよ」
いつの間に取り出したのか、千歳は棒キャンディーを舐めながら話し出した。
「生きるとか死ぬとか、そこがボクにとって重要じゃないんだ。ボクが大事にしているのは、久子の気持ちだけ。ボクが分かるのは死のうとしている選択を久子は『納得していない』ってこと」
「私の気持ち……?」
「ぐちゃぐちゃになった久子の気持ちをちょっとずつ吐き出して、お片付けしていったら、久子が見つけたい本当の気持ちが分かるんじゃないかな。今はちょっとだけ糸がもつれちゃってるけど」
指でくるくると宙で回す彼女の視線の先を見つめる。
本当は自分もどこかで全部知っているはずなんだ。でも、何がどうなって、こんなことになったのか、今の私にはさっぱり分からない。
「死んだら寂しいって気持ちは人生を歩んでいない本人以外のエゴかもしれんからな~」
話を聞いていたのか、みくじさんは茶飲みを持って来てこちらにやって来た。
「でも、わしはそういうの全部無しにして、お主がどんな人間なのか、単純に知りたいのう。そりゃあ、ショウコの娘ってこともあるがな」
私は、ゆっくりとみくじさん、そして千歳を交互に見て、緊張した自分を落ち着けるよう、ゆっくりと深呼吸した。
「……分かりました。自分について話すのが、苦手なのでゆっくりになると思いますが……聞いてください。これは、少し昔の話です――」
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