第25話 告白と悩みと告白

 お化け屋敷から帰ってきた後。夜はある程度深まって、もう21時を過ぎている。


 私たちはいま暇を持て余している。夕食だって、お風呂だって早めに済ませたからだ。

 研修のしおりに本日の感想を書くということが残っているけど、そんなの一瞬で終わるだろうから問題はない。


 だけど、愛結はまだ後片付けで戻ってきていないから運営側は大変何だなと思う。

 部屋にいるのは私と胡春の二人だけで、二人でベッドの上に座っていた。


「亜希…その…幻滅した?」


 沈黙を破ったのは、胡春だった。さっきまで暗い外にいたからか、明かりをつけた部屋は眩しすぎるくらいだ。


「うんん。全然」


 胡春が言っているのは、さっきのことだろう。

 私からしてみると、怖がりな胡春も可愛かったし、そういう一面を見られたのは役得だった。

 だから幻滅なんてするはずがない。どんな胡春でも好きだし、いろいろな面を知りたいとすら思う。


「私だって自分が怖がりだなんて知らなかったのだもの…。恥ずかしい…」


 チラリと横目で見ると、赤らめた顔を両手で覆う胡春。私としてはそこまで恥ずかしがることじゃないだろうと思うけど、胡春からしたら一大事なのかもしれない。


「なんでよ!そういう胡春も、すっ…」


 好き!と言いかけて止める。

 今となってはそう軽々しく言える言葉じゃない。

 幼馴染としての好きも恋愛感情も、まだよくわからないけど、それだけは確かだ。

 いつも言っていた好きが当たり前じゃなくて、もっと特別のような気がする。

 幼馴染としてじゃなく、蒼井亜希として、なんかこう…強く意識させたいと思うのだ。


「そういう胡春も、私の知らない一面って感じでいいよ!」

「…なにそれっ」


 力を抜いてふっと笑う胡春に安堵する。

 私と違って、もともと悩みとかそういうのを表に出さない性格だとは思っていたけど、ここまでとは…。


「胡春って切り替えが早いよね…」

「そう…?」

「うん。嫌なことがあっても表情が変わるのを見たことがないというか、メンタルが強いのかなって思うんだけど…」


 どちらかと言えば思ったことは何でも口に出してしまう私は、少しだけ踏み込んだことを聞いてしまう。それは胡春だから、聞けるのかもしれない。


「そうかしら…。私はなんというか…亜希が笑顔でいてくれれば他はどうでもいいというか…」

「えっ…」

「亜希は表情が豊かだから、一緒にいると楽しいのよ」

「そう…なんだ。私も胡春といると楽しいよ。優しくて、頼りになって、私だけの大切な胡春だよ」


 具体的、ではないかもしれない。

 なんとなく、胡春と一緒だと楽しい。心が落ち着く。なんて単純ではない。

 好きだと直接言うのは恥ずかしいけど、いいところならいくらでも挙げられる。


 片時も離れたくないと思うほどに、好きだ。

 こんなに重すぎる気持ちはどう思われるのだろう。


「そう…。ありがと…」


 羞恥で目が潤んだ胡春に、コクンと私は頷く。

 こういう流れでお互いだんまりとした時どうすればいいのかは、胡春と付き合いが長い私でもよくわからない。

 心做しか最近こういう時間が増えたのは気のせいだろうか。


「あのさ…亜希…」


 唇を震わせながら、胡春はそう言葉を一つずつ紡いだ。

 いつもに増して顔は真っ赤で体調でも悪いのだろうか。


「どうしたの?」


 胡春のいつもと違う様子は察することはできても、何をされるのかはわからない。

 幼馴染という関係でお互いのことをよく知っているのは、ただいる時間が長くて情報が多いからだ。だから相手のことならなんでも分かる、というのも状況次第だ。


「亜希…その…わっ、私は…亜希が、すっ…」


 ベッドに私の隣に座っている胡春の頬はやはり赤い。まるでどこぞの果物のようで、部屋の明かりに照らされて一層際立っている。

 こんなときですら私は胡春を見てしまって罪悪感を覚えるけど、目の焦点は決して離れようとしない。


 いつも通りさらりとした青紫色の髪はまっすぐに伸びていて、スラッとしていて整った体躯は綺麗で美しい。

 まるで一種の精霊のような見た目は私をドキドキさせる。


「亜希が…す」


 また胡春の言葉が詰まる。「すっ」という言葉で空気が抜けていくようだ。

 さらっと言える言葉ではないのは分かりきってきた。いつになく恥ずかしそうで、戸惑っていて、今風に言えばテンパっている。


「ごめん。なんでもないわ」

「うん…」


 少しだけ残念。

 絶対に「なんでもない」なんてことはないし、私だってそうだ。


 何を言われるのか大体予想はできたし、その言葉は私がずっと欲しかったもの。

 いつもは私ばかりが何かを求めて、胡春には迷惑をかけていた。

 だから私は胡春の一番になりたかった。

 一番ならば幼馴染でも恋人でもある程度は満足だ。


 でも少しだけ期待が生まれている。


 ひょっとしたら…。と考えるとキリがない。


 告白だなんて考えたことはない。ただこのままの関係で十分ではなかったけど、胡春を失うリスクを含めたら思いとどまってしまう。


 でも、やっぱり、恋人という関係は憧れる。

 好きになった人となら、何をしても楽しい。私の気持ちも正直に伝えられて、もっとかけがえのない存在になりそうだ。

 いまは私の気持ちを胡春に隠してばかりだ。だからなんでもさらけ出せる、そんな関係になりたい。


「ちょっと頭を冷やしてくるね…」

「あっ、うん…」


 頭で思考を繰り返してぼーっとしてくる。

 私は逃げるように、部屋を出た。


 *


「危なかったわぁ…」


 私、紫胡春は幼馴染がいなくなった部屋で悶々としていた。

 原因はもちろんさっきのこと。

 大切な幼馴染に思わず告白しそうになったことだ。


 告白なんてするつもりは一切なかった。

 私の身勝手な感情で幼馴染という関係を壊すのはいけないと心に決めていたのだ。

 だけど「大切な」とか「一番」とか言われると、ひょっとしたら…と考えてしまう。


 あの時は今までにないほど、気持ちが高ぶって居ても立っても居られなくなった。


 お化け屋敷で私を気遣ってくれたときから、今までにないくらいに亜希のことが好きだ。

 いつも笑顔で、可愛らしくて、頼りがいがある、そんな幼馴染との関係を全く別のものに変えようとするのはどうなのだろうか。


 亜希はまっすぐに思ったことを伝えてくれるから、さっきの言葉に裏の意味なんてないことはわかっている。


 恋愛に関して疎い亜希は気づいていないだろうか。

 それだけを祈って、洗面台で温まった顔を冷やした。


 *


 よく考えてみたらもう夜のなのだ。安易に外に出て顔を冷やせる時間ではない。


 ホテルの外には誰もいなくて、街灯の明かりだけしかない。その中を一人でとぼとぼと歩いていた。

 部屋から出歩いているのがバレたら先生に怒られてしまうかもしれない。

 でもそんなことはどうでもいい。さっきから息苦しくて、胸が跳ね上がって止まらない。


 それはきっと胡春がおかしなことを言うからだ。あんなに顔を赤くして、告白みたいなことをして。


 期待をしてしまった。


 胡春が私のこと恋愛的な意味で好きだなんて、ありえない話だとなんども否定する。幼馴染のままでいいと思っていたのだから。


 今までのキスは単なる流れでしたもので、深い意味はない。


 そのはずなのに。


「私が、胡春に告白しちゃおうかな…」


 唐突に浮かんできたその言葉。


「いやいや」


 ずっと固定だった幼馴染という関係を自ら変えようとするのは抵抗がある。

 もし私が告白をして、はっきりと断られてしまったら、冗談抜きで今後生きていける気がしない。


 幼馴染に恋愛感情を抱くなんて、きっと違う。

 日常として自分の一部になったものを意識することは普通はない。


 でも、もし胡春と結ばれることがあったらそれは何よりも幸せだ。

 だからそうなりたいと望んでしまう。


「ダメだな…私。完全に恋してる…」


 他の人が聞いたら完全に痛い発言も、今なら自然と出てくる。


「はぁ…」


 こんなにも甘いため息を零したのは初めてだ。

 私の頭の中では胡春、たった一つのことしか考えられない。

 もともと付き合うことなんて強く考えていなかったのに、思考がそっちにシフトしていく。


「あっ、亜希ちゃん!どうしたの?」


 完全に歩きながら前を意識していなかった私は、声の主に驚く。


「愛結!ここでなにしてるの?」

「いま片付けが終わったから部屋に戻ろうと思って」


 できるだけ平静を装うと、本当にそうであるように感じてくる。


「そっか。おつかれ!」

「亜希ちゃんはどうしてここにいるの?まっ、まさか!私を迎えに…」

「違うから…。ちょっと頭を冷やしたかっただけ」


 本当のことを話すのは憚られた。余計な気を使わせるのは申し訳ないのだ。


「そっか。亜希ちゃん、胡春ちゃんとケンカとかしちゃった?」


 全てを見透かしたような愛結の発言に声を出して驚いてしまう。


「えっ。ケンカとかではないけど…」


 ケンカではない。だけど何かと聞かれたらわからない。

 ただ気まずいだけ。

 それはどちらが勇気を持てば、気まずさもなくなるのだろうけど、そんなものは私にはない。


「ねぇ、亜希ちゃん!ちょっとだけ歩かない?」

「いいけど…」


 ちょっとした気晴らしが必要だと思い、愛結の提案を受け入れる。

 このまま一人で考えていてもキリがないというのは分かっていた。


 林間学校の日の夜。ホテルを抜け出すなんてまるで不良だ。少なくとも私たちはそんなことをすることをする生徒というレッテルは貼られていないし、悪意があってこんなことをしているのではない。


「ふふ。亜希ちゃんもなかなか悪い子ですな〜」

「なにそれ。愛結も一緒じゃん」


 からかってくる愛結。

 でもそうやっていつも通りに接してくれるのは嬉しい。


 夜の街灯は柔らかく私たちを包んで、夏がまだ抜けていない風は生ぬるい。

 さっきよりも落ち着いた心は、凪のようとまではいかないけど、だいぶマシになった。


「ちょっとさ、あそこのベンチに座ろうよ」


 森林公園の近くにホテルがあるので少し歩けば、ベンチくらいはある。もっと奥に行けば昼間に遊んたアスレチックだってあるはずだ。


 夜の公園は静かで、何もない。

 虫が鳴いているのかもしれないけど、耳には入ってこない。


「うん」


 私は愛結に促されるままベンチに座る。

 木製のベンチはやや年季を帯びていて、座ると少しだけキィーと鳴った。


「で?亜希ちゃん、何があったの?」


 まるで天使のように、慈愛を込めて愛結は聞いてくる。柔らかくて落ち着いた声はいつもと違って新鮮だ。


「んーとね…」


 なんて話せばいいか分からない。

 山のように高くて、海のように深い理由と経緯がある。それは私には説明するのは恥ずかしくて、言えない。

 だけど少しだけ、愛結になら言ってもいいかなと思ってしまう。

 信頼関係ができているからか、それとも私がただ相談する相手が欲しかったのかはわからない。


「なんて言えばいいか分かんないや」


 私は苦笑いして、誤魔化す。

 そもそも私に恋愛相談なんて恥ずかしくてできないのだ。結局大事なことは誰にも伝えられなくて、足踏みしている間に時季を逃してしまう。

 人生なんてこんなものだと思う。


「言って!」


 愛結は両手でパンっと私の頬を挟んだ。僅かな痛みが走ったけど、そこまでではない。


「いててて…ちょっと、あゆ…」


 お風呂に入っても抜けきれなかった疲れが飛んでいって、頭が冴える。


「亜希ちゃんは私の大切な人だから」

「うん…」


 やっぱり愛結に話そう、そう思った。

 愛結の手は温かくて、さらりとしている。まるでお母さんに抱っこして貰っているような包容力。

 それに愛結なら大丈夫、そんな気がする。


「あのね…」


 私はずっと誰にも言えなかったことを、洗いざらい愛結に話した。

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