第20話 健全な関係と昼食
昨日あんなことがあっても、私たちの関係性は元通りになった。
そもそも幼馴染同士でキスをするというのが、変わっていることだったのだ。
「ねぇ、胡春。昨日はごめん」
だとしても、私の心はそのことばかりを考えているし、どうしていいかわからない。
私は折りたたみ式の小テーブルに向き合って座っている胡春に謝る。昨日とは違って私の家だから気分も少し違う。
最近は胡春の家に行くときも、胡春がうちに来る時も、緊張はする。そういう時は、ふぅと一呼吸置くのだ。
「別に、悪いのは亜希じゃないわ」
そう言ってくれるけど、心に残ったわだかまりは消えそうにない。
胡春の気持ちを
「そうだけど…」
「亜希は私のこと嫌い?」
「なわけないじゃん。永遠に」
私が胡春のことを嫌うことは絶対にない。言いたいことはズバッと言っているし、そもそもお互いの触れてほしくないことには触れないのだ。
「それを知れただけで充分なの」
「胡春がいいならいいけど…」
でも腑に落ちない。
私がしてしまったことはもっと重大なことだと思うのだ。
そう優しくされるのは違う。
首筋にキスをされるのが怖かったというより、何をされるかわからない状況が怖かったのだ。
私は胡春のすることなら何でも許してしまいそうだから。
でもそれは胡春のことを信頼できていない証だ。
私はそれが悔しくて、苦しかった。
自然と感じてしまうものはきっと私の本心で、覆せないから…。
「私たちのキスは、一時の迷いってことで…」
胡春はなにかを思い浮かべるようににそう言う。
「それは…いやだ…」
私はワガママだ。
昨日は嫌がる素振りを見せておいて、そんなことを言うなんて。
でも、高校生の数ヶ月なんて将来的に見たら一瞬だ。過去の記憶になってしまったり、忘れ去られてしまうのは嫌だ。
私にとって胡春とのキスは心地よかった。
キスは胡春を”ひとりじめ”している気がして。私だけの幼馴染だから、どんな形でも繋がりたかった。
胡春は小テーブルの上で頬杖をついた。
その瞬間さらっと、青紫の髪が揺れる。
「亜希はどうしたいの?」
怒らせちゃったかもしれない。それはきっと私が身勝手だから。
「…わかんない…」
私は胡春とどうしたいのか、わからない
幼馴染という関係から、恋人のような特別な関係になりたいのか。それとも違うのか。
胡春のことが好きだ。
だけど、私がどうしたいのかという芯が揺らいでしまった。
「じゃあさ、亜希が私とどうしたいか、わかったら教えてね。それまでは前みたいな幼馴染。キスとかはしない。でどうかしら?」
胡春は優しすぎると思う。
こんなときも私を優先にしてくれたり、考える時間をくれて。
でも、ちょっとだけ寂しいななんて考えたりも。
「うん。ありがと…」
私はゆっくりと頷いた。
こうして私たちのちょっと不健全な幼馴染の関係は、少しの間だけ普通の幼馴染の関係に戻ったのだ。
*
「ねぇ、こはるー。お昼ご飯、ウチで食べるよね?」
「うんん、今日は帰らせてもらうわ」
珍しいな…。
ただ前に戻っただけなのに、少し物寂しく感じてしまうのは何故だろう。
そもそも数ヶ月前のいつも通りの日常をしているだけなのだから、そう思うのは気のせいなのかもしれない。
ご飯をどちらかの家で食べるのも、お互いの家に通うのも、ずっと前からの習慣みたいなものだ。
一人で食べるよりも、誰かと食べたほうがいいのは、わかりきったことだけど、私は胡春だから楽しく食べれたのだ。
「何か予定でもあるの?」
「ちょっとね…」
私よりも重要な用事って…。
どうやら私は胡春の
いや、胡春がそこまで狭量だと思っているわけではなくて、そういう雰囲気をまとっているというだけだ。
別に私関係じゃないかもしれないけど、自覚がある以上はその考えを拭うことができない。
「そっか、じゃあまた明日…」
「うん。またね」
ガチャリと部屋の扉を閉める胡春。それを私は不満な気持ちを隠したまま手を振ることしかできなかった。
そんなことがあろうとも、昼食は摂らないとといけないわけで。
「なにを作ろう…」
私は階段を下りて、台所で立ち尽くす。
最近はずっと胡春と一緒だったから、その時の流れでなんとなく決めていたけど、一人だとそうはいかない。
「うーん。オムライスにしよう!!」
気分が落ち込んだときには、明るくなれるような料理として思いついたものだ。
数年前は、卵をご飯にくるむのに失敗して、ケチャップライスにスクランブルエッグが乗っている奇妙な料理を作りだしてしまったが胡春は「おいしいよ」と言って食べてくれた気がする。
思えばあれ以来リベンジをしていなかったので、今日はそれも兼ねて。今度は成功したのを胡春に食べてもらいたいからね。
「じゃ、作ろ!!」
オムライスは必要な具材が少なくて、作りやすい方だと思う。ただ卵をくるむのが難しいだけで。
私は胡春のことを考えながら冷蔵庫から取り出した卵を割った。
*
結果、私の手は器用になっていたようで、人に見せられるくらいには上手くいった。
前回とは違って、卵がある程度固まったら、火を止めて、ゆっくりご飯にくるんだからかもしれない。
盛り付けもいい感じに決まったところで、それをリビングで食べ始める。
「いただきます…」
誰もいない場所で一人でそう呟くのは少々はずかしくて。
カッカッカとスプーンがお皿に当たる音が部屋に響く。
一口分掬って口に放り込むと、ふわっとした卵と、ケチャップの塩味が口に広がる。
「うわぁ。上出来だ」
でも、そんな満足のオムライスが作れたとしても、頭の中で考えているのは胡春だ。
やっぱり、寂しい…。
よく考えると一人で食事をするのは、久しぶりかもしれない。
学校では胡春とそして愛結も一緒だし、休日だってパパとママか胡春と一緒だ。
言ってしまえば、私は一人に慣れていないのかもしれない。
胡春とほぼ毎日ずっと一緒で、ひとりぼっちになんてほとんどなったことがない。
「だから…淋しいよ…」
もしかしたら胡春に見放されてしまったのかもしれない。私はワガママだから。
そんなことはありえないわかっているのに、心配でならない。
その時、がちゃと玄関が開く音がする。
私は途中まで食べかけたオムライスをそっちのけで、そこに向かっていた。
「亜希。帰ってきたよ」
玄関には、息を切らして立っている胡春の姿が。
私のために、急いでくれたんだなって考えると、とっても嬉しい。
「なんで…」
「うーん。用事が済んだから、かな」
「そっか」
どうやら見捨てられたわけではないとわかって少しだけ安心。もちろんそんなことはないって分かっていたけどね。
「なんで涙目なのよ…」
私を心配そうに見る胡春。
その手を私の頭に乗せようとするけど、少しだけ躊躇う様子だ。
きっと、前みたいな幼馴染に戻るって話をしたあとだから、どこまで触れていいのかその線引きがわからないのだろう。
だから胡春の右手を私の後頭部に乗せて、こすり合わせた。
いまは胡春に触れてもらいたかった。
「なんでもないっ…」
「あー。私が帰って寂しかったのね」
「そっ、そうだけど、なにか」
「もー、亜希は最近泣き虫さんね」
その指摘通りだと思う。
私は最近胡春が絡むことだと、どうも感情的になってしまうのだ。
やっぱり私はどこかおかしい。
胡春の首筋へのキスは怖かったのに、頭を撫でられて喜んだり。私の心には矛盾があるみたいだ。
「胡春、お昼ご飯食べたの?」
お昼を食べて用事を済ませるには、胡春が帰って来るのが早すぎたのだ。
「うんん。急いで来たから」
「そっか。じゃあ私がオムライスを作ってあげる!!」
こうなったら胡春にとびきり美味しいオムライスを作ってやろう。
さっきも作ったからきっと上手にできるはずだ。
「ありがと。亜希はお昼どうしたの?」
「いま食べてたとこ。いまから作るから、胡春も一緒に食べよ!!」
「でも、申し訳ないわ…」
「いいのいいの。私がしたいことだから!」
やっぱり私には胡春が必要だ。
それがどういう意味なのかは私にはわからないけど、そう思った。
一緒にご飯を食べたり、お話したり、そういう胡春との日常が私はたまらなく好きだ。
ケチャップでハートマークでも作ってあげよっかな!!ふふ。
私は胡春を強引にリビングのイスに座らせた。
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