第19話 恋愛感情と仕返し
海水浴に行って、数日後。
私は胡春の家に来ていた。
室内は冷房がついていて涼しくて、帰るのが億劫になりそうだ。
胡春への好意に気がついて変わったことがある。それは話すときに少しだけ緊張するようになった。それと、目線のやり場に困るようになった。
会話で緊張するのは相手からどう思われるかを考えているからだと、聞いたことがあるが、まさにその通りかもしれない。
「ねぇ、亜希」
「ん?」
ベッドで横たわっている私に胡春は話しかけてくる。ベッドの上だと冷房が直接当たってより涼しいのだ。
「お互い本当に焼けたわね」
「うん。そうだね」
「ほら、水着のあとがこんなにくっきり…」
「みっ、見せてこなくていいから!」
私は両手で目を覆う。けど、指の隙間からちょっとだけ見ようとしたり…。
Tシャツを引っ張って日焼けの跡を見せようとしてくる胡春。胸がもろに視界に入るし、先日のキスマークだってうっすらと残っている。
「あれー。恥ずかしいの?」
「そうじゃなくて…」
図星ではある。
いつもは真っ白だった胡春の肌が焼けても、魅力的なのは変わらない。そもそも日焼け止めを塗っていたから焼けたのはほんの僅かだ。
「いいわよ。ちょっとくらいなら、好きにしてくれても…」
胡春はベッドに腰掛けて、Tシャツを脱ぐような素振りを見せる。頬が赤く染まっていて、誘惑するような印象を与える。
「いやいや。そんなのダメだって」
胡春の「好きにしていいよ」という言葉は意地悪だ。なんでもしていいよと言っているようで、私を試しているような気がする。
こういう流れのときは、先例に習って毎度キスをお見舞いするのだけど、それでは物足りなく感じる。
「じゃあ、何もしないの?」
そうやって私を惑わせてくる。
私だってできるものなら、胡春を正面から抱きしめたいし、昔みたいに膝の上に乗りたい。サラサラの髪を撫でて、後ろからハグをする。なんてのもいい。
でもそんなことをしたら、きっと幼馴染という関係は壊れてしまう。そんなことは絶対に嫌だ。
胡春と一緒にいられるのも、幼馴染だからだし、そうでなければお互いの家で遊んだりはできない。
だから私は想いを伝えられない。
胡春が私のことをどう思っているのかは知りたいけど、幼馴染という関係性の維持のほうが大事だ。
いまのままでも充分胡春と話せるし、多少なら触れることだってできる。
「むしろ胡春はなにかしてほしいの?」
こうなったら聞いてやろう。一種の意趣返しだ。
私ばかりに選択権を与えて、胡春はそれに従う、だと味気ない。胡春がどうしたいのか知りたいし、たまには胡春の提案に乗りたい。
「えっ、私?」
「うん」
「だから…その…亜希の好きにしてくれれば…」
「好きにってどういう感じ?」
私はさらに問い詰める。
徐々に赤くなっていく胡春が可愛かったのだ。もしかしたらいやらしいことでも考えているのだろうか。
まぁ胡春に限ってそれはないと思うけど。
「えーっと。ぎゅってしてくれたり、いつもみたいにキスをしてくれても…。あとは好きに触ってくれても…いいよ」
「うっ、うん」
ベッドにいる私の隣に座っていた胡春が、横たわる。
いつもの体勢だ。横たわった胡春に私が覆いかぶさってキスをする。けど、私が求めているのはそれじゃない。
「…あの…胡春。わっ、私、こはるからしてもらいたい」
言ってしまった。我ながら変なことだと思う。
でも、自分からするのはそれでいい。けど、それだと一方的な気がするのだ。胡春からもしてもらって、胡春の思いも全部受け止めたい。
そう思ったのはきっと、私が胡春のことを好きだと自覚したからだろうか。
「いいの?ちょっとカゲキかもよ?」
「何をするのさ…」
私は肩を広げて横たわる。私の胸じゃあ誘惑するには、不十分かもしれないけど…。
そんな私をみて胡春は起き上がって、私に覆いかぶさる。
お決まりのセリフを。
「ねぇ、こはる。わっ、私を好きにしていいよ」
緊張して少しだけ噛んだ。
なにをされるかはお楽しみでちょっとだけ不安だけど、胡春ならなんだって受け入れる。それはただ嫌じゃないだけじゃなくて、きっと胡春が好きだからなのだ。
「うん。じゃあいくわね」
心做しか、胡春の目が輝いた気がした。ここまで眩しい青紫色を知覚したのは初めてかもしれない。
胡春が私の両手首を掴む。そこまで力は入っていないようで、痛くはない。ただ柔らかい手が当たってくすぐったくて、これから何をされるんだろと嫌でも考えてしまう。
あとは、胡春に”好き”にされるんだなと思うと期待だってある。
徐々に近づく胡春の顔。至近距離で見ると、綺麗な肌だし、小顔だ。
甘ったるいくらいの胡春の香りは好きだ。
まとわりついてなかなか離れなくて、数日経っても私の部屋に残っている。
唇が触れ合う。
胡春は目を閉じていたけど、私はぱっと開けたままだ。もちろん閉じるべきだと思った。けど胡春がどんな顔をしているのか気になったのだ。
胡春の表情はいつも通りだった。ただ目を閉じているだけのような感じ。
表情を変えていないのは、私のことなんて意識していないということなのか。なんて疑問が頭によぎる。
触れているのは唇だけだけど、距離が近いから体温だって感じられる。
まつ毛が長くて、髪の毛の一本一本に目が行ってしまって。
胡春は私の背中とマットレスの間に手をねじ込んでくる。抱かれているようで、さらに身体同士の距離が近づく。
唇にかかる力も強まったのかもしれない。
「んぐ…」
私は思わず声を上げてしまう。私の手は胡春のTシャツの袖をぐっと掴んでいた。手には汗が溜まっているから少しだけ湿っていく。
そんな様子を見たのか胡春はそっと唇を離した。
「さて、次はどうしようかね…」
「つぎって?」
「これじゃ終わらせないわ」
そう言うと胡春はずるずると下がって行った。
そして私の首筋に、キスをした。
「ちょっと、くすぐったいって」
胡春の唇が触れら首筋から、そわっと寒気が走る。
慣れない感覚で、くすぐったくて。皮膚が薄いからか胡春の唇の柔らかさと熱をモロに感じられる。
唇の些細な動き。胡春の息遣い。目で捉えることはできないけど、リアルに想像できて。
「んっ…」
胡春は喉から声を鳴らす。
だんだんと吸う力が強くなっていって、ぴりっとした痛みが刺す。
さらりと舞う胡春の髪は私の首元にかかっていて、髪の匂いを私の鼻は見事に捉えていた。
ちょっとだけ、怖い。何をされるのかわからなくて。
でも胡春なら…。
本当に胡春のことが好きなら受け入れられなければいけないと思った。
視線は自然と胡春の頭の先に移っていた。目線のやり場に困っているから、どこを見ていても首元に意識を集めてしまうのだ。
「ちょっと、こはる。長いよ…」
チクッと刺されたような
ちゅぱっと音が聞こえた気がする。首元から胡春の熱が離れたのだ。
「亜希は、好きにしていいって言ったのに…」
どうやら胡春は私が嫌がったと解釈したのだろう。
好きにしていいという言葉は強力だ。相手に選択権を与える変わりに、相手の行動に従わなければいけないという大きな代償を持つ。
よっぽどの信頼関係と愛情がなければ到底できないことだなと思う。
自分の全てを相手に委ねる、それが胡春なら全然OKだ。悪いようにはしないと信じているし、そもそも私は胡春の”好き”にしてほしかった。
「そうだけど…。ちょっと、ぴりってして痛いし…」
「亜希だってこの前、私にやった」
「あっ、いや…。あれって、そんな…」
この前とは、海に行った時。更衣室でのことだと思う。
あの時はなんというか。胡春にされてばかりだったから、一矢報いたかったというか…。
もちろん他意はない。
首元へのキスが執着心の現れを示しているとか、そんなのは知ったこっちゃない話だ。
その時はこの話は知らなかったし、ただ私がやりたいままにやっただけなのだ。
「これで、おあいこだわ」
「えっ、どういうこと?」
ただ、首元にキスをしておあいこ、というわけではないような気がした。なんというか、幼馴染の勘だ。
もっとすごいことをされたような、そうじゃないような。
「キスマーク。亜希も私につけたじゃない」
えっ。
胡春がキスマーク。私に?
確認しようにも、顔のちょうど真下なのか見ることができない。
「嫌だった?」
嫌な訳はない。たかがキスマークくらいで、私の胡春への信頼と好意は揺らぐわけがない。
それに、首元へのキスは、執着心を表すもの。
それを意識していたのかは知らないけど、そうだとしても胡春に執着されるならばっちこいだ。
「うんん。胡春なら全然」
そう言って私は、へへっと笑った。
「作り笑い、でしょ。本当は、どうだったの?」
「へっ…?」
「いつもの亜希の表情じゃないわ。いまのは」
「大丈夫だって」
「それなら、なんで…涙目なのよ…」
私はできるだけいつもの表情を心がける。でも…。どこか悲しくて、しっくりこなくて。
首筋へのキスはちょっぴり痛くて、怖かった。
キスマーク自体は構わない。でも、好きにされるのは私には向いていない。
そう思った瞬間、私は胡春のことを信じられていないんじゃないかって考えてしまったのだ。
でも好きにしていいと言ったのは自分で、それを
「ごめんね…。こはる」
いつの間にか瞳に溜まっていた涙は、雫となって頬を辿る。
「首にキスをされたとき、ちょっとだけ怖いって思っちゃった。胡春ならいいと思ったのに、ダメだった。ごめん」
私は自分が思うより心が未熟なのかもしれない。
好きだから、胡春の好きにしてもらいたいと思ったのに、怖くなって。
胡春なら何だって許せると思っていたのに、実際はそうじゃなくて。
私たちの信頼関係を自分で壊してしまったと、思ったのだ。
上から抱きしめていた胡春は、そのまま私の隣に横たわる。
手の力が弱まって、もともと手があった場所には私の汗で湿っていた。
「ずっと、私の一番は胡春なのに…」
シーツに垂れていく涙を、胡春の温かい親指で拭ってくれる。
「うんん。そうなら言ってくれれば良かったのに…」
「胡春のこと、好きなのに…。大好きなのに、ごめん」
私にはキスなんて背伸びをしすぎたのかもしれない。
嫌じゃないからという理由で、唇を交えて。よく考えれば、胡春の信頼を無下にするものだったかもしれない。
「私こそ…亜希の気持ちを考えられなくて、ごめん」
「うんん。胡春は悪くない。私がちゃんと言ってればこんなことにはならなかったから」
ずっと、止まっていた歯車が動き出すような、そんな感覚。
私の涙は一粒一粒胡春の親指に回収され、結局シーツに垂れてしまったものは一滴もなかったと思う。
最後にゆっくりと胡春はゆっくりと私を抱き寄せた。
その感覚はいつも通りのようで、そうでないような、心の隙間を補うものだった。
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