第18話 散歩と夏
午後は少しだけ泳いだあと、水着から着替えて海辺を散歩してみることになった。更衣室で着替えるときは、午前のようなことをするわけではなく…。
私も胡春もショートパンツにTシャツの組み合わせだ。動きやすいし、熱気がこもることもない。
「だいぶ焼けちゃったな…胡春はどう?」
「私もちょっとだけ焼けたわ」
「わぁ、夏ってカンジだね」
私も胡春も普段は色白だから、日焼けをすると目立つ。ショートパンツを履いているから、いかにも海沿いに住んでいる子って感じだ。
「久しぶりに来たね。ここの海」
「そうね…。最後に来たのは2年前とかだったかしら」
「そうそう。その時はまだ中学生だよ。私たち」
「亜希は変わってない気がするな」
「そう?胡春は変わったよ。なんというか…表情が豊かになったと思う」
胡春はつい昔まではそっけなかった。まぁそういうところが格好良くて憧れていたこともあったんだけど…。それは内緒だ。
「そうかしら。亜希はそのままだよ。初めてあった時から」
「そうかな…」
「うん。誰にでも優しくて、みんなと話せて、それで可愛くて」
「ふふふ。なにそれ」
湿っぽい話をしているには、海風のせいか。それとも波音のせいか。よくわからないけど、たまにはこういう昔話もいいなと思った。
斜めに傾き始めた太陽は頬を照らす。もう随分焼けたから、日焼けについてはそこまで心配していない。
ただ真横で輝いた胡春の透き通った青紫色の瞳が美しくて、吸い込まれていくように目が離せない。
ビーチサンダルの間には砂が少しだけ挟まって、そして何度落としても入ってくる。鬱陶しいかと聞かれたらそうじゃない。夏らしくて、海に来たって感じがしていい。
胡春みたいだなと思った。
幼馴染だと割り切って接しても、どこか変に意識しちゃって。
キスをして、手を繋いで、なんてことのないことだと思いこんでも心はずっと跳ね上がったまま。
胡春は私の頭の中にずっといるし、それを幼馴染だから当然のことだと思っていた。
胡春は可愛いし、幼馴染から見ても欠点がなくて、完璧だと思う。
だから自分よりも遠くにいる気がしていて。
いまは同じ高校に通っているけど、大人になったら私のことを置いてどこかへ行ってしまうかもしれない。それは少しだけ不安だ。
「ねぇ、胡春」
「どうしたの?」
「胡春はさ…私がずっと一緒にいて欲しいって言ったらどうする?」
気になった。胡春は私が一番優先だと言ってくれるけど、それがどれほどのものなのか。別に試すつもりがあったわけではない。
ちょっとした私の好奇心と将来への不安からだ。
「むしろ、喜んでというか…。それって告白とか?」
「いや、あっ、そうじゃなくて…」
確かに言い回しは告白のようだ。まるで私が胡春にずっと一緒にいて欲しいと言っているみたい。
あながち間違ってはないけど、そういう意味で言ったわけではない。
「そう…よね…」
そうやって残念そうにする胡春。
おふざけでもそういうことをされると、変に意識してしまうのだ。
「あの…亜希…こっちを向いて欲しいのだけど…」
恥ずかしくて逸らしていた私の目を胡春の方に向ける。
「なんでよ…」
「ちょっとだけ」
胡春は私の頬を両手で押さえる。何をされるかは明確だった。
気がついたら目をつぶっていた。キスならもう何回もしたし、私から求めてしまうことだってある。
唇が重なる。
わかってはいたけど、この感覚はまだ慣れない。
柔らかくてしっとりとしている、そんないつもの唇だ。味なんてなくて、ただ心地いい。
目を閉じて冴え渡った五感は、波の音と潮風と胡春だけを意識させる。
胡春の手はほのかに温かくてさらさらして、私の頬を優しく包んでいる。
潮風は温まった身体を冷やしてくれる。
胡春は時間がゆっくりと過ぎていっているかのように、唇を離した。
「ちょっと何するの…急に」
私は自分の唇を舐めて、そう言う。味とかはやはりない。
急に唇を奪われるのはびっくりする。理解が追いつかなくて頭が少しだけクラっとするし、身体が熱くなる。
でもこの感覚は嫌じゃない。やみつきになるような、中毒性があるのだ。胡春がしてくれるからなのか、それともキスとはそういうものなのか、わからないけど。
胡春は私の頬に置いていた手を、ゆっくりと肩まで下ろしてくる。
触られる感覚はくすぐったいけど、胡春が近くにいることがわかって嬉しい。
「女の子同士が、こんないい雰囲気にいるんだから仕方ない…。というか亜希が可愛かったのよ…」
「…そうなんだ…」
そういうことを言われると、私とて反応に困る。恥ずかしいし。
それに可愛いのはどちらかと言えば胡春の方だ。
最近思うのだ。
キスをするたびに、いままでの幼馴染という関係が崩れて、別の得体のしれない何かに変わっていっている。
私の心を胡春という存在が埋めていって、わからなくなる。
もしかしたら私は胡春に恋愛感情を抱いているのかもしれないと考えることもある。
なんでかはわからないけど、胡春のふとした仕草とか表情が輝いて見えたり、いままで知らなかったいい所を知っていくたびにドキドキして。
”恋”なのかな…。
私の心は揺れている。恋か恋じゃないか。
恋だったらちょっと嬉しいような、そうじゃないような。
我ながら幼馴染の隣で変なことを考えているなと思う。もし違ったら見当違いも甚だしい。
「ねぇ、胡春は好きな人とかいるの?」
恋とは何か気になった。そんなものは関わりがない世界だったけど、自分の気持ちに確信を持ちたい。
「いるわよ、もちろん。高校生なんだから」
「そっ、そうなんだ」
嫌な気分になった。不快感というか、なんというか、もどかしさだ。
もし胡春に好きな人ができたら、応援したいと思っていたし、それが幼馴染として当然のことだと考えていた。
でもいまは…。
応援なんてとてもできない。というかしたくない。
胡春の一番は私がいいし、その席は誰にも譲りたくない。
その好きな人が私だったら…。なんて意味のわからないことを考えてしまう。
「ねぇ、恋ってどんな感じなの?」
私は恐る恐る聞いてみた。
恋なんてしたことがない。好きな人という概念がよくわからなかったし、私には胡春がいれば満足だ。
「そうね…。一緒に話していて楽しいって思ったり、ちょっと緊張したり、あとは振り向いてもらいたいって思ったり、あくまでも一般論よ」
「そうなんだ…」
胡春は頬を赤らめて言った。もしかしたら好きな人のことを考えているのかもしれない。
そんなことを考えると心がぎゅーっと締め付けられるようで、苦しい。前はそんなことはなかったはずなのに。
せめていまだけは私のことだけを見て欲しい。せっかく二人きりなのだから。
私が一緒にいて楽しいと思う人。
緊張する人。
振り向いてもらいたい人。
そんなの全部胡春に決まってる。
どんなに他愛のない話でも胡春となら楽しくて時間を忘れてしまう。
胡春と手をつないだりしたら緊張してしまう。
そして何より、私は胡春をひとりじめしたいのだ。幼馴染としてだけでなく、胡春の一番になりたい。
私は胡春に恋してる。
パズルのピースが埋まっていくように頭に浮かび上がったその言葉。
でも一番しっくりくるような気がした。むしろなんで今まで気が付かなかったんだろうと思うくらいだ。
「胡春、ずっと一緒にいようね」
さっきの言葉を確かめるように、私はそう言った。ただの念押しだ。
「うん。今日は寂しがり屋さんなのね」
胡春は私の肩に置いていた手を背中まで移動させて私を抱き寄せた。いつもよりも鼓動が早くて、顔が赤くなって、でも居心地はいい。
胡春の甘い匂いはさらに強く香って、声は柔らかく感じる。海から上がったばかりで、ちょっとだけ湿っていてぼさっとした胡春の髪も一周回って可愛らしい。
意識すると、耐えられない…。
私の幼馴染は常識外れなくらいに綺麗だ。
それはキスをしている時だって例外じゃない。
胡春をひとりじめしたい。
これは絶対に恋だ。そして私のちょっとおかしい欲望。
幼馴染に恋愛感情を抱くなんて、きっと私はどうかしてる。
「そうかも、もう胡春なしじゃ生きられない」
胡春の肩に頭をこすりつける。こうすると胡春の全てを感じているようで、満足感を味わえる。
私は胡春の右手を私の頭に持っていく。
「撫でてほしいの?」
「…うん…」
私の頭を丁寧に撫でてくれる胡春。大切に扱ってくれているんだな、と思うと愛おしくて。
砂浜のだから足に力が入らない。だから胡春に体重を預けた。そうすると胡春の抱き寄せる力が強くなって少しだけ苦しい。
「今日の亜希も可愛い」
「胡春のほうがずっと可愛いのに…」
私は胡春を見上げて、そう呟いていた。
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