第21話 ただ好きなだけ。

 ※紫胡春視点です。


「やりすぎてしまったわ…」


 どうやら私、紫胡春は幼馴染の嫌がることをしてしまったらしい。亜希を泣かせてしまったのは紛れもない事実で、罪悪感が時間が経てば経つほど大きくなっていく。


「だって、亜希だってしてきたじゃないの…」


 今日、好きにしていいよという亜希に誘惑され、首筋を強く吸った。

 それは亜希も海水浴のときにしてきたことだったから、問題ないと思ったのだ。それに好きにしていいとはそういうことだと解釈していた。


「亜希を泣かせるなんて…」


 ずっと亜希を大切にしてきた私にとって、大きな失態だ。

 最近はキスとか、ちょっとしたボディータッチが増えて、調子に乗ったのだ。


 亜希なら受け入れてくれると。


 別に私としては、亜希との接触が増えるのは構わない。キスだって、どんなところを触られたってむしろ嬉しいくらいだ。


 でも、亜希はそうだとは限らないわけで。


 誰と話していても、亜希はずっと笑顔なのだ。ニコニコしていて、一緒にいると周りも気分が良くなる。

 それが亜希の数多くあるいいところの一つだと思うし、私もそれが大好きだ。


 だから、亜希の笑顔を守るのは自分だと考えていた自分が情けない。


 *


 数年前。中学生くらいのときだったと思う。


「ねぇ、こはるー!綺麗だね!!」


 とある河川敷を亜希と歩いているときだった。

 桜の花びらはひらひらと円を描くように回って、爽やかな春風がそれを彼方へと運ぶ。


「そうね」


 私はそっけなく返事をするとさらに、足を進めた。

 平日の昼間ということもあり、お花見シーズンにしては人は少なかった。


「うぅ。この落ちてる花びらを踏むのって罪だよね…」


 そんな私の後ろでなるべく花びらを踏まないように、つま先だけで僅かに花びらの隙間から見えるコンクリートを見つけて歩く亜希。


「何やってるのよ…」


 私はそんな亜希の方に振り返った。


「何って、踏んだら花びらが汚くなちゃうじゃん!!」

「いやいや、そうじゃなくて。桜の花びらってそういうものでしょうに…」


 亜希のそういう純粋なのか、バカなのか、わからないようなところも好きだ。

 他の人にぶつかりそうになってよろよろと、それでも桜の花を踏むまいと。


「どうせ春が終わったら、花びらはなくなるんだし。仕方ないよ。咲いてる桜を見て楽しむのがいいわ」

「そうかな…」


 そんな私の冷めた理論を訝しげに聞いた亜希は、にこっと笑って私の隣まで走ってくきた。


「あっ、あそこのベンチが空いてるじゃん。座ろうよ、こはる!」

「うん。いいね」


 花びらを踏むことにはもう躊躇いがなくなったのか、気にすることもなく走り出す亜希。

 そんな背中が桜よりも輝いていて、ただ綺麗だった。


 ベンチに座った私たちはそこで昼食を摂ることにした。

 もともと二人それぞれ少しずつ作ってきて、シェアして食べようという話になっていたのだ。


「亜希は何を作ってきたの?」


 お互い何を作ってくるかは話し合っていなかったから、最悪二人とも被って同じものを食べるなんてことも無きにしも非ずなのだ。


 それも一種のお楽しみだ。


 被ってしまったのなら、それはそれでいい思い出だし、違うものを持ってきたならそれはそれでいい。


「えーっと、私は、これ!唐揚げとサラダ!」


 亜希はカバンからお弁当を取り出して、パカッとお弁当箱を開けた。


「おぉ、美味しそうだね」

「胡春は何を作ってきたの?」

「私はね…じゃん!ハンバーグとおにぎり!」


 楽しそうにお弁当を開ける亜希のマネをしてみたが、私にはちょっとだけ恥ずかしくて。


「わぁ。美味しそう!良かったね、被らなくて」

「そうだね」

「じゃあ、食べよっか」

「うん。いただきます」


 私は、箸を持って手を合わせた。


「あっ、箸忘れた」


 はっと一瞬固まる亜希。


「はぁ!?」

「胡春…交互に食べよ」


 両手を合わせて、テヘっと頭を軽く下げる亜希。それは反則だって。


「…えぇ!!」



 なんてことがありながらも、お花見は進んでいく。

 それぞれで持ち寄ったお弁当は、すっからかんになった。味がいいのはもちろん、亜希が作ってくれたものならどんなものでも喜んで食べる。


「亜希、花びらついてる」


 私は亜希の空色の髪についた、花びらをそっと掬う。サラッとした髪は私のよりも少し軽いような気がした。


「ありがと。胡春」

「うんん」


 そうやってちょくちょく名前を呼んでくるのも、なかなかの破壊力だ。

 その当時は慣れてきたけど、ずっと前はそのたびに隠れて照れていた。


「桜ってさ、ほんの一瞬でなくなっちゃうの、もったいないよね」

「そうだね。でも花はきっとそういうものよ」


 桜には亜希との思い出がいっぱい詰まっている。

 入学式に卒業式は、たくさんの桜と何よりも大切な亜希と一緒だったのだ。

 それが消えてしまうのは寂しいけど、また咲くであろう桜を待つのもまた一興なのだ。


「そっかー」


 亜希はうーんと大きく背伸びをする。

 セミロングくらいのストレートヘアは、私のものよりも短くて、肩を撫でるように揺れる。


「亜希の髪、似合ってる」

「なに?やぶから棒に」


 亜希に髪は数ヶ月前までは私と同じロングだった。

 なんで切ったのかは聞いていないけど、髪を切るということは失恋をしたとも言うしその時は心配したのだ。


「うんん。短いのもいいなって」

「そう?ありがと」


 少し恥ずかしそうに、笑う亜希。

 そういう表情はこの上なく可愛らしいと思う。控えめなんだけれども、存在感があって。


 徐々に自分の頬も熱くなっていくことに気がつく。


「ちょっとお手洗いに行ってくるわね」


 顔を冷やしたい…。


 顔が赤くなっているのを亜希が気がついたらきっと、心配をかけてしまうと思った。私たちは幼馴染だから、お互いの表情に照れるのはおかしいことなのだ。


 たぶん私の片思いで、亜希は私を見て顔を赤くしたりはしないだろう。


「うん。じゃあ、ここで待ってるね」

「すぐ行ってくる」


 亜希はそんな私に気がつくことなく、見送ってくれた。



 手洗い場にある、鏡で自分の顔を確認した。水で顔を洗ったから、もう表情はいつも通りに戻ったと思う。


 とぼとぼと亜希の座っているベンチに向かって歩く。

 桜は相変わらず春らしさを放っていて、風が吹くたびにその花びらを散らす。


 ふと、亜希の方に目をやると、見知らぬ高校生くらいの大きい3人に囲まれている。ナンパというやつだろうか。


 私は何かを考える間もなく走り出していた。


 亜希は嫌がるような様子をしているし、それでも無理に近づいているように見えた。


「ちょっと、亜希!」

「こはるー…」


 亜希の目は少しだけ涙が浮かんでいて、額には汗は乗っていた。


 私はその隙間を通って、亜希の手と荷物を握って走る。3人とも何かを言っていたがそんなものに耳を貸すわけでもないし、覚えているほどのものでもない。


 数多くある桜の並木を走る。

 亜希を囲んでいた3人には、お花見の雰囲気を乱したということで恨んでも恨みきれないが、この際二人とも無事で良かったと思うべきなのか。


 はぁはぁと息を切らして走る。しばらく走って亜希が震えた声で言った。


「胡春…。ありがと…」

「うん。私が席を空けたのが悪かったわ」

「こわかった…」


 立ち止まると、亜希が額を私の肩にこすりつけてきた。

 涙を隠そうとしているのか、それとも甘えてきてくれているのかわからないけど、その様子は可憐で華奢に見えた。


「もう大丈夫よ…」

「うん。胡春がいてくれて良かった。どうしていいか分からなかったから…」


 私は亜希の頭を落ち着いてもらうために、そっと撫でた。

 空色の髪はふわっとして柔らかくて、桜と同じくらいフローラルな香りがした。

 そんことを考えるのは、状況的に間違っているのはわかっているけど、私の頭の中には亜希しかいないから仕方ない。


「これからも、私が亜希を守るから…」

「そう?ありがと!」


 その時の亜希の表情を私は覚えていない。そもそも見ていなかったのかもしれない。

 でもその後はすっかり元気になった亜希とお花見を楽しんだ。


 *


 今思い返すと、我ながら恥ずかしいことを言ってしまったなと思うけど、何度この状況を繰り返しても同じことを伝えるだろう。


 後悔はしていない。


「はぁ。守るって亜希に言ったのに…」


 後悔をしているのは、今日してしまったことだけだ。


 首筋にした力強いキスは、どうやら度を越してしまったようだ。

 その時は思いが溢れたというか、そんな感じだったのだ。好きにしていいよという言葉は恐ろしいなと思った。


 私は、昔に撮った亜希との写真を貯めたアルバムを取り出す。

 今どきアルバムなんてものを使っているのは珍しいかもしれないけど、写真が増えると重くなっていってその感覚が好きだった。

 それに印刷をした状態で写真を貰うことも多いから、なくしてしまうこともない。


 数千回と見たアルバムをパラパラめくる。我ながらに写真を撮るたびにわざわざ印刷をするなんて、律儀だと思う。

 写真のなかの亜希はいつも笑っていて、いつも隣で見ているまんまだ。


「絶対に、このままじゃイヤだわ…」


 なんてアルバムの端を強く握る胡春だった。

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