特別編 本音の可愛い

「亜希…その…今日も可愛いよ」


 私の部屋に入ってくるなり胡春がそう言った。

 いつも言われている言葉だけど、やっぱり慣れない。


 夏休みも徐々に終わりを迎えたある日の昼下がり。気温だけ見れば一番暑い時間だ。

 真っ白なレースカーテンの隙間からは強い日差しが入ってきているし、冷房はガァーと音を立てている。


「いつもそんなことばっかり言って…胡春も可愛いよ」

「そういうお世辞とかはいいから…」


 胡春はそうやって謙遜するけど、もちろんお世辞なんかではない。


 胡春の可愛いところはいくらでも挙げられるし、きっとその魅力を語っていては時間がいくらあっても足りない。


 それでも胡春はいつも私に「可愛い」と言ってくれる。


 *


「うーん。どうしよう…」


 夏休みの終わりまで、あと数日。


 私は姿見の前に立って、服を着回していた。


 夏らしい黄色のワンピース。

 肩まで出ていて着るのを渋ってしまうノースリーブ。


 特別おしゃれをしなければいけない理由はないけれど、胡春からいつもの可愛いじゃない言葉を貰いたいのだ。

 心の底から私に釘付けになるというか、なんというか兎にも角にも普段とひと味違う私を見て欲しい。

 それで少しでも私のことを意識してくれたり、ドキドキしてくれれば万々歳だ。

 それはきっと胡春との関係が前に戻ったから寂しいからかもしれない。


 胡春とキスをしなくなって健全な関係になった弊害なのか、私は胡春という存在を近くで感じられるのは味気ないのだ。


 だからどんな褒め言葉でも貰いたいと思ってしまう。


「これは…いつも通りだよな…」


 服を身体に当ててみる。

 でもどの服も胡春の前で着たことはあるから新鮮味がない。


 そもそも胡春は新しい服を着たらすぐに気がついてくれるから、私の部屋のタンスの中身を把握しているのではないかと疑ってしまうくらいだ。

 まぁそれだけ一緒にいる時間が長いってことなのだ。


「うーん」


 胡春は私がどんな服を着ても可愛いと言ってくれるから、どういうのが可愛いのかがわからなくなっているのだ。


「買いに行こう!」


 結果、部屋の全ての服を引っ張りだした挙げ句新しい服を買うことにした。


 *


「おっはよ〜。亜希ちゃん!」

「そうやってくっつかれると暑いよ…」


 目が合うなり、愛結はぎゅーと抱きしめてくる。汗でペタペタしていて、夏らしい。

 いつものことだから、またかという感じでもはや何も感じなくなっている。


 一人で買いに行ってもいつもと同じような服を選んでしまいそうなので、愛結にアドバイスを求めることに。

 愛結は私たち3人のなかで一番服に詳しいのだ。

 流行の服を追ったりしてるし、きっと持っている服の数だって多い。


「で?亜希ちゃん!服を買いたいなんて、まさか恋人?」

「ちっ、違うから!ただ…興味があっただけ…」


 胡春をドキドキさせたいからなんて、死んでも言えない。これは私だけの秘密なのだ。

 おろおろと誤魔化す私を、愛結は全てを見通しているかのような目でみる。


「そっかー。で?胡春ちゃんとはどうなの?」

「だから…そんなんじゃないから!」


 先日海で胡春といるところを見られたのだ。そしてその時にバレたのが私が胡春にキスマークをつけたこと。

 バレた時にはどうしようか戸惑ったけど、配慮して触れないでくれるよりこうやってからかってくれるほうが居心地がいい気もする。


「そう…なんだ…」

「?」


 愛結は俯いて、何かを考えているような素振りを見せる。

 そしてふいに赤くなった顔を両手で覆う。


「どうしたの?愛結」

「うんん。なんでもないよ」


 そう愛結は首を横に振った。


「それならいいけど…」

「ほら!亜希ちゃん!いこ!」

「うん」


 どうやらすっかり気を取り直した愛結は私の手を引いた。


 *


「亜希ちゃんはどういう服が欲しいの?」


 ナチュラルに手を繋ぐ、私と愛結。

 愛結はちょくちょく、くっついてくるから慣れっこだからなんともない。

 でも胡春の時は違う。

 胡春と一緒だと、何をしたって意識してしまうし、慣れることなんてない。


 やっぱり私は胡春のことが好きなんだな…。


 なんてことを考えている自分を少し恥ずかしく思いながらも愛結の方をみる。


「愛結、楽しそうだね」

「そう?それは亜希ちゃんと一緒だからだね」

「そっかー」


 鼻歌でも聞こえてくるんじゃないか、と思うほど軽くスキップをしているような歩き方。

 胡春はそういうことをしないなと思う。


 よく考えれば愛結と胡春の性格は正反対だ。

 明るくてふわっとした雰囲気の愛結。ちょっとクールだけど根はやさしい胡春。

 もちろん愛結も優しいが、一緒にいるときの私のテンションはだいぶ違う。


「じゃ、服ならこのお店はどう?」


 愛結は立ち止まって、お店の看板を指差す。

 安価だけど質はいいと有名のチェーン店で、私も買い物をしたことがあるお店だ。


「おぉ、私もここで買い物したことあるよ!愛結のことだからもっとマイナーなお店かと…」

「いいかい、亜希ちゃん。大体服なんてどれも一緒なの!大事なのはどんな組み合わせでどんな服を着るかだから!」

「そうなんだ…」


 どんな理論だよ…と思うけど、そうやって言われるとそうな気もする。

 私は別に奇抜な服装をしたいわけじゃないし、高校生だからブランドものなんて手の届かない。

 それなら身の丈にあったオシャレを楽しむのが一番だ。


「ふむふむ」

「どうしたの?」


 お店に入るなり、愛結が私を上から下まで見てくる。


「亜希ちゃんに似合いそうな服、全部着てもらうから!」


 そう言って愛結はお店の中を走っていってしまった。


「ちょっと、あゆー!!」


 愛結の背中を追って、私も足を進めた。


 *


「どうかな…」


 愛結に渡された服を試着室で着て見せる。

 選んでもらったのは、クリーム色のオフショルトップスに真っ白なワイドパンツだ。

 オフショルトップスは肩が出るから、スースーして落ち着かない。

 そもそも肩が出る服なんてめったに着ないから違和感が半端ない。まるで服を着ていないような気だってする。


「うんうん。似合ってるよ!亜希ちゃん。可愛いよぉ〜」


 試着室から出てきた私に愛結は満足そうに言った。

 こうやって褒められるのは胡春にされてきたから慣れていると思っていたけど、恥ずかしい。


「ありがと!愛結。じゃあこれに…」

「ちょっと待ってて、他にも持ってくるから!」


 これにしようかなと言おうとした私を差し置いて、愛結はたくさんの洋服の森へ行ってしまった。

 せっかく張り切ってくれているのに止めるのは、申し訳ないからしばらく付き合うとするか…。


 *


 あのあと色々と服を着てみたけど、イメチェンということで最初に着た、オフショルトップスとワイドパンツにした。

 肩の露出も胡春の前でだからどうってことないだろう。

 買わなかったけど、ジャンパースカートとか韓国系ファッションとかいつもは着ない種類のオシャレを楽しめた。それは愛結の知識のおかげだから心の底から感謝している。


 レジで支払いを済ませ、服を紙袋に入れてもらう。

 そのまま着ては帰らない。

 私の服選びに付き合ってくれた愛結を除いて、一番初めに見せるのは他の誰でもない胡春がいい。


「このあとどうする?亜希ちゃん!」

「うーん。午後はちょっとしたいことあるから…」


 今日買った服を早く胡春に見せたかった。

 別にすぐに見せなくても、服は無くなっちゃうことはないけど、私に心から惚れてしまうような、そんな表情が見てみたい。


「そっか。じゃあもう帰ろっか」

「うん。ごめんね愛結。この埋め合わせは今度するから!」

「いいってことよ!」


 私は軽く愛結に頭を下げる。そうすると愛結が私の頭をぽんと撫でる。


「亜希ちゃんとのデート楽しかったから、またしようね!」

「うん!やくそく!」


 私は愛結の小指をそっと掴んで、私のそれと結ぶ。

 温かくてサラッとした愛結の手。

 運動が得意だからか女の子にしては少しゴツゴツしているように感じる。

 それは胡春の手が基準だからかもしれない。


 *


 サクッと家まで帰ってすぐに買った服に着替える。

 姿見で全身を見ると、さっき試着室で見た自分と全く同じだ。

 肩が出てる服を着ている自分はちょっとだけ恥ずかしい。もしかしたら胡春なら、どんな服を着ても映えるからそんなことは感じないのかもしれない。


 私も胡春みたいに可愛ければな…。


 なんてマイナスなことを考えてしまう。


 ダメダメ。今日は胡春にいつもと違う私を見て貰うんだから!


 頬をパンと叩いて気合を入れる。

 先ほど胡春に「いまから行くね」と連絡をして「了解」という返事を貰ったのだ。   

 いまさら後ずさりはできない。


 玄関を出て少し歩くと胡春の家だ。

 本当にほんの一瞬。

 でもその時間がいつもの何倍も長く感じて、何度家に引き返そうと思ったか。

 夏休みはもう終わるのに、まだ真夏のような気候のままだ。感じる鬱陶しさは下らないことに悩んでいる自分に対してなのか、それとも気候なのか、自分でもわからない。


 ピンポーンとインターフォンを鳴らす。

 そうすると待ってましたと言わんばかりにすぐ玄関の扉が開く。

 ひらりと揺れる青紫の髪。夏らしいショートパンツにTシャツというラフな格好。


 いつもの胡春だ。


「亜希。一日ぶりだね…」

「うん。…その…」


 なんて話していいのか分からず、言い淀んでしまう。

 胡春はそんな私を上から下まで見る。そしてぱっと顔を赤くする。


「亜希…服、いつもより…その…可愛いよ」

「そう?ありがと!」


 私の顔は自然とほころんだ。


 心から不安がぱっと晴れていくような感覚だ。

 ただいつもより可愛いと言われただけで喜んでしまう私は、案外ちょろいのかもしれない。

 だけどその言葉は何よりも嬉しくて、かけがえのないものだ。

 きっとそれは胡春が言ってくれたからなのかなとも思うのだ。


「肩を出してる服装は夏っぽくていいし、褒められて喜んでる亜希自体が可愛い」

「ちょっとそんなに言われると恥ずかしいというか…」


 間違いなく自爆である。

 自分で胡春から可愛いという言葉を引き出そうと服を買ったのに、胡春に褒められると恥ずかしさと嬉しさが共存して変な感覚に襲われるのだ。


「じゃ、暑かったでしょ。入って!」

「うん!」


 胡春は私を家に招き入れる。

 私はその嬉しさと恥ずかしさを胸にそっとしまって、胡春の家に入った。



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