第2話 料理と幼馴染

 私のファーストキスが、胡春こはるに奪われた日の翌日。


「胡春は私にどんな料理を作ってくれるのかな〜!」


 下校時間中も私は胡春の料理が楽しみで仕方がなかった。久しぶりに食べるということもあるし、私のために作ってくれるというのも加わって、ただただ嬉しかった。


「そこまで期待しないでね…」

「胡春は料理上手いんだから自信持てばいいのに」

「はいはい。お世辞ね」

「違うのに…」


 胡春の料理を食べると落ち着くのだ。まるで実家の味を食べているような安心感。一定期間食べ続けたことによるものだろうが、絶対にお世辞ではない。


「胡春の家、久しぶりな気がするな…」

「いや、一昨日来たでしょうに」

「そうだっけ…」


 思い返してみると胡春の家で勉強をした記憶がある。というかテストが近いので最近は一緒にいるときでも勉強ばっかだ。

 勉強をしていると話せる時間が減ってしまうのでちょっと嫌だ。私は胡春との他愛もない時間が好きなのだ。


「今日も勉強するの?」


 私は思い切って聞いてみた。勉強ばかりしていたら、退屈で仕方がない。


「それは…テスト近いし。でも料理するからいつもよりは短いよ」

「そっか。じゃあ私、料理手伝うよ」

「ありがと。そういえば亜希あきは料理上手いよね。この前のハンバーグ美味しかった」

「胡春のほうが上手だけどね」


 実は胡春が料理にハマった時、私も始めてみたのだ。胡春がやってるからと思って始めたのだが、食べてもらえると嬉しかった。


「そういえば、何で急に胡春は料理したいと思ったの?」

「んー。なんとなくかな。亜希は私が料理すると喜ぶし」

「だって胡春の料理は美味しいし」

「私も亜希が喜んでくれると嬉しいからね」


 胡春が嬉しいと私だって嬉しい。きっと幼馴染とは運命共同体のようなもので、お互いがお互いに影響を与え合うものなのだろう。


「いつも、変なこと言ってからかってくるくせに…」

「それはそれで可愛いけどね」


 かっ、可愛いって…。

 またからかってるでしょと言いたいのをぐっと飲み込み、胡春を見る。相変わらずの澄ました顔で、それを崩したいと思ってしまう。


「昨日のキスしたときの胡春も可愛かったよ」

「えっ、私、変な顔してた!?」

「いやいや〜。可愛かったって。ちょっと顔が赤くて」

「別に照れてたわけじゃないからね…」

「嘘だー。胡春はわかりやすいなー」


 胡春はわかりやすいというのは嘘だ。わかりやすくはないけど、幼馴染の私には大体わかるのだ。ちょっとした癖、雰囲気の違いには気付ける。


 なんて話していると胡春の家につく。幼馴染ということもあり胡春の家は私の家に近い。すぐに行ったり来たりできる距離だ。

 胡春が玄関のドアを開ける。家のなかの匂いは嗅ぎ慣れていて、我が家と錯覚してしまいそうなほどだ。


「料理と勉強、どっち先にやる?」

「私は別にどっちでも構わないよ。胡春の好きにしていいよ」


 好きにしていいよ、という言葉を使うとふと昨日の胡春が頭に浮かぶ。いつもでは考えられなかった様子。

 私をからかうためにそこまでするのかと思う。


 階段を上がって胡春の部屋に入る。そしてカバンを端に置いて筆箱と教材を机の上に出す。


「ねぇ、胡春はさぁ。昨日のキスをどういうつもりでやったの?」


 胡春は幼馴染なら普通って言ってたけど、やっぱりそんなことはない気がする。


「 どういうつもりって…。幼馴染同士のキスは普通でしょ」

「普通なのかな…」

「じゃあ、もう一回やってみる?」

「えっ」

「確かめるってこと。もう一回やってみて」


 そうやって私の反応を楽しんでいるのではないかと思う。キスなんて何回もホイホイするものじゃないはずなのに。


「でも…」

「キスするの、嫌だった?」


 可愛い幼馴染とのキスが嫌なはずがない。昨日、一線を超えたことを明確に自覚させられるような、そんな気がしたのだ。


「そんなわけないじゃん。嬉しいよ…」

「じゃあ、いいじゃん。細かいことは気にしないでさ」

「そうだね」


 胡春はベットの上に横たわる。昨日と同じ制服姿。違うのは私の部屋じゃなくて胡春の部屋だということだけ。

 第一ボタンを外している胡春の胸元の制服はややはだけていて、目が行ってしまう。

 なんて体つきなんだ。いつもみている幼馴染なのに、こういう状態になるとそわそわしてくる。落ち着かないような、胸を膨らませるような、私にでもよくわからない。


「ホントにするの?」

「うん、いいじゃん、亜希もしたいんでしょ?」

「それはそうだけど…」

「それなら、私を好きにしていいよ」


 そんな私を惹きつけるような言葉。直視できずに目をそらしてしまう。


「じゃ、じゃあ」


 二度目のキスも唇が軽く触れ合うだけのもの。


「んっ」


 目をつぶるといつもより鮮明に感じる、胡春の香りが染み付いたマットレス。少し溢れる声、全てが愛おしくてたまらない。


 唇が重なる。温かくて柔らかくて、私の中の何かが外れたように、この感覚を味わう。

 そっと目を開けると胡春の長いまつ毛、真っ白な頬の柔肌が見える。こうやって唇を合わせながら近距離で幼馴染をみると可愛らしさを再認識させられる。


 ずっとこのままでも良かったのだが小恥ずかしくて、そっと唇を離す。残念そうな胡春を無視して体勢を整える。


「随分短いね。本当はもっとしたかったんじゃないの?」

「それはそうだけど、ずっとしてるわけにはいかないじゃん」

「そんなこと気にせず、亜希の好きにしていいのに…」


 今はテスト前だ。家でキスに呆けて成績を下げたなんて、そんなマネは絶対に避けたい。


「なんで胡春は私の好きにさせてくれるの?」

「うーん。そのほうが亜希に合わせられるからね」

「どういうこと?」

「うんん。なんでもないよ」

「えー。気になるじゃん」


 何か含みのある胡春の言い方。気になってならない。


「そのうち分からせるから待っててよ」

「そう言うなら…待つけど」

「さっ、そろそろ夕食の準備でもしましょ」

「勉強できなかったね…」

「仕方ないよ。もともと時間なんてなかったんだから」


 確かに料理をするとなると勉強する時間は殆どなかった。胡春は立ち上がって部屋を出ていく。私もそれに連なって、キッチンへ向かう。手伝うと約束したからには頑張ろうと息を巻いた。



 階段を降りて台所に向かうと、胡春はもうすでに準備を始めていた。食材、調理器具が丁寧に並べられていた。


「遅れてごめんね」


 胡春と顔を合わせるのには心の準備が必要だったのだ。唇がそっと触れた程度とは言え私たちはキスをした。それなのに、普通に一緒に料理なんてできるはずがない。


「気にしないで。亜希の分のエプロンもあるから着てよ」

「うん」


 胡春の家には私のものがたくさん置いてある。歯ブラシ、着替え、などなど。ちなみに逆も然りで、私の家には胡春の私物が結構ある。

 エプロンは小学校、高学年のときに私と胡春が料理にハマったのでそれから置きっぱなしになっていた。

 久しぶりに着たエプロンは水玉模様で少し幼い印象を受ける。サイズは大きめだったことと私の身長がそこまで伸びていないことが相まって、ちょうどよかった。


「似合ってるじゃん」

「いやいや、水玉模様は少し恥ずかしいよ」

「私だけだから気にする必要はないよ」

「それはそうだど…」


 確かに中学生くらまでは胡春の前では身だしなみを気にしなかった。でも最近は違う。休日に胡春の家に行く時だって、胡春を家に招く時だって、髪をヘアアイロンでちゃんと整えて服装だってママに変じゃないか聞いている。


 「さっ、じゃあ始めよう!!」


 よく見ると胡春はポニーテールにしていて、制服の上に見慣れない桜色のエプロンを着ている。


「ねぇ、胡春。このエプロン初じゃない?」

「うん。この前買ったんだ。似合ってる?」

「もちろん。胡春は可愛いからなんでも似合うよ」

「またまたー」


 私の幼馴染、むらさき胡春こはるの可愛らしさを一番知っているのは私だ。ちょっとした仕草も癖も鮮明に覚えている。


 私は料理をするので手を洗う。胡春の家の石鹸は私の家のものとは違って固形だ。コシコシと擦るとすぐに泡が立つ。


「ねぇ、亜希。もし私が誰かのものになっちゃったらどう思う?」

「えっ」


 まさか誰かとお付き合いをするのか、という考えが頭をよぎった。

 私は胸騒ぎがして持っていた石鹸を手から滑り、そしてステンレス製の流しに落ちてコンという音が響く。


「まさか動揺した?」


 胡春は唇に人差し指を当てて、笑った。図星ではあった。


「いや…別に」

「えーまさか。私が誰かのものになっちゃうのが嫌だってこと?」

「それは嫌だよ。だって小さい頃からずっと一緒にいたし」

「まぁ、それは私もだけど」

「そうだよね」


 私たちは幼馴染。それ以上、それ以下でもないはずなのに。胡春の恋路は応援したくない。

 私たちは仲よしの幼馴染。高校を卒業して、大学生になって、そして社会人になって、お婆ちゃんになっても、私に描く未来にはどこにも胡春がいる。

 でも胡春はどうなんだろう。


「じゃあ始めよう」


 ちょっとしんみりとした空気を戻すように胡春は料理を始めた。私は石鹸の泡を水で流して手を拭く。


「亜希はそこの玉ねぎを切っておいて!」

「何を作るの?」

「そ・れ・は・ね。肉じゃがだよ!」

「いいねー。私、肉じゃが好きだよ」

「よかった。じゃあ作ろっか」


 胡春の肉じゃが、それは私たちにとっての思い出の料理と言っても過言ではない。私が一番初めに食べた胡春の料理は肉じゃがだし、その後も高頻度で作ってくれた。


 お互い手際よく、具材を切っていく。玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、どれも苦戦することなく切り分けていく。料理経験者の私たちにはそれも難しいことではないのだ。あくまでも私は手伝いなので複雑な作業はない。




 切った具材と調味料を煮込む。しばらくすると出来上がった。


「完成したよ。食べよっか」


 そう胡春がソファーでテレビをみている私に言った。最後はお楽しみということで手伝わせてもらえなかったのだ。


「うん。ありがとね。胡春」


 そう言って私はダイニングテーブルに向かう。胡春の両親ともいつもは食事が一緒だが今日は帰りが遅いみたいだ。

 胡春の目の前の席、そこが私がいつも座る席だ。


「亜希も一緒だったから楽しかったよ」

『じゃあ、いただきます!』


 手を合わせてそう唱える。

 胡春が作った肉じゃがは前と同じ味だけど更に美味しくなったように感じた。




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